「三河のエジソン」を読む その2
(前投稿のつづき)
加藤源重さんの助手中田さんが電話をしたときに、
聖也君のおばあちゃんはこう言いました。
※引用文中の「自助具」というのが、源重さんが作った器具のことです。
「それが、このごろ、自助具を使わなくなってましてね。
いえね、さいしょは、喜んで使っていたんですよ。
あれを使いだして、すぐ、自転車の補助輪も取れたんですよ。
スピードを出して、みんなといっしょに遊び回りましてね。
うれしかったと思います。
さか上がりだって、前回りだって、がんばって練習してましたよ。
ところが、ある日、一輪車がはやりましてね。
これは、手がいらない。
それで、だれよりもはやく乗れました。
聖哉、自信を持ったようです。
あのときから、あの子、手をかくさなくなりました。
できないことがあっても、はずかしがりません。
できることでがんばるんだって、はりきっているんです。(中略)
前は、人ごみに行くのをいやがりましてね。
人にじろじろ見られるのが、つらかったのでしょう。
でもね、お祭りにも行くんですよ。
じろじろ見られても、平気で手をふって歩くんですよ。
このごろ、自転車は、片手で運転します。
もちろん、ケガした手をそえてますけどね。
育つって、こういうことなんですね。
おとなの心配なんか、ぼーんぼーんとふっとばして、
聖哉は自分で力をつけています。
わたしたちは、聖哉のじゃまにならないように見守っています。(106-107p)
せっかく作った器具が使われていないと聞いたにもかかわらず、
助手の中田さんは、「いい話を聞かせていただきました」とおばあちゃんにお辞儀をしながら言います。
電話の後、こう言います。
「そうか、源重さんは、やれない気持ちをとりのぞいてやったんだ。それでいいんだ。」(108p)
簡単に紹介するなどと言いながら、短くまとめれませんでした。
これが印象に残ったエピソードの一つです。
事故を防げず、まだ9歳の少年の右手を失わせてしまった大人たちの気持ちがよくわかりました。
その大人たちの気持ちを受けて寝ずに器具を作った源重さんの心意気がよかったです。
そして大人の心配をよそに、自分で頑張りだした聖哉君のたくましさがうれしい。
そして中田さんの態度。師匠の源重さんの仕事の意義を理解し、「使っていない」というおばあちゃんにお礼を言えるその態度に感心しました。
人の優しさや可能性を信じてもいいんだと思わせてくれるエピソードでした。
なぜ加藤源重さんが呼ばれて学校で話をするのかがわかりました。
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