「それはホロコーストの”リハーサル”だった」より5.「悲しい沈黙」
今日は1月5日。
2015年11月7日放映の
【ETV特集 それはホロコーストの”リハーサル”だった
~障害者虐殺70年目の真実~】より
藤井さんという方が今回のレポーターです。
藤井さんがいろいろな人に会って話を聞いているのですが、
この人↓の話が最も印象に残りました。
聞き書きしてみます。
ナレーター:
藤井さん、ハダマーでもう一人、遺族に会いました。
ギーゼラ・プッシュマンさんです。
数カ月に1回、花を手向けるために、
(旧)ガス室に訪れているというギーゼラさん。
父の妹である叔母が、てんかんのためにハダマーで殺されました。
↑父と一緒に写る叔母ヘルガさんの子ども時代の写真が残っています。
父より3歳年下だったヘルガさんが殺されたのは、17歳の時でした。
しかしギーゼラさんは、最近まで、
ヘルガさんが存在していたことすら、知りませんでした。
ギーゼラさん:
父は一度も叔母について話したことがありませんでした。
私が5~6歳の時に、祖母のところで、
この写真(上の写真)を見たんです。
「これは誰なの?」と聞いたら、
男の子がお父さんで、女の子がヘルガだって。
その後、この写真は机の上からなくなりました。
なんとなくそれ以上聞いてはいけないという雰囲気があって、
私はそれから二度と聞く勇気がありませんでした。
ナレーター:
その後も父は一度も妹のことを話題にしなかったと言います。
しかし、父のいとこが、80歳を過ぎてから、
ハダマーの施設に問い合わせるように言ってきました。
そこでギーゼラさんは、叔母ヘルガが、
殺されていることを知りました。
ギーゼラさん:
手紙を受け取ったとき、すごく泣きました。
ヘルガはよく犬小屋に閉じ込められていたと聞きました。
とてもショックでした。
ヘルガが犬小屋に閉じ込められていたときの犬です。
ヴァ-タンという名前のジャーマンシェパードです。
ヴァータンとはゲルマン民族の神様の名前です。
私はこの犬の話を聞きながら育ったほど、
父は自分の愛犬についてたくさん話をしてくれました。
でも妹については、一言も話してくれたことがないのです。
兄弟が自分の妹を忘れる、また忘れたふりをするなんて
私には理解できません。
ナレーター:
障害者たちの殺害は”恵みの死”であり、
社会、そして家族の負担を減らすものだと
国民に言い続けたヒトラー。
ギーゼラさんは、いつしか家族までもが
そう考えるようになっていったのではと疑っていました。
藤井さん:
家族も結果的にやはり差別意識も全くなくはなかったという点ではね、
それは悲しいこと。
家庭の差別の背景には戦争があり、
戦争が一層これを助長した、増幅した、
そこに問題の本質があるんじゃないかなあ。
家族は本当は妹の死を悲しみ、
その出来事が悲惨だったことから、
妹の話をギーゼラさんに話さなかったと思いたいです。
でも当時は、家族でさえ、
障害者の死を”恵みの死”と考えていた可能性は高いです。
この番組を見てきて、ギーゼラさんの話を聞くと、そう思います。
異常なのです。
もしかしたら戦後、ヘルガさんの死は良くないことだと思っても、
一度は”恵みの死”と考えた過去を消し去るために、
妹のことは口にできなかったと考えます。
ギーゼラさんは次の行動に移ります。番組のラストで紹介されました。
ナレーター:
叔母のヘルガを知らずに育ったギーゼラ・プッシュマンさん。
ギーゼラさんは、新聞広告に、あるメッセージを載せました。
ギーゼラさん:
叔母が殺されたことは、私にとってとても悲しいことです。
でも私が本当に悲しいのは、叔母の死ではなく、
家族がずっと沈黙を続けてきたことなんです。
それが今でも私は悲しくて仕方がないのです。
ヘルガおばさんの尊厳を取り戻し、
人々の記憶に残していきたいのです。
ナレーター:
ギーゼラさんが、亡き叔母に当てたメッセージです。
ヘルガ・オルトレップ
ナチスのいいなりになった協力者によって殺された
そして家族によっても黙殺された
わたしはあなたを忘れない
あなたの姪 ギーゼラより
「ヘルガおばさんの尊厳を取り戻し、
人々の記憶に残していきたいのです。」
この番組中で最も印象に残った言葉です。
家族からでさえ話が出なかった、
生存していることさえ知らされなかったヘルガさんの存在を知って、
ギーゼラさんから出た言葉です。すごく共感できます。
このブログにもヘルガさんのことを記録しましたよ。
遠い日本のここでも、ヘルガさんのことを記憶した人物がいますよ。
あと1本書きます。つづく。
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