「情熱大陸 磯田道史」その1/宝飯郡西方村
今日は2月3日。
1月22日放映の「情熱大陸 磯田道史」から聞き書き。
ナレーター:学べば学ぶほど、わかってくることがある。
自分には知らないことが多すぎる。
番組の冒頭はこの言葉から始まりました。
好奇心旺盛な磯田さんの特集らしい始まりでした。
電車に乗っていて、車窓から見えた看板に書かれた企業名を
スマホで調べていました。
自分にもこの気持ちはありますが・・・・
最近はこんな風に考え方を変えています。
世の中のことをすべて知ることはどうしても無理。
しかし、縁があったと感じたことは大切にして調べていきたい。
このブログにも書き留めていきたい。
そう思うようになりました。
50半ばの年齢がそう考えさせるのでしょうか。
磯田さんの場合はまだまだ全部知ってやろうという意欲満々だろうなあ。
うらやましいのはその記憶力。
自分でも、ほとんど忘れないと言っている。
自分のように書き留めなくても、調べていけば頭に残る。
その分、新しいことをどんどん調べて吸収できる。実にうらやましい。
ナレーター:そして、この人、
歴史についてしゃべりだしたらとにかく止まらない。
知識があふれているようなしゃべり方だもんなあ。
あこがれながら聞き入ってしまいます。
ナレーター:あらゆる時代の古文書を集め、
読み込むのが磯田の研究であり、趣味でもある。
磯田さんが三重県の人家におじゃまして、そこにある古文書を読むシーンがありました。
「三河国の宝飯郡西方村」が気になりました。
すでに消滅してしまった宝飯郡ですが、
そこの住民だった者としては、この場所はどこだろうと思いました。
(消滅は2010年2月1日のことでした。↓ここにあっさり書いてあります
ここでも道草 持ち帰った枝に花が咲いた 2010年2月1日投稿 )
聞いたことがある地名だぞと思ったら、
現在豊川市内に含まれる旧御津(みと)町にその地名はありました。
JR東海道本線愛知御津駅付近から海に至る付近を言います。
「ニシガタ」と読むようです。
服部姓があるのかな?
8年前の電話帳があったので調べてみました。
豊川市の服部姓の人はたくさんいましたが、
う~ん、御津町西方の人はいませんでした。
残念。でもこういう情報が縁があったネタ。
大事にしたいと思います。
ナレーター:最近は平成の司馬遼太郎と呼ばれることがある。
だが学会という場所が磯田の本籍地。
テレビにばかりに出て、
学者としての本業を疎かにしているのではないかという
声もある。
磯田:歴史学とは、過去を人々に認識してもらうことであるから、
その方法は本や活字だけで必ずしもある必要はない。
テレビであろうが、映画であろうが、何であろうが、
直接的間接的な手段でかかわるものなら何でもやれる。
学者の書いた歴史学は、正しい認識かもしれないけど、
一般の人たちの歴史認識にどれくらいの影響力があるか?
一生知らずに終わるような状態がずっと続いていて、
そして代替(だいたい)作用として
司馬遼太郎さんを使っていたわけですよね。
この問題、直視したいですよね、私はね。
司馬遼太郎さんの役割って何だったんだろうと思いました。
学会の新しい歴史認識を世間に広めるための、
学会の代弁者だったのでしょうか。
今までそのような見方をしていなかったので、興味を持ちました。
活字だけでなく、テレビや映画でも手段は構わないというのは賛成。
私にとって新しい歴史認識は、テレビからどしどし入ってきます。
テレビがきっかけです。とびきりすぐれたきっかけです。
(つづく)
ブログ拝見しました、ありがとうございます。
磯田道史さんの「日本史の内幕」を読んでいて、「宝飯郡西方村」(現・愛知県豊川市)の記載があり、webで検索しました。
名古屋市に住んでいますが、豊川市の出身です。
1961年2月生まれで、国家公務員(後半は国立法人職員)を定年退職して、悠々自適の生活をしています。(無職)
名前は、イタリアとスペインの好きな街から取りました。
投稿: firenzetoledo | 2023年10月 4日 (水) 18:36
firenzetoledoさん、コメントをありがとうございます。
磯田さんの「宝飯郡西方村」の調査結果は、
「日本史の内幕」で読むことができるのですね。
この情報はありがたいです。
読んでみようと思いました。
年齢が近いですね。
私は1961年4月生まれです。
教員をやっていて退職。
再雇用で、週の半分働いています。
フィレンツェにトレド。
トレドについては、全く知らなかったので、
この機会にいろいろ調べました。
いいところですね。
ペンネームにするくらいに。
またきてくださいね。
投稿: いっぱい道草 | 2023年10月 5日 (木) 19:47