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2018年1月 9日 (火)

昨晩から今朝にかけて触れた言葉/星野仙一さん編、金大竜編

今日は1月9日。

  

新学期が始まりました。

さっそく忙しくなってきましたが、

どうにかこなしてきました。

  

昨晩から今朝にかけて次のようなサイトを読んでいました。

教材・教具のネタ帳 星野仙一さん逝く

ここを読むと、4日に亡くなった星野仙一さんに関するコラムが

いくつか一度に読めます。

心に残る文章があります。

引用します。

 

中日のエース時代、星野仙一さんはけがに苦しんだ。

痛めたひじが、あるとき赤くはれ上がっていた。

聞けば、ハチにわざと刺されたのだという。

ミツバチの針に刺されたら血行障害が治る。

そう聞いてハチをピンセットでつかみ、ひじに当てたのだと。

投げて勝つことに命をかけた男の執念だろう。

本人からの告白談を、野村克也さんが後に明かしていた。

(神戸新聞 正平調 1月7日)

  

この執念!そうまでして成し遂げたいことがある。

ずっと積み上げてきたから、そう思えたのだろうな。

  

 

「燃える男」と呼ばれた星野仙一さんは倉敷市水島で生まれ育った。

「私の闘志を培ったのは、田舎者で、決して野球エリートでは

ないという自覚によるものではないか」。そう著書に記している。

工場の技師だった父は星野さんが生まれる前に病死した。

母は工場の寮母をしながら3人の子どもを育てた。

「周りの人を大事にしなさい」。それが母の口癖だったという。

負けん気や親分肌を示す逸話は子ども時代から事欠かない。

けんかの強さで知られ、理不尽な上級生には一人で向かっていった。

一方、後輩や仲間の面倒見はよく、

小学6年の時は難病で歩けない同級生を背負って登校した。

野球をするように勧めたのは母だった。体が大きく、

気の強い息子が横道にそれないよう、心配してのことだったという。

高校時代、甲子園出場はかなわなかった。

その悔しさが「今の自分をつくった」と語っていた。

野球人生を振り返り、自らを「幸運な男」としばしば称したが、

幸運は逆境に耐えてこそ手にしたものだろう。

中日の監督時代には、妻が白血病で亡くなる試練もあった。

昨年11月には帰郷し、野球殿堂入りの祝賀会で見せた笑顔を覚えている人も多かろう。

突然の訃報を信じられない思いで聞く。1年半前から闘病中だったという。

最後まで「星野仙一流」を貫いた、その強さを思う。

(山陽新聞 滴一滴 1月7日) 

この文章に星野仙一さんが積み上げてきたものが書いてありました。

辛いことがあっても、それを跳ね返してきた体験が、

星野仙一さんを輝かせたのでしょう。

ハチにわざと刺させて成し遂げようとしたものを手にしたのでしょう。

  

   

  

プロ野球にげきを飛ばしたことがある。「必死でやってくれたらいいの。

ホーム(本塁)でさ、バーンとぶつかって、けんかになるでしょ? 

それでいいっていうの」

何かと無理はせず、ほどほどに、角を立てず-と自制が重んじられる昨今、

必死でやれよと叫び、必勝を期して実際に勝ってみせる人の存在が、

今にしてずしんとくる。

楽天が日本シリーズを制したとき、大震災の被災地に必死の末の「V」をささげた。

燃え上がるほど熱いだけではない、苦しむ人たちの肩に温かな手を置く

“ほっかほかの人”でもあったろう。

(長崎新聞 水や空)  

「必死にやれよ」が今朝は効いたなあ。

「やってくるよ」とこの文に向かって言っていました。

  

   

  

もう一つ、読んでいたのは自前のサイト。

ここでも道草 2011高崎報告3・・・・迷った時には前を向く(2011年2月27日投稿) 

ここでも道草 2011高崎報告4・・・教師はやってきたことが全て(2011年2月27日投稿)

ここでも道草 2011高崎報告6・・・立腰、身心相即、物心相即(2017年12月27日投稿) 

ここでも道草 2011高崎報告7・・・叱られたらやめる(2011年12月28日投稿)

6年前の金大竜(キムテヨン)先生の講座の内容。

ふと読みたくなり、検索して行きつきました。

金さん、たくさんのいい話をしてくれました。 

 

  

迷った時には前を向く」(やる前に深く考えない)

今の小さな自分を突き抜ける」ためには、まずはやってみる。

仕事は選ばない」 

とにかく人に会い、とにかく聞き、そして実践してみる

「教師はやってきた仕事が全て。それも続けていることが大事」

 「みんな頑張っているなあ。先生も昔は頑張った」では、子どもたちへの影響力は少ない。

 チャレンジし続けているところを見せることが大事。 

「自分のための『学級』ではなくて、子どもが伸びるための『学級』へ」

「この程度の自分が教師をやっているのだと自覚すべし」

「見えていないと自覚することで、見ようとする」

「全ての子はできるはず。今の教師は妥協点が低いと思う」

「教師は24時間工夫する。方法は無限にある。掃除だって給食だって工夫次第」

「町もハッピーにするぞ。ハイタッチ。・・・交通当番の人たちにハイタッチ」

教師のために動いてくれる人は多い。味方は多い。」

「横着するな。近道はない。」

 東北地方の被災地。金先生は毎月行っている。

 被災地に対して・・・行動していない、実践していない。

 それは、「そうすること(困っている人たちに何もしないこと)を教えてしまっている。」

「知覚動考」

 知って、方法をえたら、まずこう。動きながらえる。動く前に深く考えない。

「知覚動考」を「ともかくうごこう」と読む!

  

 

こんな言葉に再び触れて出勤した日でした。

6年前に時間を見つけてせっせとうってくれていた自分に感謝。

スタートの日に役に立ったよ。

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