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2011年12月

2011年12月 7日 (水)

「関屋の里」の記念切手2011年版

   

今日は12月7日。

昨日は校内研究授業で国語の授業をしました。

他の先生方は全員研究授業を終えていたので、私が最後でした。

昨年もそうだったと思います。

やるだけやった学級を見てもらいたいという気持ちがあります。

どうも後ろへ後ろへとしてしまいます。

    

11月にやった図工の授業。

その時に使った絵「冨嶽三十六景 隅田川関屋の里」の切手があると知って、

さっそく注文してみました。

図工の授業3・・・「冨嶽三十六景 隅田川関屋の里」(11月26日投稿)html

   

届きました。

    

RIMG0312全体像a
  

RIMG0315アップ

    

調べたら、すでに「関屋の里」は1966年発行の切手で使われていたようです。

それが2011年に再び使われて発行。

私がこの絵で授業をしたまさに今年の発行。

こういう縁を必要以上に大事にしてしまう私の癖。

即注文しました。

   

ムッシュさんのブログでまた楽しいことを知りました。

郵便局の「オリジナル切手サービス」です。

自分オリジナルの切手が作れるサービスです。

http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/picture_stamp/index.html

何か作ってみたくなります。

 

    

 

 

2011年12月 4日 (日)

身辺雑記・・・最近見かけた草木

  

今日は12月4日。

最近見かけた草木の写真。

    

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通勤路の三明寺で見かけたユッカ。11月30日撮影。

このブログにユッカが初登場したのは4年前です。

前任校の花壇に咲いていました。

「教室から見えるユッカ」html

その頃は1年担任でした。苦労しました。

寒い季節に長く咲いていました。いろいろなことを思い出します。

     

       

RIMG0284
 

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今朝の撮影。国道151号線の街路樹の紅葉もだいぶ進みました。

3年前の往時には及びませんが、この2年の丸裸の木々のことを思うと、

よく頑張っていると応援したくなります。

※前回この街路樹について書いたのは11月26日のことでした。

「今年は見られそう、街路樹の紅葉」html

     

   

    

やはり今朝の撮影。大和の大イチョウ。

RIMG0288
   

ちょうど1年前の12月4日にもここに来ていました。

「12月4日の大和の大イチョウ」html

今年の方が落葉が早いです。

昨年は墓参りの後に寄っていますが、実は今年もそうです。

今朝は一人で墓参りに行ってきました。

ずっと行っていなかったので、母親に怒られそうだと思って。

     

    

    

今日、三明寺での撮影。

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こぼれるように咲いていて、

前からいいなと思い、いつかは撮ろうと思っていたサザンカです。

    

さらに三重塔と紅葉がよかったです。

RIMG0303

     

さあ、今晩もう一仕事!

教材研究「清川だし」3

   

今日は12月4日。

前投稿のつづき。

   

「清川東風」と書いて、「清川だし」と読むと前投稿で書きました。

「東風」と言えば、やっぱり「こち」と読むのが有名です。

それでは、他の方向の風はどうだろう?

   

調べました。

ちゃんとありました。

東風「こち」

西風「ならい」

南風「はえ」

北風「あなじ」

でした。

でもなぜこう言うのかは不明です。

  

次のサイトなどを参考にしました。

「教えて!goo  東風」html

教材研究「清川だし」2

   

今日は12月4日。

前投稿のつづき。

2002年2月19日放映の

「プロジェクトX 挑戦者たち 突風平野 風車よ闘え!~執念がエネルギーを生んだ~」

を再び見ました。

覚えがありました。

思い出しながら、他のことをやりながら2回も見てしまいました。

   

・昭和20年代、戦後の食糧増産の中、庄内米はたくさん売れた。

・庄内平野にあって、その恩恵を受けられなかった場所があった。それが立川町

・立川町は日本最悪の風が吹く。4日に一度、台風並みの風が吹く。

・それが「清川だし

・「清川東風」と書いて「きよかわだし」と読んでいた。

・この風を逆に生かして風力発電をしようと考えた。

・昭和54年に挑戦。風力で作った電気でハウスを温め、フキノトウやコゴミを育てた。

・しかし1年後に強風で風車は破壊された。

・昭和60年になって再び風力発電に挑戦。電力で豚舎を温めた。

・しかし新型風車も強風で破壊される。

・3度目の挑戦。専門家を呼んで意見を聴く。

・この時、今回の国語の教科書(東京書籍)の教材文の著者「牛山泉」さんも呼ばれる。

・牛山さんらは、大型の風力発電を設置するべきだと主張。

・アメリカの風車を輸入して行おうとしたが、国の許可が下りずに失敗。

・しかし、平成になって再び挑戦。

・平成5年4月24日に立川町の3基の風車が始動した。

・牛山さんが言う。「日本の風力発電の幕開けだ」と。

   

これが主な内容。

いくつか写真を。

RIMG0273 RIMG0278 

RIMG0277 RIMG0279

RIMG0276← 長南一美(ちょうなんかずみ)さん

長南さんは、地元の子どもたちのために絵本を作りました。

なんじゃもんじゃの森のフーちゃんとダシ風くん」という絵本です。

   

以上です。次のサイトも番組の内容が詳しいです。

「山形E旅 風力発電《立川の風車》庄内町/旧立川町」ber

   

ただほぼ1年前のニュースを読むと、風力発電は順調だったわけではないようです。

しかし、昨年と今では、エネルギーの考え方が大きく変わったもんなあ。

「読売新聞 ”風で町発展”道半ば」(2010年12月2日)htm 

一部引用。

だが、現在、3基のシンボル風車は停止している。

老朽化とメーカー倒産による部品の供給停止が重なり、

安全や維持費用の面で町民の理解を得るのは難しいと考えたためだ。

全電力自給の当初目標も、旧余目町との合併(05年)を経たため約13%にとどまる。

電力購入価格の低迷などを背景に建設を見送る業者もおり、

03年の11基目を最後に風車の新設はない。

    

「清川だし」でいろいろ勉強しました。


教材研究「清川だし」

  

今日は12月4日。

国語の授業の教材研究中に疑問に思う。

清川だし

    

山形県庄内町に吹く夏の地方風。強風。

「清川だし」の「だし」とは?

「だし」は「出し風」のこと。

「出し風」とは「陸地から沖へ吹く強い風」のことで、

船出をするのによい風であることからついた名前だそうです。なるほど。

    

強風が吹く仕組みは?

次のサイトが参考になりました。

「ぼくの全国風車訪問記 立川町のナゾ」htm

    

「清川」はどこにある?

今は庄内町(しょうないまち)。

かつては立川町(たちかわまち)。

2005年(平成17年)7月1日に立川町と余目町(あまるめまち)が合併し庄内町となりました。

   

かつて「プロジェクトX 挑戦者たち」で、立川町の風力発電が放映されたことを知りました。

何とその番組をちゃんと録画してあって、さらにすでに以前見たことにも気づきました。

う~ん、全然覚えていません。

   

2002年2月19日放映

「プロジェクトX 挑戦者たち 突風平野 風車よ闘え!~執念がエネルギーを生んだ~」

今日、余裕があったら、もう一度見てみよう。

 

2011年12月 3日 (土)

山下工美さんに出会った映像 2008年

   

今日は12月3日。

最近、美術ネタが多いです。

そうなると思い出すのが、山下工美(くみ)さん。

最初に山下さんについて書いたのは、2008年2月21日。

「光と影の芸術・・・山下工美さん」html

その後、ちょくちょく書いてきました。

「3月30日にこの作品の前に立つ予定」html(2008年3月12日投稿)

「3月30日は増田修治先生の話を聞きに行きます」html(2008年3月16日投稿)

「山下工美さんの作品を東京の病院待合室で見た!」html(2008年4月1日投稿)

「なんばパークスタワーに山下工美さんの作品を見に行く」html(2008年7月21日投稿)

「山下工美さんの2009年の作品『椅子』」html(2009年8月30日投稿)

    

最初の出会いは、TV番組「奇跡体験!アンビリバボー」でした。

おそらくその日の番組と思われる映像を、youtubeで見つけました。

ここに載せます。

 

   

今のところ東京と大阪で作品を見ましたが、

また他の作品を生で見に行きたいです。

戦争画家ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン

   

今日は12月3日。

前投稿のつづき。

娘に歴史を教えていて、こんな絵画作品にも出会いました。

     

800PX-~1
「Wikipedia  ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン」B3

    

1877年~1878年の露土戦争の時の絵です。

描いたのは、ロシア人のヴァシーリー・ヴェレシチャーギン

絵のタイトルは「敗北。バニヒダ

多くの犠牲者を出した戦場での場面。

ヴァシーリー・ヴェレシチャーギンは戦争に従軍して、戦争画を描いた画家でした。

その写実的な絵は、まだ写真が普及していなかった時代に、

戦場であったことを伝える大事な絵だったのではないでしょうか。

兄弟の戦死、自分自身の負傷もあって、平和主義の考えを持ちました。

   

この絵でしっかり魅かれました。

もっと作品を見てみたいです。

   

ヴァシーリー・ヴェレシチャーギンは、日露戦争に乗っていた戦艦が、

日本の機雷に触れて爆発し、その爆発に巻き込まれて死んでしまいます。

その死に方も含めて興味を持ちました。

      

 

100年前の空爆

  

今日は12月3日。

高校一年生の娘が歴史を教えてと言うので、手伝いました。

どこの歴史かと思ったら、第一次世界大戦前のバルカン半島をめぐる攻防の辺り。

これはなかなか難しい。

並行してパソコンで調べながら、娘に解説していきました。

   

その中で、新しく知ったことで興味を持ったのが1911~1912年の「伊土(いと)戦争」です。

イタリア帝国とオスマン帝国の戦いです。

この戦争でオスマン帝国が敗れたことで、

オスマン帝国の支配下から抜け出したばかりのバルカン諸国に勇気を与えました。

バルカン諸国は、同盟を組んでオスマン帝国と戦いを始めました。(第一次バルカン戦争)

バルカン諸国は勝利をおさめます。

  

ちょうど100年前のこの戦争の写真です。

Zeplin_orta

「Wikipedia 伊土戦争」89

   

写真は、イタリア陸軍航空隊の飛行船が、オスマン帝国に空から爆弾を落としているところ。

1911年10月23日。世界初の空爆と言われています。※「Wikipedia 世界初一覧」8B

    

一般人にも容赦しない、数々の悲劇を生んだ空爆も、まだ100年の歴史なんだと思いました。

2400本目の投稿・・・通夜に出席

   

今日は12月3日。

かつて一緒に勤め、その後息子の担任もしていただいた先生が、

11月30日に亡くなったと知らせがありました。

昨晩がお通夜。

55歳。病気と闘った末の死でした。

    

通夜の最後に流された奥さんの追悼の言葉の一部。

  

病をきっかけに、昨年学校から離れることとなり、

胸の内は悔しさでいっぱいだったことでしょう。

「病気とうまく付き合ってゆくから、大丈夫」

そう言って浮かべた笑顔には、

ただ私を安心させたいと願う”想い”だけが見えました。

下半身が動かなくなった後も

「車いすで教壇に立ちたい」と夢を語り、

寝たきりになっても「必ず克服するよ」と誓って、

最後まで明るい未来を信じさせてくれたこと、心から感謝しております。

   

活動的で、いつも動いておられた人でした。

どんどん頭が回転して、いろいろなことを思いつく人でした。

かたくななところもあり、反省会で議論したことがありました。

まだまだやりたいことがたくさんある人でした。

長期療養に入っていると聞いて心配し、

1年ほど前に、学校に来ていたよと息子に聞いて、ホッとしていました。

無念だったことでしょう。

   

ささやかですが、ブログに、先生の死を書いて残しておきたいと思いました。

 

 

 

2011年12月 1日 (木)

子どもはルールではなくムードに従う

   

今日は12月1日。

季刊誌「教師のチカラ」は、参考になる言葉が多くある本です。

6号(2011年夏号)から引用し、血や肉になるようにしたいです。

   

子どもはルールではなくムードに従う

子どもは何をするにしても、ルールに従うわけではない。

そのため、教師が正しいことを話しても

聞かない時は聞かないのである。

なぜなら、子どもは教室のムードに従っているからだ。

高学年で安心して声を出せる学級に育てることは簡単ではない。

高学年の教室には以下のようなムードがあるからではないだろうか。

1.周りの目が気になり恥ずかしい。

2.まちがうことを怖れ声をださない。

3.真面目が格好悪いと思っているので取り組まない。

4.自己主張が強く、周りと強調しようとしない。

どんな活動でも教師が「こうなってほしい」という思いと、

子どもの「こうなりたい」という思いが合致する時は、問題はない。

しかし、ある活動をする時に教師の「こうなってほしい」という思いと

子どもの「それはしたくない」という思いが交錯すれば、

そこには教師の工夫が必要になってくる。

間違っても、感情にまかせて指導してはいけない。

よけいに声が出なくなるだけである。

最初から正論ばかりでは、子どもには通じない。

そこで、私は次のようなことを意識し、工夫している。

・声を出すことの良さを体感でき、価値がわかる。

・子どもが楽しくて、熱中する。

・すぐ自分たちの成長を感じられる。(28p)

   

「声作りは学級づくり」というタイトルで、

大阪市聖和小学校の金大竜先生が書かれた文章の一部です。

教師歴10年の若手先生に教えられるところ多し。

    

「子どもはルールではなくムードに従う」

最初から正論ばかりでは、子どもには通じない」

「教師の工夫が必要になってくる」

   

どれも大事。担任している6年2組のために、明日からどんな工夫をしようか?

ムードづくりのために何をしよう。

正論過多の自分に反省。十分正論は言ってきました。どうやって動ける雰囲気をつくるか。

最近の写真

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楽餓鬼

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