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2017年1月 8日 (日)

「英雄たちの選択 徳川慶勝」その2 江戸城無血開城の後の受け取りは尾張藩

  

今日は1月8日。

  

前投稿に引き続いて、

昨年10月13日に放映された番組

英雄たちの選択 明治維新 知られざるデザイナー 

~尾張藩主 徳川慶勝~」より。

  

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徳川慶勝は、新政府軍と江戸幕府の間に位置していた人でした。

新政府軍から見たら、江戸幕府は「悪」

江戸幕府から見たら、新政府軍は「悪」

お互いに「悪」と見ていると、結果的に戦ってつぶれてしまう。

だから相手の立場に立って見て、声をかけられる人が必要。

そういう人は、歴史に名を残さないかもしれないけど、重要。

今の時代も、そういう人が登場することが必要なのでは。

そうゲストのひとりである真山さんは言っていました。

これまた勉強になりました。

  

    

新政府軍と江戸幕府の間にいた慶勝さんについて、

磯田さんも言っています。

徳川側の人間だと、新政府の命令は従わないけど、

尾張徳川家(慶勝)に言われると聞こうとすると。

間に入ることでスムーズにいくのです。

ゲストの岩下さんが言います。

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岩下:江戸城無血開城のときも、受け取りは尾張藩でした。

  

これはビックリ。

そうだったのですね。

新政府軍に明け渡されたとばかりに思っていた江戸城ですが、

その江戸城を受け取ったのは尾張藩だったんだ。

徳川側としても、それだったらOKだったのでしょう。

ソフトランディングになったのです。

  

岩下さんは、幕末は人を早く老けさせる時代だと評していました。

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あまりにもいろいろなことが速く進んでいったからとのこと。

それが徳川慶勝4兄弟の姿にも出ているとのこと。

この4兄弟とは。

(調べると、もっと兄弟はいたようですが、

下記の4名が”高須4兄弟”と呼ばれていたようです)

  

慶勝さんが撮った写真で紹介します。

(皆、尾張藩の出身だったのですね。

特に意外だったのは、2番目の弟)

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容保は尾張藩だったのですね。

新選組を率い、会津で戦った藩主です。

定敬は容保とともに新政府軍と戦い、

五稜郭の戦いにも参加しました。

茂徳は、捕えられた容保、定敬の処分を寛大にしてくれるように

新政府に嘆願しました。

激動の時代を生き抜いた4兄弟の姿。

  

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明治時代になって、4人で撮影した姿です↓

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この姿を見て、何歳に見えますか?

予想してください。答は次の投稿で。  

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