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2010年5月23日 (日)

国分寺・国分尼寺下見17/ずっと埋没していた遺跡

(前投稿のつづき)

741年の聖武天皇の指示(詔勅/しょうちょく)によって

8世紀後半に建てられた国分寺・国分尼寺ですが、

300年ほどの運命で、歴史からその姿を消しました。

跡地にはそれぞれお寺が建てられ、

かつて国分寺・国分尼寺があったことは忘れ去られ、

現在に至っていました。

大正9年に、この地を訪れた学者が、

地名に目をつけました。

八幡町忍地(にんじ)。

忍地から「尼寺(にじ)」が連想され、

ここに国分尼寺があったことを推理しました。

ここから始まりました。

この地名と、すでに発見されていた礎石から、

大正11年に三河国分尼寺跡は、三河国分寺跡とともに、

国の史跡に指定されました。

Rimg0089       

※指定した日を刻んだ国分尼寺跡の石碑    

    

     

     

昭和42年に発掘調査が行われ、

かつての国分尼寺の様子が判明しました。

平成11年~17年に、豊川市は保存整備事業を実施しました。

中門と回廊の一部を復元。

跡地は史跡公園として開放されました。

傍らには「三河天平の里資料館」が作られ、

展示や映像によって古代三河国の概要を解説しているほか、

最新の発掘調査情報を発信しています。

http://www.geocities.jp/shimizuke1955/2670mikawakokubunji.html

    

      

「三河天平の里資料館」に掲示されている絵が素晴らしい。

Rimg0166

   

    

    

    

    

       

    

三河国分寺・三河国分尼寺があった頃の風景予想図です。

今と違って家も少なく、見通しが聞いた頃、

国分寺も、国分尼寺もとても目立った建物だったのだろうなあ。

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