天気が悪かったので、「長篠の戦い」の本を読む
今日は予定では、長野県の雪山に登りに行く日でした。
大好きな山で、毎年登っている大川入山という山です。
しかし天気が悪く、断念。2月23日に延期です。
そんなわけで今日は、いつか読もうと思っていた本を2冊読みました。
2冊とも「長篠の戦い」に関する本です。
1冊は最近創刊された「新説 戦乱の日本史」の1巻目「長篠の戦い」です。
こういう本が出ると、それがいい機会になって、立ち止まって「長篠の戦い」の勉強ができます。(創刊号なので、580円のところが、なんと190円!)
以前から、勧められて借りていた下の本も読んでみました。
いくつかの関連HPものぞいてみました。
徹底検証 長篠・設楽原の戦い 小林 芳春 吉川弘文館 2003-07 売り上げランキング : 250946 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「長篠の戦い」というのは、長篠城の攻防戦や、火縄銃の3段撃ち・馬防柵・武田の騎馬隊が有名な”設楽原の戦い”などの戦いをひとまとめにした呼称です。
でも私は、ずっと「長篠の戦い」は、設楽原の戦いをイメージしていました。
長篠の戦い=設楽原の戦いと考えていました。
長篠城の攻防戦はあまり眼中に入っていませんでした。
鳥居強右衛門の脱出、磔の話がわずかに長篠城の攻防戦の話として知っていたくらいです。
社会科教師になって、長篠城の攻防戦と、設楽原の戦いが区別されてきました。関連もわかってきました。
そうなると、「徹底検証 長篠・設楽原の戦い」の編著者の小林芳春さんが、昨年11月の朝日新聞の記事で次のように言ったことが、すとんと腑に落ちます。
「長篠の戦いは、長篠城の攻防戦などいくつもの戦いを総合しています。中でも火縄銃を使った戦いは、設楽原合戦だけです。だから、火縄銃が使われた戦いと言う場合、長篠の戦いではなく、『長篠・設楽原の戦い』と呼ぶのが正確です。歴史を正しく伝えるためにも、『長篠・設楽原の戦い』という呼び方を主張しています。新城市のホームページも最近、この呼び方に変わっています」
※新城市は長篠、設楽原がある市名です。
2冊の本では、ともに「設楽原の戦い」「長篠・設楽原の戦い」が使われていました。
「長篠の戦い=設楽原の戦い」の発想は、今の私からはなくなっています。
子どもたちに教える機会があった時は、そこのところちゃんと教えたいです。
短い手紙で有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は、
徳川家康家臣の本田作左衛門重次が、設楽原の陣中で書いたものだと知りました。
このHPは参考になりました。写真を見て、まだ行っていない場所に行ってみたくなりました。
1時間もかからずに行ける場所なので、ぜひ近日中に。
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