豊川海軍工廠の朗読劇
最近のプロ野球は巨人ファンにはたまらない。
21日に阪神に勝ってついに首位に並びました。
最大13ゲーム差がついていたのに追いつきました。
22日も広島に勝って11連勝。
阪神ファンの息子と毎日ハラハラして野球を見ています。
プロ野球に全く関係ありませんが、豊川海軍工廠のこと。
20日に、豊橋市で市民朗読劇「われあかあかと生きたり 豊川海軍工廠編~その日は、朝から暑かった~」があり、鑑賞に行ってきました。
昭和20年の8月7日の海軍工廠の空襲で犠牲になった人たちの日記や、
遺族の手紙などが読まれました。
8月7日の朝、15歳の妹が工廠に行くのを見送った姉が、
空襲を受けたのを知って、妹の安否を確かめるために工廠に向かいます。
妹は発見されず、帰途につきます。
妹が入れ違いで家に帰っていることを期待するも、戻っていませんでした。
翌日再び工廠に行き、ケガ人が収容されている場所も探しましたが、見つからず。
姉は、妹が家にいることを再び期待して家に帰ります。
この「家に戻っているかも」という気持ちがすごくよくわかりました。
妹は残念ながら家にいませんでした。姉は覚悟を決めました。
結局、妹の死体が発見されます。
ほとんど無傷で、防空頭巾を被り、そのひもがあごのところできゅっとしばってあったそうです。
防空頭巾は、妹を守れませんでした。祈って、ひもをしばったであろうに。
姉が、離れて住む母親に、妹の死を伝える長文の手紙を書きました。
この手紙が、ラストに朗々と朗読されました。
とても詳しい手紙だったので、情景が浮かび、戦時中に連れていかれた気分でした。
当時、遺族はこう思って行動したんだと、よくわかりました。
8月には「豊川海軍工廠展」に行ってきました。
空襲であまりにたくさんの死者が出たため、火葬が間に合わず、
夏だったため死体の腐敗が進んでしまうため、
死体は2か所の墓地に仮埋葬されました。
その墓地は実に6年間放置され、遺族の願いにより掘り返されました。
すでに白骨化している遺体が多く、
わずかに身につけていた遺品から誰かを判断したそうです。
しかし埋葬された2385柱のうち、氏名がわかったのは228柱のみでした。
そんな事実を知りました。
こうして8月9月は豊川海軍工廠の勉強ができました。
勤務校のある市であり、隣の市である豊川市。
工廠ゆかりのある場所にもすぐに行けるわけで、
もっと出かけて行って勉強したいです。
以上、長くなりましたが、豊川海軍工廠のことを書きました。
最初の野球の話は蛇足?
十和田湖県境の話と言い、豊川海軍工廠の事と言い、勉強になります。
好奇心がむずむずしますね。確かに十和田湖の辺りには地図帳で見ても県境がなかった記憶があります。
紹介して戴いた本も面白そうですね。
投稿: ふっとわーく | 2008年9月23日 (火) 21:20
だらだらした文章を読んでくれて、コメントまでありがとうございます。
十和田湖の記事を見つけれたのはラッキーでした。本は面白かったですよ。読み飛ばしたくなるところもありましたが・・。買う価値はあります。
投稿: いっぱい道草 | 2008年9月24日 (水) 23:40