「学校珍百景2」より/なんのための「あいさつ」なのか?
今日は11月24日。
本「学校珍百景2」(塩崎義明編著/学事出版)より。
01 校門に並んで「おはようございます!」?
●どこの学校も「あいさつができない」らしい・・・・
いつからか日本中の学校で
「うちの学校の子どもたちは”あいさつ”ができません」と言いだしました。
そして多くの学校で、「あいさつができること」を学校目標にし始めました。
毎朝校門に、児童会・生徒会の役員や生活委員会・・・・、
学校によっては校長先生自らが立ち、
「あいさつ運動」と称して、登校してくる子に
「おはようございます」とあいさつしている風景が、
日本の学校では珍しくなくなりました。
「あいさつ運動」はそればかりではありません。
あいさつができた人数を学級・学年ごとに集計し、
お昼の放送で発表する学校まで出てきました。
ここまでくると、なんのための「あいさつ」なのか分からなくなります。
(12p)
「珍百景」という本名から、学校ネタで笑いをとる本なのかと思いきや、
油断していました。
まさに上の文章は勤務校の様子そのままなのです。
そして生活委員会の顧問が私です。
ここまでドキドキして読みました。
続きです。
●「あいさつ運動」は「あいさつ」をしているのか?
もしかしたら教師は子どもたちに・・・、
特に朝の「あいさつ運動」において、
本当の意味で「あいさつ」をしていないのではないか?
という問題提起があります。
まず、教師が子どもに対して「おはようございます」はおかしい。
教師は「おはよう」ではないのか?
ではなぜ教師が子どもたちに向かって「おはようございます」と言うのか?
それは、教師が子どもたちに「この通りに言いなさい!」と
言い聞かせているだけなのではないか?ということです。
つまりこれは「リピート・アフター・ミー」であって、
教師から子どもへの「あいさつではない」ということです。
そう言われてみれば英語のあいさつは
「Hello,how are you doing?」と相手の調子をたずねます。
それに対して、相手も「Fine!/Not bad./So-so.And you?」と応答し、
そこから会話が始まるのがあいさつなのだということを示唆しています。
それに対して、日本の教師の「リピート・アフター・ミー」の考え方は、
廊下を走らせない時に、「走りません!」というのと同じです。(中略)
どうやら日本の教師は「わたしの言う通りに言いなさい、やってみなさい」という
「リピート・アフター・ミー」がお好きなようなのです。
ちなみに私は、「おはよう!〇〇してきたか?」
「おはよう!元気ないけどどうした?」と、
「おはよう」のあとに一言付け加えるように心がけています。
そこから子どもたちとの応答関係がつくられるからです。
(12~14p)
生活委員会の顧問になり、校門に立ってあいさつをするようになって、
5年目になっています。
5年もやっているのに、まだ達成感がありません。
継続していることで何か変化があることを信じてやっていますが、
毎日20分間の積み重ねが、成果として実感できないのです。
そんな時にこの本を読んで考えさせられました。
今までのやり方でいいのか?
考えるきっかけをもらったと思います。
引用をまだ続けたいけど、今晩はもう寝ます。
また明日。
明朝も迷いつつ「あいさつ運動」に参加します。
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