2021年12月12日 (日)

番画〈555〉〈556〉:天智天皇と天武天皇 「日本沈没」⑧

     

今日は令和3年12月12日。

    

番画です。

   

〈555〉「にっぽん!歴史鑑定 日本国を創った兄弟

  天智天皇と天武天皇」(2021年11月28日放映)

  

〇このビデオを見ている時に、奥さんから

 「授業で使うの?」と聞かれた。

 正直言って、もう使わない。

 今は江戸時代を教えている。

 でも歴史の中で曖昧になっているところは、

 はっきりさせたいと思う。

 特に天武天皇のことは曖昧だったので、この番組を見た。

〇兄 中大兄皇子 第38代天智天皇

 弟 大海人皇子 第40代天武天皇

〇中大兄皇子が歴史の舞台に出てきたのは乙巳の変(いっしのへん)

 蘇我入鹿を殺した。

 この出来事の黒幕は、軽皇子。

 自分が天皇になるためには、蘇我入鹿が邪魔だった。

 軽皇子は後に第36代孝徳天皇となっている。

〇中大兄皇子は、将来自分が天皇になるには、

 軽皇子についた方が得だと考えた。

〇中大兄皇子がめざしたのは中央集権国家。

 公地公民制。

 班田収授法。

 税制の整備 租庸調

 一方では、政敵の排除をする残酷な面を見せた中大兄皇子。

〇朝鮮半島で新羅によって百済が滅亡する。

 百済を助勢する倭の国。

 白村江の戦い 新羅に敗れる。

 防人を置く 水城を築く 遣唐使を派遣する

〇中大兄皇子が即位 天智天皇

〇額田王(ぬかたのおおきみ)をめぐる三角関係。

 額田王は、最初は大海人皇子の妻だった。

 天智天皇がみそめて、天智天皇の妻となった。

〇大海人皇子は、天智天皇の娘を后にしていた。

 子どもに草壁皇子、大津皇子がいた。

 いずれは彼らが天智天皇の後継者と目された。

〇しかし、天智天皇は息子の大友皇子を昇進させ、太政大臣にする。

 後継者とする。

 天智天皇が偉くなりすぎて、天智天皇の子孫でないと

 後継者になれないという雰囲気があった。

〇それなのに、天智天皇は、病床に大海人皇子を呼んで、

 「おまえに託す」と言った。

 大海人皇子は譲位を断り、出家をする。吉野へ。

 もし譲位を受けると、謀叛ありとして粛清されることを恐れて、

 身を守るために出家したと推察される。

 天智天皇の政敵を排除する残酷な面。

〇天智天皇崩御

 大友皇子が即位。弘文天皇。

〇大海人皇子は、天皇の座を奪うために挙兵。

 古代最大の内乱 壬申の乱

 敗れた弘文天皇は自害 25歳

〇大海人皇子は天皇となる 天武天皇

 天皇の権力強化 

 律令をつくる 飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)現存しない

 「日本書紀」「古事記」の編纂を命じる。

 倭国から「日本」 大王(おおきみ)から「天皇」

  

  

〈556〉ドラマ「日本沈没 希望のひと」第8話。

  (2021年12月5日放映)

 

〇相変わらずCGを期待して見ていますが、CG映像はなかった。

〇日本が沈没して、日本人全員が外国に移住しなくてはならない

 とんでもない状況。

 そのためにはどうしたらいいのか、よく考えられている。

 政策に具体性がある。

 見ていて家族で相談してしまう。

 「どこの国に行きたい」

 「抽選で国が決まるみたいだけど、しょうがないのか」

 実際に日本沈没が起こるような気がして、少々真剣に話してしまった。

〇12月12日、つまり今晩は最終回。

 2時間余の放送らしい。もう映画なみの準備だ。

 予告を見ると、いよいよCG映像が出てきそうだ。

 楽しみだ。

 

 

日めくりより/「バン」とはなんぞや?

     

今日は令和3年12月12日。

    

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

   

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食用アンコウのほとんどがメスであるワケは?

   

アンコウはまだ食べたことがないかな。

オスが小さいのは聞いたことがあります。

最後はメスの体に同化してしまうのではないかな。

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ごはんと板前料理 銀の穂

    

気になったのは「三鳥二魚」のなかの「バン」

「バン」とはなんぞや?

  

海鮮ふぁん

☝ このサイトの説明を引用します。

  

鷭(バン)という鳥はあまりなじみがないかもしれませんが、

日本中に生息している鳥だそうです。

主に湖沼、川、水田、湿地などに生息していて、

「クルルッ」と大きな声で鳴くので、

それに驚いて他の動物が水田に近寄ってこれません。

なので、「田の番をする鳥」としてバンの名が付けられたそうです。

現在では、鷭は狩猟鳥獣の鳥類28種の中に含まれており、

狩猟免許を取得した者は獲ることができますが、

鶴、雲雀の捕獲は禁止されています。

知り合いに猟師さんがいれば鷭の肉が手に入ることはあるかも

知れませんが、そうでなければ、江戸時代の珍味の「三鳥」を

味わうことは不可能なんですね。

   

う~ん、画像が見たいと思いました。

  

BIRD FAN

☝ ここで見ることができました。

食べるとおいしいんだ。

「新八犬伝」は入手できるかどうか

     

今日は令和3年12月12日。

    

前記事に引き続き、人形劇「新八犬伝」について。

「南総里見八犬伝」のことを知ったのは、

社会科の授業ではなくて、この「新八犬伝」です。

  

NHK放送史 連続人形劇 新八犬伝

☝ ここに「新八犬伝」の概要が書かれています。

  

1973(昭和48)年4月から1975(昭和50)年3月まで、

全464話が放送されたそうです。

私の年齢だと12歳から13歳。

小学6年生から中学1年生かな。

464話!そんなに放送されていたのですね。

とにかく見ていました。面白かったです。

八つの玉「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」は、

この順番で今でもすらすら言うことができます。

上記サイトを読んで思い出したのは、

語りを担当していたのが坂本九さんだったことです。

そうでした、そうでした。

「九」と書かれた頭巾をかぶって黒子で登場したことも

思い出されます。

   

「南総里見八犬伝」を教えるなら、

50年近く前の「新八犬伝」で生徒たちに教えたい。

私が体験したようなワクワクした気持ちを味わわせたいと

思いました。

   

当然ながら録画したのはありません。

ネットで調べました。

YouTubeにもありません。

アマゾンでありました。

amazon

「NHK DVD 人形劇 新八犬伝 劇場版」というのが

手に入るようです。

40分間の番組で、9000円近くします。

アマゾンのコメントによると、

話自体は八犬伝の発端となる安房国里実家の話と、

八犬伝登場となる犬塚信乃の話と、

有名な芳流閣の決斗のくだりが収められているとのこと。

迷いました。

迷いつつも、奥さんの許しを得て、

購入ボタンをポチンと押してしまいました。

 

2学期の社会科の授業は、この「新八犬伝」を見せて終わりになるかな。

   

追記:このドラマも、なかなか良さそうです。

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amazon.

 

ただ値段が5000円以上。

今回は、50年前の人形劇で授業はいきます。

番画〈551〉〈554〉:きくドラ「東海道中膝栗毛」

     

今日は令和3年12月12日。

    

授業で、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」を教えます。

やっぱり作品を紹介したいです。

動画にないかと探しました。

ありました。

  

きくドラ 十返舎一九

☝ このサイトで3つのお話を聞くことができます。

番画扱いです。

  

〈551〉十返舎一九「東海道中膝栗毛ー小田原の宿ー」

 

〇五右衛門風呂のお話。

 このドラマを聴かせるためには、五右衛門風呂がどんなものか

 あらかじめ教えておく必要がある。

 この図がわかりやすいかな。

Bath04

https://www.kitchen-bath.jp/changesbath3   

    

〈552〉十返舎一九「東海道中膝栗毛ー御油から赤坂ー」

  

〇地元豊川市のきつねの話。

 東海道五十三次の中で、最も近い宿場町での出来事。

 関心をもって聴いてくれるかな。

  

   

〈553〉十返舎一九「東海道中膝栗毛ー宮から桑名ー」

  

〇桑名へ行くには船旅だ。

 そんな説明も加えながら、この話も聴かせたい。 

  

  

「きくドラ」は「ラジオドラマで聴く、名作文学」というのが

コンセプト。

上記3作品は、今から5~6年前の作品です。

今も作品を更新しているのかと思ったら、次の作品は今年の作品でした。

今も続いていた。

  

きくドラ 曲亭馬琴

   

〈554〉曲亭馬琴「南総里見八犬伝 芳流閣の決闘」

    

〇授業では「南総里見八犬伝」も教える。

 私たちの世代で、「南総里見八犬伝」と言えば、

 人形劇の「新八犬伝」だ。次の記事で書きたい。

初めて中学校の公式の大会で審判をしました

     

今日は令和3年12月12日。

    

昨日は生まれて初めての体験をしました。

   

中学校の公式のバスケットボールの大会で、

初めて審判をしました。

他の先生から、審判服を借りて、

格好も本格的に装ってやりました。

最初は緊張しましたが、

いざ始まって、笛を吹き始めると、

いつも通りに出来たと思います。

  

退職3カ月余り前に、いい体験ができたと思いました。

 

バスケットボールの審判は、

新任の頃からやっていたことです。

教員生活で身につけたスキルの一つだと思います。

笛一つでゲームを支配できるのは、

ちょっと快感です。

2021年12月11日 (土)

「御巣鷹山と生きる」③ 美谷島さんもきっと揺れている

     

今日は令和3年12月11日。

        

前記事に引き続き、

「御巣鷹山と生きる 日航機墜落事故遺族の25年」

(美谷島邦子著/新潮社)より引用します。

   

  

2008年10月には、日航安全啓発センターで、初めて日航の社

員に対して話をした。新人研修で客室乗務員45人にむけての講話

だった。社員に話をしようと思ったのは、墜落時刻で止まった時計

や壊れたメガネなどの展示された遺品を、ただ見るだけでなく、そ

こにある物語を知ってほしいと思ったからだ。健が飛行機に乗った

日から遺体が発見される日までのこと、そして、健の遺品のことを

中心に話した。

遺族が話すことで、安全啓発センターにおかれた事故の残骸や遺品

や遺書が初めて生きたものになると思った。

(173p)

   

美谷島さんのスタンスは、事故の原因は日航やボーイング社にあり、

事故再発がないように日航と接しているように思えます。

しかし、青山透子さんの説で行くと、日航も被害者であり、

この事件に巻き込まれた感じです。

日航と深く関わってきた美谷島さんは、長年考えて行動してきたことと、

そうではないという説の間で、揺れているのだと推察します。

次のような文章もあります。

   

事故の原因究明と日航の関係を話すと、私は、この事故の大きな原

因は、日航がボーイング社の修理を妄信したことではないかと思っ

ている。日航の内部には、「この事故はボーイングのせいで起きた」

と考えている社員がいることをかなり後で知ったが、事故後も「メ

ーカーを妄信しない」という反省が活かされているのか疑問だ。会

社のトップは、内部の犯人探しや、ボーイングへ責任を押し付ける

ことで、この事故を終らせたいと思っていなかったか。会社として、

メーカーを妄信せずに、運航輸送業者としての責任を真摯に謙虚に

受け止めていたのだろうか。

(179p)

  

事故後25年目に発刊された本では、

美谷島さんはこのように考えていました。

青山透子さんや小田周二さんの説が真相ならば、

これらの考え方は的外れになってしまいます。

それは受け入れられないことなのではないか。

  

  

25年間で感じたことは、遺族の気持ちは、環境と心境の変化によ

って揺れるということだ。最初は実名、何年か後に匿名を希望する

遺族がいる。逆もある。また、家族の中でも考え方が違う。だから

こそ、いつも遺族の了解が得られるように努力してほしい。

(196p)

  

青山透子さんや小田修二さんの説によって、

遺族の気持ちは大きく揺れていると思います。

  

  

特に、8・12連絡会の立ち上げの時から付き合いのある記者たち

には、特別の思いがある。8月12日生まれだという、当時新人だ

ったTBSテレビの松原耕二記者は、健の部分遺体が見つかった日、

カメラを回さないで、12月の寒い体育館で大粒の涙を流していた。

(197p)

   

現在「サンデーモーニング」に出演している松原耕二さんは、

1960年8月12日生まれでした。

TBSは定年退職しています。

松原さんにはこのような体験があったのですね。

   

  

最後に3つの文章を引用します。

   

事故後10年目ぐらいから、灯籠流しなどの8・12連絡会行事に、

日航の登山支援班の人を中心とした日航の協力が始まった。

川に流れていく燈籠は、人々のやさしさ、犠牲者の命の尊さを後世に

繋いでくれる。520の御霊が、導いてくれるのだろうか。

日航の女性社員が川に入って、灯籠が流れやすいように道筋を作り、

川下では、日航の男性社員が、真っ暗な川面から灯籠を回収する。こ

れらの行事を通して安全を求める気持ちは、被害者も加害者も同じだ。

(147~148p)

   

大事故を起こした会社と肉親を亡くした遺族との心の出会いが、御巣

鷹の山道で、日航の手作りの山小屋で始まっていた。

私は、山小屋に泊まった日のことを今でも思い出す。日航が、ビルの

中で考えるのとはまったく違う遺族支援があった。(中略)

山では、日航の登山支援班の社員と遺族が声を交わした。山が、両者

の心を結ぶ唯一の場所になり、事故を起こした会社と遺族との関係は、

劇的に近づくことになった。この山にいる日航の男たちは、「山を守

ろう、亡くなった人たちの場所を守ろう、賠償とは関係なく」と言っ

ているような気がした。

(150~151p)  

    

毎年、11月中旬から翌年の4月末まで、御巣鷹の尾根の登山道は、

閉じられる。この25年間で、私の御巣鷹山への登山回数は、146

回となった。20年前、健の墓標の脇に植えた30センチのもみの木

は、今、5メートルを超えた。

2009年11月14日、そのもみの木にクリスマスの飾りつけをし

て、夫と雨の中、山を下る。途中、日航の登山支援班が、新人の社員

を連れて「鎮魂の鈴」を片付け、雪に覆われて傷まないように墓標の

整備をしている。

会社は存続の危機にあり、毎日毎日、再建に関する報道がなされてい

る中だった。しかし、社員は黙々とこの御霊の山にきて作業していた。

毎年繰り返される御巣鷹の閉山風景。

私は、「ありがとう」とつぶやく。

(158p)

       

これらの文章を読むと、青山透子さんに「日航の広告塔」と

言われてしまう美谷島さんの原点があるように思えます。

美谷島さんもきっと揺れていると思います。

  

以上で「御巣鷹山と生きる 日航機墜落事故遺族の25年」からの

引用を終えます。

   

 

2021年12月10日 (金)

「御巣鷹山と生きる」② 不幸の連鎖

    

今日は令和3年12月10日。

    

前記事に引き続き、

「御巣鷹山と生きる 日航機墜落事故遺族の25年」

(美谷島邦子著/新潮社)より引用します。

     

   

会に寄せられる手紙には、残された者の回転の狂ってしまった今の

生活がうちあけられ、苦しみがつづられています。

2人の肉親を失い、事故後病気になり亡くなった人。自殺した人。

心労のため肉親の不幸が重なった人も多くいます。家庭内のトラブ

ルが、事故後すぐに起き、心安まることのない人。根無し草のよう

に住居が定まることのない人。何とか立ちなおろうとしながらも、

幸せの歯車はあの日以来なかなかかみあってくれません。

最愛の人が欠けたために生じたその穴は、埋まるどころかますます

大きくなります。夫が亡くなり、妻は婚家を出、姓も名のれず、お

墓も夫の実家のもとにあり、残るのは夫の想い出だけですという人。

やさしかった息子が亡くなり、嫁は家を売り、年老いた母は今小さ

なアパートで一人暮らし。家賃も滞る有様の方。

(63p)

   

事故死という不幸がきっかけで、不幸が連鎖することがあるよなと、

この文章を読んで思いました。

事故さえなければと思った人がたくさんいたと思います。

事故は事故だけで終わりません。

  

  

8・12連絡会の方針は、当初から「遺族同士のゆるやかな連帯」

だった。さまざまな意見があったが、大方一致したところでまとめ

るという「ゆるやかな連帯」が、大切な方針であり続けた。そして、

遺族の心の中にある「事故を忘れたい」という思いと、「絶対に忘

れない」という思いを大切にしていきたいと思っていた。

(75p)

   

現在、8・12連絡会はどんな方向を向いているのだろう。

撃墜説に対してどのように思っているのだろうか。

「忘れたい」「忘れない」の気持ちは、当事者の気持ち。

わかるような気がします。

  

  

20年が経っても、夫を亡くした妻は、「2人の息子を成人させ、

孫たちにも囲まれていても、夫婦一緒の姿をみるとあなた、側にい

て欲しいよ、淋しいよと思う。言葉にすると今も涙がでる」と書く。

(82p)

  

これもわかるような気がします。

当事者の気持ちがたくさん載っていた本です。

  

  

小川領一さんは、海外で勉学した後、鹿児島に移住、自分の会社を

立ち上げた。今、国内外の環境、国際協力分野で精力的に働いてい

る。事故で、父母と妹が逝き、弟と2人残された。遺品のカメラに

は、父親の哲さん(当時41歳)が写した写真があった。事故から

5年後、「事故防止の一助に」と写真を公開した。窓外の雲、東京

湾、富士山と続いた写真は、6枚目で急を告げている。酸素マスク

をつけた乗客と乗員の姿がある。貴重な写真だ。

(85p)

   

青山透子さんも著書に掲載した写真だと思います。

美谷島さんも同じものを見ています。

  

 

遺族の1年は、8月12日からはじまり、翌年8月11日に終わる。

(91p)

  

これも当事者の貴重な気持ち。

そうなんだろうなと寄り添うことはできます。

  

 

事故の第一現場の相模湾上空から落下して海中に沈んでいる残骸を、

徹底的に回収するように求めた。

(100p)

しかし、そんな遺族の思いとは離れて、CVR(音声記録)、

DFDR(飛行記録)の生テープは、ともに公開されないままだっ

た。公正な事故調査のためには、プライバシーの問題等を考慮した

上で、なんらかの方法で公開して欲しいと思った。

(111p)

    

青山透子さんと一致する意見です。

でもまだ回収されていなくて、公開もされていません。

  

  

つづく

  

  

2021年12月 9日 (木)

「御巣鷹山と生きる」「けんちゃんのもみの木」読破

    

今日は令和3年12月9日。

    

美谷島邦子さんの本を2冊読みました。

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「御巣鷹山と生きる 日航機墜落事故遺族の25年」

(美谷島邦子著/新潮社)

  

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「けんちゃんのもみの木」(美谷島邦子・文/いせひでこ・絵/

BL出版)

   

日航機123便墜落事故で、9歳の男の子を失ったお母さんです。

「御巣鷹山と生きる」から引用していきます。

    

遺族会というと、闘争している印象がある。また、いつも下を向い

ている姿が想像される。しかし、第1回集会で、55歳の夫を亡く

し、一人ぼっちになった妻はこう言った。「事故後3カ月間で喪服

を何度も着た。火葬、個人葬、社葬、合同荼毘・・・・その度に悲

しみに打ちひしがれた姿を期待された。でも、もう下を向きながら

生きていくことに終止符を打ちたい。しっかりと前を向いて、なぜ、

最愛の人が死ななければならなかったかを世に問い、亡くなった人

の分まで生きたい。遺族という文字は削ってください」。

集まった遺族は15人。皆、初対面。この発言で、会場のあちこち

でもれていたすすり泣きが一瞬止まり、静まりかえる。しばらくし

て拍手がおこった。彼女の訴えが採用され、「8・12連絡会」と

命名された。

(36p)

  

青山透子さんが発信する「日航123便墜落の真相を明らかにする会」

の事務局便りの中で、

「日航の広告塔と化してしまった8・12連絡会の美谷島氏」と

表現している美谷島邦子さん。どんな方なのかと思って、

この2冊を入手して読みました。

「8・12遺族会」ではなくて「8・12連絡会」となった

いきさつが書かれた文章です。

そして「8・12連絡会」は36年が過ぎた今も存在しています。

それはすごいことだと思うのですが・・・・。

  

 

「8・12連絡会」の第1回集会で発表されたアピール文に

次の文章がありました。

  

事故調査委員会の原因究明を厳しく監視し、事故原因が曖昧にさ

れてしまうことがないよう見守りながら、日航とボーイング社の

責任を問うていきます。

(37~38p)

   

「8・12連絡会」と青山透子さんの活動は一致すると

思うのですが・・・・。

  

  

ただ「8・12連絡会」は、事故原因が圧力隔壁破壊説だと

している点が気になりました。

   

1985年12月に公表された運輸省事故調の第3次中間報告で、

事故前に隔壁に合計29センチに及ぶ亀裂が存在していたことも明

らかにされた。結局、若干の疑問を残しながらも、告訴の基本とな

る事実関係としては、圧力隔壁破壊説以外の選択肢はなかった。

(54p)

   

これは1985年時点の見解です。

情報が限られた段階では、こう考えるのが当然だったかも。

ただこの文章中でも「若干の疑問を残しながら」」と書いているように、

客室で急減圧がなかった点は疑問に思っています。

現時点で「8・12連絡会」はどんな見解をもっているのでしょう。

    

  

人命を預かる航空輸送産業に対して、安全を求めすぎるということ

はない。私たちは、事故の原因を自らの眼で確認し、事故再発の防

止策を促す活動をしたいと考えていた。

そのため、飛行機のメカニズムについても自らが学ぶ必要性を感じ、

機械に強い20代の遺族たちが集まり、8・12連絡会に「原因究

明部会」という分科会を発足させた。あいまいな調査を許さないと

いう強い決意のもと、事故調査委員会の動きを注視した。連絡会の

目的である、「事故の原因の究明を促す」というアピールを実現さ

せるために、弁護士を含めた遺族たちの航空工学への挑戦が始まっ

た。

(60p)

   

この分科会は、日航123便撃墜説には至らなかったのだろうか。

  

  

つづく

2021年12月 5日 (日)

番画〈548〉〈550〉:チェインレンサーというおもちゃ 世界のコロナ遺児の実態 「青天を衝け㊳」日清戦争の時の日本

    

今日は令和3年12月5日。

    

番画です。

    

〈548〉フィッシャーズ

コースを進むたび道が変形していくやつがカッケェwww #チェインレンサー #SEGA #おもちゃ #Shorts #PR
YouTube: コースを進むたび道が変形していくやつがカッケェwww #チェインレンサー #SEGA #おもちゃ #Shorts #PR

 

〇フィッシャーズの動画を見ると、今のトレンドを知ることができる。

 「チェインレンサー」は面白いおもちゃのようだ。

 ドミノにも通じるところがある。

 ただ値段が高そうだ。

〇関連動画を1本載せる。これは番画扱いせず。


YouTube: 興奮せずにはいられない!新感覚・新世代アクションホビー「チェインレンサー」|セガトイズ

〇フィッシャーズはSEGAから提供してもらって

 やっているんだろうな。

 うらやましい状況だ。

 彼らはきっと運がいい人たちだ。

   

 

〈549〉ニュース地球まるわかり

  (2021年12月5日放映)

  

〇特集 世界のコロナ遺児 実態は

 インドネシア インド アメリカ

 日本にいるとあまり感じないコロナ遺児。

 他国では深刻なことになっていた。

 こういうことを知らせるのも、授業では大事だと思う。

〇旅する世界 フランス 願いかなうクリスマスマーケット

 16世紀から行われてきたクリスマスマーケット

 昨年は中止。売り上げがなくてピンチに陥ったが、

 窮状を知った全国からお菓子の注文があって廃業しなくてよかった。

 今年は開催されている。

 

  

〈550〉大河ドラマ「青天を衝け 38 栄一の嫡男」

  (2021年12月5日放映)

  

〇この回で注目したのは2点。

 日清戦争(1894年~1895年)の時代が描かれていた。

 日本の勝利に、街中では市民が大喜びをしていた。

 あのような雰囲気だったんだ。

 そしてもうひとつが、徳川慶喜が東京に30年ぶりに戻ったこと。

 1897年(明治30年)のことだった。

 徳川慶喜はそんなに長く静岡にいたのだと知る。

 徳川慶喜が亡くなるのは、1913年(大正2年)。

 次回は徳川慶喜と渋沢栄一が濃密に接する。

 徳川慶喜の伝記作成が始まる。

 


 

番画〈545〉〈547〉:初号機で発見生活の変化 伊能忠敬の紹介動画 フィッシャーズまたもアスレチック挑戦

        

今日は令和3年12月5日。

   

番画です。

   

〈545〉「池上彰のニュースそうだったのか!!」

  (2021年12月4日放映)

  

〇「初号機」で発見 生活の変化 この先は?

〇さまざまなものの第1号機「初号機」が紹介された。

〇洗濯機

 初号機は1930年(昭和5年)誕生。

〇掃除機 

 初号機は1931年(昭和6年)誕生。

〇冷蔵庫 

 初号機は1930年(昭和5年)誕生。

〇電子レンジ

 初号機は1961年(昭和36年)誕生。

 当時の値段で125万円。現在の価格で約663万円。

〇これらの家電の進化によって、女性の働き方が大きく変わった。

 共働きが当たり前になってきた。

〇テレビ

 カラーテレビの発売は1960年(昭和35年)

 初号機は1953年(昭和28年)誕生。

〇携帯電話

 1985年(昭和60年)ショルダーホン

 初号機は1987年(昭和62年)誕生。

 1994年から携帯電話は買い取り制になった。

 それまでは高価だったのでレンタルだった。

〇パソコン

 昔は電話回線でつないでいた。

 接続に時間がかかった。

 AIによって代替される仕事。生き残る仕事。

 生き残る仕事の中に保育士があった。わが娘の仕事は大丈夫だ。

〇お金を下ろす機械

 初号機は1969年(昭和44年)誕生。

 決まった金額しか出てこなかった。

 キャッシュディスペンダー

 1975年(昭和50年)誕生。

 お金を下ろすだけの機械。

〇鉄道に関する機械

 かつては切符は駅員さんから買って、切符を改札で切ってもらった。

 券売機

 初号機は1926年(大正15年)誕生。

 改札機

 初号機は1967年(昭和42年)誕生。阪急北千里駅。

〇在来線特急「こだま」1958年(昭和33年)誕生

 東京大阪間を6時間半で走る。

 行ってすぐに帰ってくるので「こだま」 なるほど!

〇数年後に誕生するであろう乗り物 ドローンタクシー

 

これも授業で空いた時間に見せるのはいいなと思いました。

さすが池上彰さんの番組です。

  

  

〈546〉

【漫画】伊能忠敬の生涯~55歳から地球一周分を歩いた男~【日本史マンガ動画】
YouTube: 【漫画】伊能忠敬の生涯~55歳から地球一周分を歩いた男~【日本史マンガ動画】


〇伊能忠敬が天文学の師としたのは高橋至時(よしとき)。

 高橋至時は41歳で亡くなった。

 伊能忠敬の墓は、高橋至時と同じ場所上野源空寺にある。

 本人の希望による。

〇授業では「歴史にドキリ」を見せるが、この動画でも勉強になった。

 伊能忠敬は隠居後に天文学を学んだ。

 私は退職後、何を学ぶかだ。

 動画編集を学ぶのもいいなと思い出した。 

   

   

〈547〉フィッシャーズ

絶対に落ちてはいけない難関アスレチックに挑んだら指ぶっ壊れた!!!
YouTube: 絶対に落ちてはいけない難関アスレチックに挑んだら指ぶっ壊れた!!!


〇CROSPO八王子店にやってきたフィッシャーズ。

 ここでもアスレチックに挑戦している。

 施設にとっては、フィッシャーズが挑戦して

 動画にアップしてくれることで、宣伝になるのだろう。

   

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