ペリリュー島に関するニュース6/土田さんの忘れられない記憶
今日は4月12日。
前投稿のつづき。
4月9日放映の「NEWS23」(CBCテレビ)から聞き書きします。
あの凄惨な戦闘から70年が経った。
パラオ訪問中の天皇皇后両陛下は、太平洋戦争の激戦地、
ペリリュー島の地を踏まれた。
両陛下が訪れたのは、戦後日本政府が建てた「西太平洋戦没者の碑」
日本から持ってきた白い菊の花束を供えると、
しばらくの間、深く拝礼された。
両陛下と言葉を交わした土田喜代一さん。
海軍上等兵として、この島で戦い生き残った数少ない人物だ。
両陛下からは、
「ペリリュー島を訪れるのは14回目ですね、どうぞお元気で」
と声をかけられたという。
(土田さん)「おそらく(犠牲となった)1万名が非常に喜んでいると思いました。
この日を忘れることはないだろうと思った70年の今日の日だと思います」
1944年の9月、アメリカ軍が上陸。
圧倒的な戦力を前に、絶望的な戦いを強いられたという。
日本軍は、島内に500もの洞窟陣地を構築し、ゲリラ戦を展開。
土田さんには、どうしても忘れられない記憶がある。
(土田さん)「『よし 今から戦車攻撃』『希望者3名だ。希望者は手をあげろ』と
言われ・・・」
爆弾を抱えて、敵の戦車に突っ込む肉弾作戦の命令。
3人の希望者が募られ、すぐに2人が志願したが、もう1人が現れない。
すると、友人が志願。
その後、爆音が響いた。
(土田さん)「やっぱり毎日思い出さんと、寝きれないかたちですね」
「(友人が)戦車攻撃に行って死んだこと、思い出すと涙が出ますね」
日本からはるか遠く離れた南の島で散った1万人あまりの命。
最後まで戦い生き残ったのは、土田さんを含む34人だった。
戦闘終結後も、土田さんらは、アメリカ軍が終戦を知らせようとしても信じず、
2年近くも洞窟に潜んでいたという。
(土田さん)「ペリリュー島というのは、こういう戦いの島であったということを、
世の中に知らせることができて、私たちには非常にうれしいです。」
土田さんのおかげでもあります。
土田さんの発言が、私にペリリュー島での戦いの凄惨さを教えてくれました。
「NEWS23」でも、倉田洋二さんのことが紹介されていました。
次の投稿で書きます。
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