春休み おなじみのサクラはこうなっています
今日は3月25日。
「教材・教具のネタ帳」にこう書いてありました。
今日から春休みです。
このブログも春休みにします。
桜が咲く入学式の頃、再開します。
え、休んじゃうの。それは残念。
でもすごい勢いで投稿しているので、休みもいるんですよね。
待ってます。
私は逆です。春休みは投稿数を増やしたいです。
今回は桜の写真を載せます。
↑このブログでも何回も載せてきた三明寺のサクラ。
今年もお見事です。3月23日の出勤時に撮影。
勤務校のソメイヨシノもポツリポツリと咲き始めました。
24日は、子ども達と咲いているの花を見つけていました↓
勤務校の荘川桜です↓ 24日撮影です。
移植されて間がないためか、
私が勤務校に来た2009年には1輪も咲きませんでした。
2010年には2輪咲いて大喜びしています。
※ここでも道草 初めて荘川桜に花が咲いた(2010年3月20日投稿)
2011年、2012年と咲いたことに気がつきませんでした。
しかし、2013年は咲きました。
※ここでも道草 H25 3月の花々7 サクラ3/身近なアズマヒガンが開花(2013年3月17日投稿)
※ここでも道草 H25 3月の花々9 サクラ5/勤務校のソメイヨシノも開花(2013年3月20日投稿)
2014年も花芽をたくさんつけていました。
※ここでも道草 H26 3月の花々2/スギナ(ツクシ)2・サクラ14(2014年3月17日投稿)
そして今年。荘川桜は咲くのが当たり前になりました。
2010年には2輪しか咲かなかったことを知っている者としては、
すごく進歩したなあと思います。
いっぱい道草さん、お久しぶりです。オジロワシです。
「”戦闘配置”されず~肢体不自由たちの学童疎開~」以来の訪問ですが、相変わらずご活躍のご様子ですね。
私の棲息地・横浜も、ぼちぼちソメイヨシノが咲き始めたようです。最近は遠出もせずに、近くの大岡川(南区)の花見で満足していますが、今年はひざの手術をしたせいもありそれも怪しくなりました。もっぱら、”ネット花見”になりそうです。
さて、先日テレビで見た「戦争孤児たちの遺言~地獄を生きた70年」を文字起ししてみました。こちらの桜の話題とはやや(?)場違いな感もありますが、お暇な折にでもご高覧いただきたく、失礼を顧みずトラックバックさせていただきました。
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: オジロワシ | 2015年3月25日 (水) 14:16
オジロワシさん、連絡をありがとうございました。
読ませていただきました。
全編文字起こし。素晴らしい作業だと思います。
相当な時間がかかったことでしょう。
でもおかげさまで、短時間に番組のことを知ることができました。
番組チェックから外れていた番組でした。
録画していなかったけど、再放送もあるし、
パソコン上でも見られるのですね。
これから見てみたいです。
東京都慰霊堂は以前見に行ったことがあります。
納骨堂を管理している方と話ができました。
特別に納骨堂にも入らせていただきました。
20年近く前のことです。
関東大震災と東京大空襲で亡くなった方たちだと教えてもらいました。
その時には両方の被災者が葬られているんだなと思いましたが、
遺族からすると別々に分けて欲しいという思いがったのですね。
初めて知った遺族の気持ちです。
遺骨に囲まれた場所にテーブルが置いてあって、
そこに毎日コップ一杯の水を捧げるのが仕事だそうです。
被災者は水を欲しがったということで、
その方は毎日一杯の水を置いていました。
ご本人も関東大震災の被災者だと言っていました。
すでに高齢でした。今はどうされているやら。
戦争で親や兄弟を失った子どもたちの苦労を垣間見れたと思います。
多くの人が知るべき内容だと思いました。
再放送も終わり、パソコンの動画もいずれは消滅します。
オジロワシさんの投稿はその後さらに価値が高まりますよ。
ありがとうございました。
投稿: いっぱい道草 | 2015年3月26日 (木) 06:35
拙コメントにご丁寧なお返事をいただき、ありがとうございました。
私はリタイアの身の上ですので、文字起しの時間はたっぷりあり、暇に任せて時折チャレンジしています。あとは、根気の問題ですが…。
私の妻の母方も東京大空襲の被災者です。幸い、命だけは助かりましたが、幼い子供(妻の母)ら7人を連れて猛火の中を逃げ惑った話を聞いたことがあります。祖母はその時の爆撃がもとで、生涯右腕が不自由になりました。
また、私の母は戦後の樺太からの引揚者で、ロシア軍の銃撃を逃れるため、背丈以上もある大きな蕗(コロポックルの蕗)の葉を傘にして身を隠し、飲まず食わずで何日も山中を逃げ回ったことを聞きました。
母の一家が乗った引揚げ船の直後を数時間遅れで航行していた僚船が、潜水艦からの攻撃を受け沈没。北海道留萌沖で引揚者数百人が死にました。
戦災孤児や戦争中の肢体不自由児らを含め、私の親の世代が体験したことが、歴史の上で消え去らないよう(消されてしまわないよう)祈るばかりです。そして、戦争の後には、必ずより過酷な「戦後」があることを、このドキュメンタリーで知りました。
中東地域で現在進行中の空爆(空襲)や戦闘が、日々、多くの戦争被災者(児)を生んでいることに心が痛みます。教育に携わる方々の、平和への熱意がとても重要になってきたと思っております。
今後ともご活躍なされますよう、期待します。
投稿: オジロワシ | 2015年3月30日 (月) 10:34
オジロワシさん、こんにちは。
コメントをありがとうございます。
私はテレビ番組が好きで、寸暇を惜しんで見ています。
中には、というかほとんどの番組は、
見ただけで記憶から薄れていくのが
もったいないと思います。
なので、写真に撮ったり、文字起こしをしたりします。
今回のような番組のように、
歴史上で消えて欲しくない事実を含んだ内容は
映像だけではなく書き留めておきたいですね。
そのような思いになられたお話も
書いていただきよくわかりました。
ラストの文章は励みになります。
教育に携わる者です。
頑張ります。
現在春休み中。充電をして新年度に臨みます。
投稿: いっぱい道草 | 2015年3月30日 (月) 15:06