20250720裸山登山④ 山梨県は「国中」と「郡内」に分かれる
今日は令和8年7月21日。
この記事の続きです。
ここでも道草 20250720裸山登山②/グンナイフウロの「グンナイ」の疑問(2026年7月19日投稿)
グンナイフウロの「グンナイ」は、「この辺りの地名」と
昨年、地元の人に聞きましたが、詳しく調べていませんでした。
でも、調べてみて、愛知県が三河と尾張に分かれるように、
山梨県も当初は3つ、戦国時代以後、2つの地域に分かれることを
知りました。
まずはこの動画。
YouTube: 【国中VS郡内】山梨県民のタブーに歴史的観点から調査!そこには戦、裏切り、分割の歴史が…信玄公が山梨統一のシンボルである理由も
この動画によると、戦国時代に山梨県は3つに分かれていました。
当時は甲斐国(かいのくに)と言われていました。
国中と呼ばれていた地域を武田氏が治めていました。
郡内と呼ばれていた地域を小山田氏が治めていました。
河内と呼ばれる地域を穴山氏が治めていました。
この3つの地域を統一したのが、武田信玄の父である
武田信虎でした。
武田信玄の家臣には、小山田信茂と穴山梅雪がいました。
信玄亡き後、武田勝頼を見限った穴山梅雪は、
徳川・織田軍に加わります。
穴山梅雪は、本能寺の変の後に、家康と逃避行中に、
命を失います。
武田勝頼が力を失い、最後に頼った小山田信茂は、
勝頼が郡内の領地に入ることを許しませんでした。
勝頼は自刃し、武田家は滅亡。
小山田信茂は、長年仕えた武田家を裏切ったことを
甲斐を支配した織田信忠によって処刑されます。
江戸時代には2つの藩が治めます。
国中の地域は甲府藩。
郡内の地域は谷村(やむら)藩でした。
現在、藩は無くなりましたが、国中、郡内という呼び名は
残っているわけです。
続いてこのサイト。
つるのルーツ 山梨は甲府と都留の二大都市だった!? 郡内と国中という言葉のルーツ
このサイトによると、郡内の地域全体は都留郡と呼ばれていたそうです。
郡内の中心地は、現在の都留市の付近。
ここに谷村藩の中心があったそうです。
愛知県で考えると、名古屋市と豊橋市のような関係かなと思います。
ただ昨年、グンナイフウロの説明を受けた南アルプス市は、
国中の地域内であって、郡内ではありません。
昨年の説明では「この辺りの地名」と言われましたが、
正確には違うんだなと思いました。
グンナイフウロは、南アルプス市ではなく、
山梨県東部の郡内で発見された花であると想像できます。
1年ぶりに、解決できました。








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