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2014年3月22日 (土)

昨年10月31日のニュース/背番号「19」

 

今日は3月22日。

  

昨年の10月31日のニュース「ニュースウォッチ9」は、

録画したまま消さずにとってありました。

そのニュースでは、アメリカボストン時間で10月30日に行われた

ワールドシリーズで優勝を決めた上原浩治選手の特集でした。

  

上原投手の背番号「19」にまつわる話は印象に残りました。

高校卒業後、大阪体育大学に合格できず、予備校に通いました。

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予備校の先生が語ります。

  

(アナウンサー)当時英語を教えていた、前田治さん。

勉強にもトレーニングにも妥協しない上原投手の姿が、

強く印象に残っていると言います。

(前田先生)スポーツジムに行って、トレーニングして、

その後バイトしていますからね。夜ね。

それを1年間続けている。で、無遅刻無欠勤。これはすごいなあと。

  

そんな予備校時代の様子がマンガで出てきました。

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このマンガが読みたくなりました。

   

1年後、再び大阪体育大学を受験して、上原投手は合格します。

野球部に入ります。

浪人時代の地道なトレーニング賜物で、伸びのある速球を投げる投手になっていました。

大学の監督がこう言っていました。

  

自分の夢を叶えるために、日々努力して、

走り込みはすごく人一倍二倍三倍と走る子なので、

見習えというてもできないと思います(笑)。

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平成10年に巨人軍入団。

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予備校の前田先生がまた語ります。

  

19歳の1年一番苦しかった。自分の中で。

頑張ろうと思うねんけど、くじけそうになったりね、けどやらにゃあいかん。

それを我慢して忍耐強く頑張り切るという1年間は

一番しんどかったと(上原投手は)言っています。

  

そしてアナウンサー。

  

上原投手が自ら希望した背番号は「19」

辛かった19歳の1年間。

しかしあの1年間があったから今の自分がある。

そんな思いが込められていました。

  

知らなかった。上原投手の背番号に込められた思い。

そしてワールドシリーズ優勝。

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いい話だなあと思いました。

挫折したあと踏ん張った年を大事にしている上原投手は素晴らしい。

私にとっても、就職浪人をした1年を大事にしてきたつもりです。

「道草」という言葉を使い始めたのも、その年がきっかけでした。

もう一度、あの年のことを思い出したい。

初心は確かに持っていました。

  

  

その上原投手の漫画本が欲しいと思いました。

そのことを次の投稿で書きます。

  










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