20170326山中城址を駆け足で巡りました
今日は5月5日。
3月26日に静岡県の山中城址に行っていきました。
山中城址のことを初めて知ったのは、やっぱりテレビでした。
2016年2月に放映された
「趣味どきっ!お城へ行こう!第三の陣“北条氏の城造り”
小田原城・山中城」を見ました。
豊臣秀吉の小田原城攻めの前に、城の攻防戦があったことを
初めて知りました。
「畝堀」「障子堀」という見たこともない堀に興味を持ちました。
そして今年の3月15日にも次の番組がタイムリーにも放映されました。
「出陣!城攻めトレッキング~豊臣VS北条 悲劇の山中城を行く~」
もちろん録画してじっくり見ました。
基礎知識は仕込んで出かけました。
時間は制限されていました。
家族旅行の最中で会って、家族が買い物をしている間に、
私だけが抜け出して見ました。
天気も小雨が降っていて、地面は少々ぬかるんでいました。
条件は悪かったけど、贅沢はもちろん言いません。
この機会を生かそうと駆け足で巡ってきました。
たくさんの写真を撮りましたが、ゆっくり掲載している暇はありません。
厳選します。
↑この案内板がわかりやすい。
地図の中央付近にある山中城跡案内所・売店前に自動車を置いて出発。
地図の左手方面にまずは向かいました。
一ノ堀です↓
テレビでの印象よりも堀は深く、斜面は急でした。
簡単には上まで来れないと思いました。
↑すりばち曲輪
案内所より右手のゾーンに移動しました。
↑田尻の池
そして西の丸・西櫓を取り囲む堀の数々です↓
おそらくここが一番の見所です。
北の丸・本丸方面に向かう↓
北の丸↓
北の丸と本丸をつなぐ橋↓
そして本丸↓
本丸西橋付近↓
この橋の下にも堀があり↓
二ノ丸橋とその向こうに西ノ丸↓
西ノ丸↓
中山城跡案内所・売店前に戻ってきました。
約40分間の観光でした。
あの畝堀、障子堀はすごかったです。
上からの弓矢などの攻撃を受けながら、
堀を越えて土塁を這い上ることは困難なことと思いました。
しかし、豊臣秀吉は7万人の軍勢を中山城に送りました。
守るは3千人。半日で落城するまでに、
多くの城兵が命を失ったそうです。
必死の攻防が行われたと思います。
たくさんの血が流れた戦場だったわけです。
守っていた城兵にとっては、
山城の最終形と称えられている城でしすが、
大軍を目の前にしては、
もっと堅牢であってほしいと願ったのではないでしょうか。
7万人を迎えうつには、あまりにも狭い。逃げ場がない。
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