教材研究「清川だし」2
今日は12月4日。
前投稿のつづき。
2002年2月19日放映の
「プロジェクトX 挑戦者たち 突風平野 風車よ闘え!~執念がエネルギーを生んだ~」
を再び見ました。
覚えがありました。
思い出しながら、他のことをやりながら2回も見てしまいました。
・昭和20年代、戦後の食糧増産の中、庄内米はたくさん売れた。
・庄内平野にあって、その恩恵を受けられなかった場所があった。それが立川町。
・立川町は日本最悪の風が吹く。4日に一度、台風並みの風が吹く。
・それが「清川だし」
・「清川東風」と書いて「きよかわだし」と読んでいた。
・この風を逆に生かして風力発電をしようと考えた。
・昭和54年に挑戦。風力で作った電気でハウスを温め、フキノトウやコゴミを育てた。
・しかし1年後に強風で風車は破壊された。
・昭和60年になって再び風力発電に挑戦。電力で豚舎を温めた。
・しかし新型風車も強風で破壊される。
・3度目の挑戦。専門家を呼んで意見を聴く。
・この時、今回の国語の教科書(東京書籍)の教材文の著者「牛山泉」さんも呼ばれる。
・牛山さんらは、大型の風力発電を設置するべきだと主張。
・アメリカの風車を輸入して行おうとしたが、国の許可が下りずに失敗。
・しかし、平成になって再び挑戦。
・平成5年4月24日に立川町の3基の風車が始動した。
・牛山さんが言う。「日本の風力発電の幕開けだ」と。
これが主な内容。
いくつか写真を。
長南さんは、地元の子どもたちのために絵本を作りました。
「なんじゃもんじゃの森のフーちゃんとダシ風くん」という絵本です。
以上です。次のサイトも番組の内容が詳しいです。
※「山形E旅 風力発電《立川の風車》庄内町/旧立川町」ber
ただほぼ1年前のニュースを読むと、風力発電は順調だったわけではないようです。
しかし、昨年と今では、エネルギーの考え方が大きく変わったもんなあ。
※「読売新聞 ”風で町発展”道半ば」(2010年12月2日)htm
一部引用。
だが、現在、3基のシンボル風車は停止している。
老朽化とメーカー倒産による部品の供給停止が重なり、
安全や維持費用の面で町民の理解を得るのは難しいと考えたためだ。
全電力自給の当初目標も、旧余目町との合併(05年)を経たため約13%にとどまる。
電力購入価格の低迷などを背景に建設を見送る業者もおり、
03年の11基目を最後に風車の新設はない。
「清川だし」でいろいろ勉強しました。
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