6月20日 豊橋大空襲があった日
6月20日朝、FM豊橋の渡辺欣生さんの話は「豊橋大空襲」の話でした。
63年前の昭和20年(1945年)の6月19日深夜から6月20日未明にかけての2時間、
豊橋市はアメリカのBー29爆撃機の空襲にさらされました。
死者624人。市の70パーセントが焼失。
豊橋市は当時、地方の小さな都市でした。
空襲は大都市に行われると思われていて、大都市から豊橋市に疎開する人たちもいました。
314家族を豊橋市は疎開として受け入れたと記録があるそうです。
しかし、大都市だけではありませんでした。
前日の6月18日には浜松市、そして四日市市が空襲を受けて、
そろそろ豊橋市ではと予感があった人もいたそうです。
空襲で被害を受けた後も大変だったそうです。
ケガ人が収容された施設で赤痢が発生。
水もなく薬もない収容施設では、赤痢は止められず、
広くこの病気は拡大して、多くの犠牲者を出しました。
赤痢が伝染がおさまったのは10月になってから。
つまり終戦後まで続いたわけです。
渡辺さんが言っていました。
他のマスコミでは豊橋大空襲のことはあまり報道しない。
FM豊橋だからこそ、毎年6月20日に報道している。
これからも伝えていきたいと。
FM豊橋では、空襲体験者に話を聞いて、その様子を流している活動もしています。
応援したいことです。私もここに書き残すことができました。
土曜日、日曜日は、やっぱり、ながいですね。ケータイの#は、「シャープ」じゃなくて、「いげた」です。
投稿: けんぼー | 2008年6月29日 (日) 21:07