「知られざる国語辞書の世界」その5・・・大槻文彦
今日は4月14日。
3月23日にBS-JAPANで放映された
番組「知られざる国語辞書の世界 テレビ史上初!ことばサミット」から。
前投稿のつづき。
〇たった一人の国語辞典の編纂(へんさん)
1875年、文部省役人大槻文彦さんは、
国語辞書の編纂を命じられました。
近代的国語辞典の編纂は、近代国家になろうとしている日本にとって必要なことでした。
たった一人、編纂に取り組み、12年後に原稿が完成しました。
原稿を受け取った文部省が不可解な行動に出ます。
原稿を渡しても返答がなし。
自費出版をするなら、原稿は下げ渡すとのお達し。
どういうこと?
大槻さんは、自費出版をすることを決め、金策に奔走します。
そんな大変な時期に、大槻さんは次女と奥さんを失います。
それでも辞書の推敲・校正を続ける大槻さん。
国語辞書「言海」が完成したのは1891年、大槻さん44歳の時でした。
全4冊。収録項目約4万。
17年の歳月をかけた自費出版での刊行でした。
4万を一人で!
大槻さんにとって、心に響く言葉がありました。
それは露命(ろめい)
それと引き換えに失った最愛の妻と娘を思い、
校正作業の終盤、この言葉にさしかかった時、
大槻さんは人知れず涙したそうです。
日本初近代的国語辞典がこうやって作られたことがわかったのは、
とてもいい勉強でした。
この番組は、本当に勉強になった。(まだつづく)
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