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2018年2月17日 (土)

「21世紀脱・学校論」からの引用/「我慢しない人」を軽蔑する文化

今日は2月17日。

  

 

すべての教育は『洗脳』である 21世紀の脱・学校論

(堀江貴文著/光文社新書)から以前投稿しました。

ここでも道草 「オールドルーキー」の歌詞の意味は、「過去を再利用しない」ということ?(2018年2月13日投稿)

 

今回もこの本からの引用です。

「脱・学校論」というだけあって、教師の立場からどう思うかを

次から次に問われるような内容でした。

  

最初に断っておくと、僕は「我慢」が大嫌いである。

やりたいことがあったらすぐに行動に移すし、

やりたくないことは極力やらない。

現状に不満があるのにひたすら我慢するなんてありえない。

ただし、一度やると決めたことについては全力でやり抜く。

そのための「努力」は惜しまない。

この場合の努力とは、我慢とはまったく別物だ。

僕の言う努力とは、どうしてもそれがやりたくて、

誰に何を言われても走り続けること。

足を止めないこと。

つまり「夢中になること」なのだ。

日本には、僕のような「我慢しない人」を軽蔑する文化がある。

そして「我慢強い人」を褒め称える文化がある。

どんなに不満があっても、どんなに理不尽な状況に置かれても、

それを耐え忍ぶことを美徳とし、耐えしのいだ先にこそ

「成功」が待っているかのような言説がまかり通っている。

ほとんどマインドコントロールに近い不条理なこの呪いが、

この国全体を覆っている。

その原因は何か?  (5p)

 

5pはここで終わっていて、その原因については、

ページをめくった6pに書いてある状況です。

原因は何だと思いますか?

もう予想がつきますよね。

それではページをめくります・・・・

  

「学校」なのである。

旧態依然とした学校教育の中で、日本人は洗脳されている。

やりたいことを我慢し、自分にブレーキをかけ、

自分の可能性に蓋をすることを推奨する恐ろしい洗脳が、

白昼堂々なされているのが今の学校なのだ。 (6p)

  

 

「我慢しよう」とは日頃、教室でよく言う言葉です。

でもそれが「子どもたちの可能性に蓋をする」つもりは毛頭ありません。

でも「我慢しよう」は言っています。

人には我慢できる力は大事だと思っています。

あるときは我慢して頑張れば、その後は楽しいことが待っている。

そんな使い方をするかな。

我慢せずに、やりたいことだけをやっていては、

将来生活に困ってしまう大人になってしまい、

もし家族をもっていたなら、家族も不幸にしてしまう大人になると

考えてしまいます。

そう考えるのは、私自身も洗脳されてきたからでしょうか?

 

自信をもって「違う!」と言えないところがあるなあ。

  

続く

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