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2015年4月11日 (土)

ペリリュー島に関するニュース4/初めて知ったアンガウル島の戦い、日本とパラオ

  

今日は4月11日。

  

前投稿のつづき。

  

4月9日放映の「ニュースウオッチ9」を見ました。

天皇皇后両陛下のペリリュー島訪問で、

きっと新情報が入手できると思っていました。

それは見事に当たりました。

ペリリュー島から10kmしか離れていないアンガウル島でも、

悲惨な戦いがあったことを初めて知りました。

日本軍1200名のうち生き残ったのは50名。

その中の一人、倉田洋二さんが取材されていました。

  

アンガウル島で、倉田さんは、

アメリカ軍が上陸してきた時に迎え撃つ、砲撃部隊でした。

「70発しか弾がなかったんで、大事に戦争しました。」

という倉田さんの発言は心に残りました。

70発が無くなった時のことを考えたら、大切に使わざるを得なかったのでしょう。

そしてそれは現実になります。

倉田さんは”玉砕”には参加せずに生き残ります。

  

生き延びていることが申し訳ないと思っている倉田さんは、

1200名の戦友の名前を調べ上げて名簿を作りました。

その名簿を見ながら、「中山」「白神」の事を語る倉田さん。

その人たちの人生はそこで終わってしまいました。

ちゃんとその人たちは存在していたよと伝えたくて、

倉田さんは戦友の話をするのだと思います。

後で「小野」についても語り、

ニュースでは3名の戦友の名前が紹介されました。

本当は全員の話をしたいのではないでしょうか。

  

   

  

パラオの日本統治の歴史が気になります。

調べました。

  

次のサイトが参考になりました。

ねずさんのひとりごと 日本とパラオ 歴史を超えた友情 

読みがいのあるサイトでした。

そこに日本統治について書いてありました。

引用します。

そのドイツが、第一次世界大戦で負けた後、

パリ講和会議において国際連盟が結成され、戦勝国である日本が、

ドイツ領であったパラオを含むミクロネシアの島々一帯の統治を

委ねられることになったのが、大正8(1919)年のことです。

パラオが、日本の「委任統治領」となったのです。

  

第一次世界大戦の結果、日本が統治することになったのです。

その統治のやり方がよかったことで、パラオは親日派なのだそうです。

このサイトを読むと、そのいきさつがよくわかります。

  

もしかしたら偏りのある内容かもしれませんが、

統治時代の日本人が行ったこと、

ペリリュー島で、住民を逃がして戦ったこと、

国旗にまつわる話などを読むにつれ、

日本人はパナマで頑張ったんだなと思わせられます。

誇りに思えます。

語られていることが真実であるといいなと思います。

    

サイトで紹介された映像もオススメです。

日本とパラオ ~歴史を越えた友情~
YouTube: 日本とパラオ ~歴史を越えた友情~

  

さらにこれも↓ ほぼ同じ内容ですが。

日の丸とパラオの国旗の由来
YouTube: 日の丸とパラオの国旗の由来

  

パラオの国旗です↓

Fpw

  

いい勉強ができました。

  

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