「タブレットの導入で見えてくるもの」からの引用その2
今日は7月22日。
前投稿に引き続き、次の記事からの引用です。
「タブレットの導入で見えてくるもの」
近畿大学付属高等学校・中学校 ICT教育推進室室長 乾武司(いぬいたけし)
現在本校では、最低限のインターネット接続時のフィルタリングをかけているが、
これもメディア・リテラシー教育を進めることで外していきたいと考えている。
アプリに関しても通信系の何種類かをブラックリストに載せている以外は、
ゲームを含めてインストールは自由である。
iPad用のゲームには、教育用アプリとゲームの境界がはっきりしないものが多く、
そのまま授業で使える良質なものもあり、
特に海外のアプリにはそのような傾向が強い。
これらをゲームという一括りで禁止してしまうのは惜しい。
よく「授業中にゲームをしたらどうするか?」という質問を受けるが、
それは授業担当者責任範囲であると考えている。
生徒を集中させる授業、ゲームなどしたくなくなるような魅力ある授業、
ゲームをする暇のない展開の授業、これらをこそ教師は目指すべきであろう。
フィルタリングを減らすことは、教師の「覚悟」が必要です。
良質のゲームを見極めること、そして
授業中に授業に関係のないゲームをやらせない授業をすること。
新しいものを取り入れるときには、大なり小なり「覚悟」は必要です。
「覚悟」は逃げないこと、立ち向かうこと。それは本来楽しい。
タブレット端末は、たくさんの「覚悟」が必要。だから楽しいのでしょう。
その「覚悟」を使った文章がこの後出てきました。
先生のやりたい授業ができる環境を
タブレットの学校生活への導入は、「やりたい授業ができる環境」を
先生に与えることとなった。
先生の「やりたい」は「動画を見せたい」「教材をマルチメディアに」
「アプリを授業で使わせたい」「積極的に協働学習をさせたい」
「All Englishで授業を」など多種多様である。
これらを全て満足させることは、ICTの導入なくしてはありえない。
ICTの導入は教育力の向上を必ずもたらすというものではないが、
ICTはコミュニケーション能力を増幅させる手段であるので、
先生のコミュニケーション能力の高低によって教育力の差はさらに拡大する。
「こんな授業をしたい」という先生の熱い思いが、
真の意味でICTを活利用した授業を実現させるのである。
「増幅させる」の表現がいいなあ。
元々のところが大事なのです。
実際にiPadを導入してみると、これは教師側の覚悟を測る試金石であると感じている。
保守的に安全を求めるだけでは、今までの価値観を捨てきれない授業の延長でしかなく、
学校の都合を優先させた規制は、生徒の能力や可能性にリミッターをかける
行為であると痛感している。
途中経過に細かい指示を出さずに、結果のアウトプットのみを要求するような
プロジェクトを生徒に投げかけると、こちらが思いもよらなかった取り組みが現れてくる。
教師の判断で限界を設定し、指導できる範囲内に活動範囲を限定すると、
生徒たちの一番創造的な部分がスポイルされて、
ありきたりのものが出来上がってしまう。
アクティブ・ラーニングを行うにしても、
課題を投げかける教師側に想像力や好奇心がない場合、
まったくアクティブではない予定調和な結末で終わってしまう。
生徒の創造力や独創力を開花させるためには、
教師側にそれなりのスキルと覚悟を要求するのである。
村上公也先生たちが唱える「創発」を思い浮かべる文章です。
※参考:ここでも道草 20150228報告3/キミヤーズ塾 「創発」体験、創作漢字(2015年3月1日投稿)
教師にも、新しい発想や活動を要求してくるタブレット端末。
この文章を読んで、あらためてこのタブレット端末の勉強をしていきたいと思いました。
もちろん、教師の持つ「元々」の部分をパワーアップさせ、
タブレット端末で増幅したいと思います。
「増幅の発想」がいい。
しっかり活用いただきありがとうございます。
また飲み会しましょう!
投稿: ただいま新城営業所 | 2015年7月22日 (水) 06:11
いい資料だったので、このまま読んだだけでは
もったいない、そう思ってここに書き留めました。
いい資料をありがとう。
投稿: いっぱい道草 | 2015年7月22日 (水) 13:30