2024年1月19日 (金)

20240114本宮山登山④ 登山道と新東名がクロスする場所

   

今日は令和6年1月19日。

  

本宮山登山のお話もラスト。

  

天狗岩で眺望を楽しんだ後、また下り始めました。

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登山道から、下の方に不動尊があるのがわかりました。

赤い幟が目立ちました。

  

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今度は、不動尊を下から見ました。

この砂防ダムの左手から、不動尊に上る道がありましたが、

今回は行きませんでした。

  

注目の場所が近づいてきました。

登山道が、新東名とクロスする場所です。

地図では、ループしています。

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このループがどんな感じなのか楽しみでした。

そして見ました。

これが実際のループです。

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地図通りのループでした。

もっと新しい道かなと思っていましたが、

もう年季が入った道になっていました。

新東名を設計した人は、登山道の高さを誤ったので、

ループを造ったのかな。

そんなことはないよね。

新東名はこの高さにするしかなく、

登山道をループにしたのでしょう。

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施工年月が「2011年3月」とあります。

このトンネルは2011年に造られたのかな。

思ったよりも昔です。

  

過去が知りたいと思い、ネットで探しました。

2013年の写真がありました。

FC2HP 本宮山から写真転載。

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新東名は工事中で、ループは舗装されていません。

きっとこの時、トンネルはできていたのでしょう。

この新東名が開通したのが2016年2月でした。

もう8年かあ。

つい最近のことのように思えるのになあ。

  

下山したのは午後3時20分。

ほぼ7時間、歩きました。

心地よく疲れました。  

  

  

20240114本宮山登山③ 16年ぶりのコースで下山

   

今日は令和6年1月19日。

  

前記事に引き続き、本宮山登山の話。

  

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今日はいい天気だから、きっと富士山も見ることができる、

そう思って富士山遥拝所へ。

やっぱり見えました。

冬のこの時期が、空気も澄んでいるし、

富士山も雪化粧をしているので、

富士山を見るのには、最適な時期です。

とは言っても、見られないこともあるので、幸運です。

  

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今回、下山で選んだコースは陽向滝不動尊コースです。

「陽向滝」は何と読むのか?

本宮山の滝

ここに読み方が載っていました。

「ようこうたき」と読むようです。

  

このコースは、以前、下ったことがあります。

このコースを下りて行って、

登山口近くに大きな田んぼがあって、

キリ(桐)の木がある、そんな記憶がありました。

それは何年前のことか?

ブログを書き始める前か、後か?

調べてみました。

判明しました。

2008年春のことでした。

16年前。ブログを書き始めた翌年でした。

ここでも道草 「大きな葉っぱで、薄紫色の花が咲く木」は「桐」(2008年5月24日投稿)

この時に、キリ(桐)を知ったのです。

これが花札でお馴染みだったキリ(桐)なんだと。

もうあれから16年かあ。

今回、田んぼは確認しました。

キリはわからなかったです。

   

  

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脇道に入って、天狗岩に行きました。

16年前は行かなかった場所です。

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ここは展望のいい場所でした。

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新城市方面が見渡せました。

この天狗岩付近で、不思議なことがありました。

天狗岩に到着した時からずっと縦笛の音が聞こえたのです。

縦笛を吹きながら登山をする奇特な人もいるのかな、

今にこの天狗岩にやってくるかなと思いましたが、

縦笛の音は近づいてきません。

ずっと同じ音量で聞こえてきます。

いろいろな曲を吹いていました。

聞いたことがある曲もありました。

音のする方を見ましたが、木立のために人間らしき姿を

見ることができませんでした。

山に来て、遠慮なく笛の練習をしているのかな。

でも、ここまで登ってくるのは大変だぞ。

もっと低いところでもいいのでは。

もしかして、この音が聞こえているのは自分だけ?

同行者に聞いたら、聞こえているよと教えてくれました。

自分はすごく気になったのに、同行者の方たちは、

それほど関心がないようだったので、

思わず聞いてしまいました。

いろいろ付近を歩きましたが、その音を出している人を

見ることはできませんでした。

天狗岩から離れたら、その音は聞こえなくなりました。

不思議な出来事でした。

  

帰宅して検索してみました。

「本宮山 笛の音」「本宮山 笛の音 天狗岩」

同じような体験を見かけませんでした。

続く   

  




   

  

20240114本宮山登山② 初めて馬の背平に立つ

   

今日は令和6年1月19日。

  

1月14日の記事の続きです。

1月14日に今年2回目の本宮山に登ってきました。

その報告。

  

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今日のコースで2ヶ所、こんな可愛い標識がぶら下がっていました。

  

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本宮山に何度か登ってきましたが、

今回のコースは初めてであるし、

この「馬の背平」という場所も初めてです。

  

ここを少し登った場所から、遠くの雪山が眺められました。

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望遠レンズがあれば、雪山のアップが撮れたであろうに。

今現在の自分のカメラはスマホのみ。

この写真を部分的にアップします。

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何という山なのでしょう。

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こちらの山もしっかり雪が載っています。

けっこう高い山かな。

 

でも今日はきっと富士山が見えるぞと思わせてくれた好天気でした。

  

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この冬、初めて見た雪です。

登山日前日に降ったと思います。

  

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岩戸神社。

かつて、ここに向かって上がってくるコースで登ったことがあるな。  

  

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頂上下の広場。今日の目的地です。

3時間半かかりました。

今回のコースは、表参道に比べて、

なだらかだけど、長いコースでした。

快適に歩けました。

  

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風もなく、日向ぼっこをしながらの昼食でした。

贅沢な時間でした。

  

この広場から、奥宮に行くのには、

普通、回り込んでいくのですが、

今回は谷を降りて、上がるコースでした。

これも初体験。

そんなコースはあるんだろうなとは思っていましたが、

ありました。

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谷底には、こんな貯水槽がありました。

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そしてここに出てきます。

なるほど、なるほど。

本宮山のまた新しいことを知りました。

  

続く

2024年1月18日 (木)

本「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」⑤ コーダが主人公のドラマ・映画

  

今日は令和6年1月18日。

   

前記事に引き続き、

「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」

(丸山正樹著/文春文庫)より引用します。

  

〈それでは、あくまで、聴者はもちろん中途失聴・難聴者はろう者の

ことは理解できない、とおっしゃるんですね>

石黒はなおも食い下がっていた。

〈そうですね。ただ、一つだけ、例外的な存在がいます。「コーダ」

の場合です>

その言葉に、荒井はハッとして壇上の素子を見つめた。

〈コーダ、つまり「両親ともにろう者である聴こえる子」の場合、音

声日本語より前に、日本手話を自然に習得します。ろう文化も同様に

自分のものとします。たとえ音声日本語を話す「聴者」であっても、

本質的に彼らは「ろう者」であると言えます>

Children of Deaf Adults (ろう者の親の子ども)の略である

「Coda コーダ」 という呼称は、十四、五年前に米国から入ってきた

言葉だった。

それまで、「ろう者を親に持つ聴こえる子」のことを指す言葉はなか

った。言葉がないということは、存在しないも同じだ。ろう者の親か

ら生まれる子の多くは「聴こえる子」であるから、そういう存在は珍

しくないはずだった。 しかし荒井自身、自分以外のそういう子と接し

た経験がなかった。

(128p)

  

ここで出てきた「Coda」(ろう者の親の間に生まれた聴こえる子)

実はこのCodaが主人公の映画を、12月末と1月初めに2本見ました。

フランス映画「エール!」(2014年フランス)と

アメリカ映画「コーダ あいのうた」(2021年アメリカ)です。

「エール!」のリメイク版が「コーダ あいのうた」です。

それを比較した動画がありました。

これはありがたい。


YouTube: フランス映画『エール!』とリメイク映画『コーダ あいのうた』を比べてみた

概ね賛成意見です。

ただ。両方に出てくる音楽の先生に触れられていません。

両方とも個性的な俳優さんでした。

主人公の女子高生を羽ばたかせる重要な役。

クライマックスの歌の試験で、

慌ててやってきて楽譜を持ってきていない主人公。

伴奏者が楽譜がなくてはピアノを弾くことができないと言い、

試験官は、主人公にアカペラで歌うことを告げます。

そこに駆けつけてくれたのが、音楽の先生。

弾いてくれるんですね。

主人公のために。

緊張している主人公を落ち着かせるために、

最初はわざと引き間違えます。

主人公に合図して、「もう一度最初から弾きます」と言って

弾き始めます。

  

「エール!」をベースに、より感動的にしたのが

「コーダ あいのうた」だと思います。

  

   

おさらいです。

  

12月にドラマ「デフ・ヴォイス」の前編再放送の一部を見る。

ドラマの評判がいい。

原作を読みたいと図書館に予約。

「デフ・ヴォイス」の主人公のようなCodaが主人公の映画が

あると知る。

映画「Coda あいのうた」を観る

映画「Coda あいのうた」は映画「エール!」のリメイクだと知る。

映画「エール!」を観る。

図書館で本「デフ・ヴォイス」を借りて読む。

2月にNHKのドラマ「デフ・ヴォイス」(前後編)を観る予定。

本「日本手話とろう文化」(木村晴美著/生活書院)を読む予定。

  

勉強の面白い流れができてきました。

本「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」④ ろう者は二つの言語を持ちもち二つの文化を知る存在

  

今日は令和6年1月18日。

   

前記事に引き続き、

「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」

(丸山正樹著/文春文庫)より引用します。

  

う〜ん、長いけど引用します。

とにかく今まで知らない世界、

勝手にこうだろうと思っていた世界のことが

書かれた本です。

そんな役割をこの本で感じます。

では引用。

  

「Dコム」と素子がなぜ、ろう者を語る上で欠かせない存在になった

のか。

その理由は、数年前に素子が日本手話研究会理事長の宇津木と共同で

思想誌に掲載した、

「デフ文化宣言」

なる一文にあった。 そこで素子は、

「日本手話は『Deaf (デフ) = ろう者』の母語であり、ろう者とは、

日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」

と宣言するとともに、「Dコム」を結成し、「Deaf (デフ) =ろう者」

と「日本手話」の存在を世間に知らしめるべく運動を始めた。

ここで、ろう者を表す英語のスペルの頭文字が、小文字ではなく大文

字の "D" であることには意味がある。

素子たちが模範とするのは、一九七〇年代にアメリカのろう者たちが

起こした「デフ・コミュニティを言語的少数者、文化的集団と捉える

運動」だった。彼らは、自分たちの集団を「耳が聴こえない」ことに

よってではなく、言語(手話) と文化を共有することによって成り立つ

社会とした。その際、英語で耳の聴こえない人のことを表現するdeaf

という単語の頭文字を大文字にし、Deafという言葉を、新たに彼らの

コミュニティのメンバーを指すものとした。

素子たちもそれに倣い、自分たちはdeaf (単に耳が聴こえない者)では

なく、 Deaf(ろう者)なのだと主張するに至った。

その主張の中心は、それまで「障害者」という病理的視点からのみし

か語られていなかったろう者を、「独自の言語と文化を持つ集団」と

してとらえ直したところにある。

つまり、ろう者にとっての言葉とはあくまで「日本手話」のことであ

り、「日本語」は「第二言語」に過ぎない。 文化もまたしかり。 従

って、日本手話と同時に日本語も解し、日本文化も受容するろう者は、

二つの言語を持ち二つの文化を知る「バイリンガル・バイカルチュラ

ル」な存在として定義される。

それらの主張には、これまで障害者として健常者より劣った存在とさ

れてきたろう者に、誇りと自信を取り戻させる、いわば「民族独立宣

言」としての意義があった。

だがその急進的な主張は、聴者・ろう者の両方から、激しい異議と批

判を巻き起こすことにもなった。

真っ先に異議を唱えたのは、同じ聴覚障害者仲間であったはずの中途

失聴・難聴者たちだった。Dコムの主張によれば、ろう者の言語は日

本手話のみであり、日本語と同じ文法を持つ日本語対応手話や、手話

に日本語の発声を交えて行うこと――それは「シムコム」と呼ばれた

は排除される。日本語対応手話は言語的には手話ではないので「手指

(しゅし)日本語」と表記するのが正しい、という向きさえあった。

すなわち、それらの言語を用いる中途失聴・難聴者は「ろう者ではな

い」と定義されることになってしまうのだ。 彼らが怒るのは当然だっ

た。また、他の障害者運動に関わる者たちから、「自分たちは障害者

ではない」と主張することは障害者を差別することにつながる、とい

う批判がなされた。

さらに、長年ろう教育に携わってきた人たちからは、Dコムが掲げる

「日本手話至上主義」に対し、強い懸念が表明された。一つには、ろ

う児の親の多くは聴者であり日本手話が話せない人たちであることを

踏まえ、親子関係、家族間を断絶させるものにならないか、という危

惧。第二には、聴覚口話法やトータルコミュニケーションの可能性を

否定することで、ろう児が「日本語習得」の機会を逸してしまうこと

にならないか、という憂慮だった。さらに、先天性の失聴者の中でも

最近は日本語対応手話を使うことに違和感がない、むしろそちらの方

がコミュニケーションをとりやすいと感じている者もいる、という意

見もあった。

それらの異議・批判に、素子たちはことあるたびに応えてきてはいた

が、噛み合わないまま議論は平行線をたどっていた。そこで、ろう者

の問題に関わる者たちが一堂に会し、「ろう者とは何か」をはっきり

させようではないか、と催されたのが今日の集まりだったのだ。

(122〜125p)

  

これは小説の中での架空の話ではないと考え、調べてみました。

Wikipedia ろう文化

ここが参考になります。

小説では「D文化宣言」とありましたが、

Wikipediaの記述では「ろう文化宣言」のようです。

そしてこの宣言を出した一人が木村晴美さんです。

もしかしたら、この人が素子のモデルでしょうか。

  

木村晴美さんは著作があります。

その中で、この本が、上記の引用文の内容に近いと考えます。

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「日本手話とろう文化」(木村晴美著/生活書院)

この本、幸いにも地元図書館にあったので、

先ほど予約しました。

  

ろう者はこんなに考えて、世の中に働きかけていることを

知りたいと思いました。

本「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」③ 家族の中で唯一のろう者の苦しみ

  

今日は令和6年1月18日。

   

前記事に引き続き、

「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」

(丸山正樹著/文春文庫)より引用します。

  

そんな彼らを見ていて、再びあの感情が蘇る。

兄たち家族とて、この手のレストランに来るのが初めてということは

ないだろう。その際にも、今のように意思の疎通に不自由を感じる場

面はあっただろうが、自分たちだけで何とか切り抜けたはずだ。

だが、自分がいると「聴こえるろう者」である荒井がいると、何のた

めらいもなく彼らは自分に頼る。通訳をさせ、交渉事を任す。

親とて、そうだった。

荒井は、幼いころから嫌というほど 「家族と世間」との間の「通訳」

をしてきたのだった。 買い物や遊びに行った先で。 学校の親子面談

では教師と親の間に入って。 銀行や役所に連れて行かれたこともた

びたびあった。

だが、一番つらかったのは、と思い出す。

母と一緒に病院へ、父の検査の結果を聞きに行った時だった。最初は

筆談でそれを母に伝えようとしていた医師だったが、走り書きの悪筆

を母がなかなか読めず、 結局荒井が医師の言葉を母に伝えることにな

ったのだ。

荒井ははっきりと覚えている。 医師が困ったように、だが、仕方がな

い、という顔で口にしたその言葉を。

お父さんは、末期の肺ガンです。 もって半年。おそらく今年いっぱい

もたないと思います。

荒井は、それを母に伝えた。母は、信じられないという顔で、医師に

もう一度確かめるようにと言った。そしてそれが本当のことだと悟ると、

顔を覆ってその場で泣きだした。

荒井は泣けなかった。

しっかりしなければ。自分がしっかりしなければ、とそれだけを思っ

ていた。彼はまだその時、十一歳。今の司とほとんど同じ年だったの

だ。

(97〜98p)

  

まだ小学生なのに、家族のために「家族と世間」の通訳をしなくては

ならない立場。

そして父親の末期ガンを伝えなくてはならなかった体験。

今まで知らなかった立場の人です。

  

その時、 「ママ、 あっち、あっち」とはしゃいだ声とともに、荒井た

ちのテーブルの脇を三、四歳の子どもが駆け抜けて行った。

そんなに走ったら危ないぞ、と思わず目で追う。

案の定、子どもが転倒した。今までの元気はどこへやら、火がついた

ように泣きだす。すぐに母親らしき女性が駆け寄って抱き起こしたが、

子どもはなかなか泣きやまない。そんな子どもを、母親は懸命にあや

している。

その光景をぼんやりと眺めていた荒井の脳裏に、幼いころの記憶が蘇

った。

今の子どもと同じぐらいの年齢ではなかったか。道を走っていて、思

い切り転倒したことがあった。前を歩く母親に駆け寄ろうとしていた

のかもしれない。とにかく母親がすぐ前を歩いていたことは確かだ。

荒井は、泣いて、母親を呼んだ。だが母親は、振り向きも、立ち止ま

りもしなかった。荒井はさらに大声で泣き喚いた。それでも母親は気

づかず、歩いて行くだけだった。

ああ、お母さんは聴こえないんだ。

遠ざかっていく後ろ姿を見ながら、 荒井はそのことを思い知った。

同時に、学びもした。転んで泣いても、誰も助けてはくれないのだと。

それから彼は、転んでも泣かない子になった。

泣いて助けを求めても、その声は誰にも届かない。ただ我慢するしか

ないのだ。そして、立ち上がり、自分で歩きだすしかないのだ。

(102〜103p)

  

これも想像できない、想像したことがない状況だと思います。

大声で泣いても無駄であることを知った子どもは、

「自分で歩き出すしかない」と思うだろうな。

  

片貝のピッチは、さらに上がっていった。それにつれ、彼の手話も

饒舌になっていく。

荒井は、もっぱら聞き役に徹することにした。

〈私は〉〈三歳の時にかかったはしかが原因で〉 〈聴こえなくなっ

たんです〉

酔うにつれ、片貝は自分のことを語り始めた。

〈両親は〉〈私に〉〈あらゆる治療を試した〉 〈でも〉 〈治らな

いと悟ると〉〈今度は〉〈何とか近づけようとした〉 〈「聴こえ

る子」に〉

グラスに残ったビールを一気にあおり、再び手を動かす。

〈補聴器〉〈人工内耳〉 〈聴覚口話法〉 〈インテグレーション〉

次々と単語が出てくる。

<ご存知ですよね?〉

荒井は肯いた。人工内耳とは、内耳に電極などを埋め込み、直接

聴覚神経を刺激することで聴こえを補助するもので、中途失聴者、

特に子どものうちに手術をすればかなりの効果があると言われて

いる。

インテグレーションとは「統合教育」の意味で、ろう児がろう学

校に通わないで、地域の普通学校で学ぶことをいう。三十年ほど

前から盛んになった教育法で、片貝などはインテグレーションを

受けた最初の世代になるのかもしれない。

〈ろう学校で〉〈私の聴覚口話法の成績は〉〈トップクラスでし

た〉 〈でも〉〈普通学校にインテグレートした後は〉〈想像が

つくでしょう?〉

荒井が肯くのを見て、片貝は続ける。

〈いくら〉〈ろう者社会の中では〉 〈「話すのが上手」でも〉

〈聴者社会にあっては> <「変なしゃべり方をする子」でしかな

い〉〈特に子どもは正直だから〉

片貝はそこで寂しげな笑みを浮かべた。

〈それからです〉〈本気で〉〈死に物狂いで〉 〈勉強を始めたの

は〉〈負けたくなかった〉 〈聴者の子どもたちに〉〈日常の会話

では〉〈敵わなくても〉 〈机上の勉強では〉〈彼らに追いつき〉

〈追い抜くことができる〉〈いや〉〈絶対に追い抜いてみせる〉

少し目をすがめるようにしてから、再び続ける。

〈テストで一番をとった時〉〈両親はもちろん喜んでくれました〉

〈でも〉〈私には分かった〉 〈両親にとって一番嬉しいのは〉

〈私が成績優秀になることではなく〉〈「普通の子」になること〉

〈「聴こえる子」になってくれることだった〉

〈両親がありのままの私を受け入れてくれることは〉〈ついにあ

りませんでした〉 〈両親が手話を覚えることも〉〈なかった〉

〈私たちは〉〈結局一度も〉〈まともに会話したことさえなかっ

たんです〉〈私は常に〉〈「損なわれた子」だったんです〉

間断なく動いていた片貝の手が、ふいに止まった。

(107〜108p)

  

ドラマでこの片貝役の人の演技に注目したいです。

この場面、家族の中で唯一ろう者の立場の苦しみが、

酔った勢いで感情的に表現されることでしょう。

どんな手話なのか、どんな表情なのか。

  

本「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」② 私たちの味方?それとも敵?

   

今日は令和6年1月18日。

   

前記事に引き続き、

「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」

(丸山正樹著/文春文庫)より引用します。

  

「時間だ」

係員が告げ、 門奈を促した。 門奈が哀しそうな眼で立ち上がる。彼と

妻が名残惜しそうに別れの言葉を交わしている時だった。

年少の娘が、何か言いたげに荒井の眼をとらえた。

見返すと、少女の手がふいに動いた。

〈おじさんは、私たちの味方? それとも敵?〉

ハッと胸を突かれた。すぐには応えられない。 娘は、射るような視線

で荒井のことを見つめていた。

門奈の妻が出口へ向かい、二人の娘に手を差し伸べる。 年少の娘も踵

を返すと、差し出された母の手をとり、部屋から出て行った。

「あの娘、何を言ってたんだ?」

係員が目ざとく尋ねてくる。

「ああ私に、おじさんも警官なの? と訊いてきただけです」

咄嗟にそう答えてごまかした。係員も、「そうか」とそれ以上追及し

なかった。(中略)

あの時、門奈の娘が自分に向けた、射るような視線。そして、手話。

〈おじさんは、私たちの味方? それとも敵?〉

自分は、どちらなのだ?

答えられるはずもなかった。

それは、物心がついてから今まで、ずっと纏わり続ける答えの出ない

問いなのだった。

(82〜83p)

  

この場面を私は見ました。

12月の前編再放送で見たのはこの場面です。

ちょっとドキドキした場面でした。

小説でもいい場面です。

主人公は、父母兄がろう者で、家族で一人聴者という状況で

育ちました。

だから「日本手話」ができるようになったのです。

   

木工所で建具職人として働く兄のからだは相変わらず頑強そうで、そ

の指は太く節くれだっている。妻の枝里は長かった髪を肩のあたりで

ばっさり切っていたが、それ以外は少しも変わっていない。唯一大き

な変化を見せているのは、やはり息子の司だ。以前会った時は小学校

に上がったぐらいだっただろうか。その頃よりは十センチほども背が

伸びたようだった。

三人とも読経を拝聴する形をとってはいるが、彼らの耳に住職の声は

届いていない。

兄の一家は、「デフ・ファミリー」と呼ばれる、家族全員が生まれつ

いてのろう者の一家だった。

(90〜91p)  

  

「デフ」とは?

調べました。

英語です。deafと書いてデフ。

意味は、聞こえない人、聞こえにくい人。

  

親の日本語の文章がどこか変だというのは、小学生の頃から何となく

気づいていた。荒井の通っていた小学校には、担任から家庭への便り

というようなものがあり、親からも返信が義務づけられていた。母が

書いたものを提出前に読んで、おかしな表現をと手直ししたのは一度

や二度ではない。それは、助詞や接続語が抜けがちというろう者の特

性から来るものであり、恥ずべきことではないと理解はしていた。

だが、そう思い切れなかったことも確かだった。

自分の親は、人の親より知能が劣っているのではないか。そしてその

子どもである自分もまた、同じなのではないか。否応なしに湧いてく

るその不安を打ち消したくて、必死に勉強をした。 荒井の成績は、

小・中・高を通し、常にクラスで上から五番を下ることはなかった。

だからといって大学などに行けないのは分かり切っていた。その頃に

は父はなく、兄が働いてはいたが、障害者世帯で母子家庭、という家

の状況を考えれば高校まで通わせてもらえたのが奇跡のようなものだ

ったのだ。

(91〜92p)

  

家族の中で、一人だけ聴者の環境。

予想ができないような苦労があるのでしょう。

この小説で、少しは触れることができました。

   

本「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」① 話せないわけではないので「ろう者」

   

今日は令和6年1月18日。

   

NHKのドラマ「デフ・ヴォイス」の評判が良かった。

私は前編の再放送を、偶然少しだけ見ました。

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NHK HP

手話に関するドラマで、サスペンスものなんだと思いました。

でも最初から見ていたわけでもなく、

まあいいかと思ってそれ以上は見ませんでした。

その後、このドラマのことがネットニュースに出ていて、

いいドラマだったと評している人が多くいることがわかりました。

NHKもたくさんのドラマを量産していますが、

そうは見てはいられません。

でも、いいドラマだと知ると見ておけばよかったと思います。

せめて原作を読もうと考えて、さっそく読みました。

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「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」

(丸山正樹著/文春文庫)

  

うん、面白い本でした。

これならドラマも面白かっただろうなと想像しました。

(うれしいことに、再放送があります。2月4日・11日です)

引用していきます。

  

話しながら荒井は、この青年に好感を抱き始めていた。田淵が最初か

ら、「聴覚障害者健常者」という言葉を使わず、「ろう者・聴者」と

いう表現をしているからだ。

もう何年も前から、公的な場や文書などでは、「聴こえない者」のこ

とを呼ぶのに「聴覚障害者」という表現を使うようになっていた。以

前は、「聾唖者」という言葉が使われていた。「聴こえる者」のこと

は、「健常者」もしくは「健聴者」と表現することが多い。

これに対し、「聴こえない者」の側は、自らを称するのに「ろう者」

という表現を好んで使う。かつての「聾唖者」から「啞」(=話せないこ

との意)を除いたのは、「自分たちは聴こえないが話せないわけでは

ない」という意思の表れだ。そして、その逆は「健聴者」と言わずに

「聴者」と言う。単に「聴こえる人」という表現だ。

ろう者側は当たり前のように使うこの二つの言葉だが、一般的にはあ

まり浸透していない。ろう者という表現を差別語のようにとらえてい

る者もまだ多かった。 派遣センターでも、おそらく文書や公の場など

では「聴覚障害者健常者」という表現を用いているに違いない。しか

し、この青年は、ろう者のメンタリティを理解した上で、きちんと自

分で言葉を選んで使っている。そのことに荒井は好感を覚えたのだっ

た。

(27〜28p)

  

知らない世界を教えてくれる小説でした。

ろう者にとって「ろう者・聴者」がいいのですね。

なぜそうなのかは、この文章でよくわかります。

「話せないわけではない」という気持ちで、

「啞」を取り除いたなんて、ろう者の意地を感じて、

いいなと思いました。

一口に手話といっても、実はいくつか種類がある。

一般的に知られている手話- -日本語に手の動きを一つ一つ当て嵌めて

いく手法は、正確には「日本語対応手話」と呼ばれるものだ。聴者が

手話サークルや手話講習会などで学ぶのはほとんどがこれで、自然、

手話通訳士が使用する手話も同様になる。

これに対し、ろう者が昔から使っているものは、「日本手話」と呼ば

れ、日本語の文法とは全く違った独自の言語体系を持っている。従っ

て、生まれた時から使っているろう者でなければその習得はかなりの

困難を極め、聴者はもちろん、 難聴者や中途失聴者などでも使いこな

せる者はまれだった。

逆にろう者が「日本語対応手話」を理解するにはいちいちそれを頭の

中で 「日本手話」に置き換えなければならず、「何とか理解はできる

もののかなり疲れる」というのが本音のようだった。

両者の違いの一つに、「日本手話」ではNMS(非手指動作)と呼ばれる

「顔の表情や眉の上げ下げ、口の形や肯いたり首を振ったりする頭の

動き」などが重要な意味を持つ、ということが挙げられる。これらの

表現によって、ただの単語の羅列ではなく、疑問形や命令形、使役形

などの文法的意味を持たせることができるのだ。さらにそれに、視線

や間の取り方、動作の強弱・緩急などを使って、実に豊かな表現が可

能になる。  

(35p)

  

これも新しい知識。

私が知っている手話はおそらく「日本語対応手話」

それが一択と思いきや、「日本手話」というのがあるんですね。

顔の表情などを使って、豊かな表現ができるのは、

それは魅力的です。

ろう者には、その方がいいでしょう。

今度のドラマの再放送で、その「日本手話」を見ることができるのかな。

楽しみです。

  

こんな動画を見つけました。

再放送を見る前に、こういう動画を見て、

再放送を見ることを充実させたいです。


YouTube: [ロングver.] ろう者・難聴者が語る!ドラマ【デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士】主演・草彅剛 | 12/16(土)、23(土) 夜 10:00~放送 | NHK

このドラマのオーディションがあって、

ろう者が挑戦していたのですね。

2024年1月17日 (水)

今日の授業 社会が2時間 理科が1時間

   

今日は令和6年1月17日。

  

今日の授業は社会2時間、理科1時間です。

  

最初の社会は、5年生2人です。

冬休みの宿題で出した首都の暗記が

どこまでできたかチェックしたいです。

この時に見つけた動画を使います。

ここでも道草 今は動画がいい/チャンネル「Educational Quiz」(2023年12月19日投稿)


YouTube: 【首都クイズ 50問】 レベル1 (この国の首都は?) ◉National capitals ◉世界の首都 ◉知育 ◉教育 ◉こども向けアニメ


YouTube: 【首都クイズ 50問】 レベル2 (この国の首都は?) ◉National capitals ◉世界の首都 ◉知育 ◉教育 ◉こども向けアニメ


YouTube: 【首都クイズ 50問】 レベル3 (この国の首都は?) ◉National capitals ◉世界の首都 ◉知育 ◉教育 ◉こども向けアニメ

  

その後、愛知県の水産業の勉強。

ガザニ(ワタリガニ)が遊泳脚を使って

泳ぐ動画を見つけました。

カニが泳ぐシーンというのは、珍しいですよね。

これも見せたい。一瞬です。


YouTube: 泳ぐワタリガニ

地図でどんな魚介類が取れるか見て、

魚介類を漢字で書いてみることをやろうかな。

  

  

社会の2時間目は洗濯場踏切のことをやります。

後日見学に行く予定。

グーグルアースで迫らせたい。

洗濯場の遺構を見せて、今度見学に行くよと言います。

ここでも道草 7年ぶり「洗濯場踏切」が解決しました(2023年12月16日投稿)

そして、洗濯場に生えているハッカ。

私はハッカ油を持っているので、体験させたい。

ここでも道草 6月20日 ちょっとハッカにくわしくなった日(2013年6月21日投稿)

  

理科はハレー彗星。

そして太陽の影の長さ。

冬至を過ぎて、太陽の高さがまた上がってきたことを

示したい。

ここでも道草 令和6年初日の出/半年の影の長さの変化(2024年1月3日投稿)

  

今日は5時間授業なので、

いつもは4時間目からのお仕事ですが、

今日は3時間目からです。

もうすぐ出勤します。

今日も頑張るぞ。

今時の洗濯板、往年の洗濯板

   

今日は令和6年1月17日。

  

百均で買った洗濯板の写真を載せます。

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「曲がる洗濯板」と書いてあります。

つまり、洗濯板に汚れた靴下などの布地を

洗濯板の溝に押し当てて、洗う仕組みなのです。

昔の洗濯板の使い方ではNGだったやり方で

洗うのです。

プラスチックで、布地に優しくなったことが、

大きな理由でしょう。

  

こんなのも売っていました。

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左は「曲がる洗濯板」の裏面です。

右の洗濯板は、コンパクトです。

そしてこの洗濯板も、取っ手がついているので、

たとえばその取っ手を左手でつかみ、

右手で布地を溝に押し当てて洗うやり方です。

 

やっぱり普通はそうやって考えますよね。

あの溝は、布地を押し当てて、洗うものだと。

先日に記事で使ったカットも、その発想です。

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でも、実際は違いました。

材質が木だと、布地が傷んでしまうからです。

これは意外でした。

  

木の洗濯板がないかなあと、いろいろな人に声をかけました。

持っている人がいました。

山仲間のKさんです。

メールで、洗濯板があることを教えてくれて、

写真も添付されていました。

Photo

また届けてくれるというので、楽しみです。

授業で子どもたちに見せたいです。

最近の写真

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楽餓鬼

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