20250126金勝アルプス登山① 磨崖仏/狛坂寺跡
今日は令和7年3月6日。
山の報告と本「仏像のフシギ」(田中ひろみ著/小学館)の
引用を兼ねた記事。
引用します。
滋賀県栗東市、金勝山(こんぜやま)山中の狛坂寺(こまさかでら)
跡にある「狛坂磨崖仏」は、約6×4mの花崗岩に彫られています。
像高約3mの阿弥陀如来坐像を中尊として、脇侍に観音菩薩と勢至菩
薩。周囲に三尊像ふた組と立像3体。制作年代ははっきりせず、奈良
時代とも平安時代ともされます。山道を約1時間歩いてたどり着く大
変な場所ですが、 栗東歴史民俗博物館に実物大のレプリカがあります。
(94p)
この摩崖仏、見てきました。
1月26日に行ってきました。
ぐるっと回って、1時間以上かけて磨崖仏前に立ちました。
その時の写真です。
狛坂寺跡の横に磨崖仏はありました。
ここに狛坂寺跡と磨崖仏の説明が書かれたものがありました。
この説明をここに書きます。
史跡 狛坂磨崖仏
指定年月日 昭和19年(1944年)6月26日
所有者 財務省
【磨崖仏】たて約6メートル、よこ約4.5メートルの花崗岩の磨崖面
の三尊像を刻み出す。格狭間(こうざま)を表す須弥壇(しゅみだん)
上の中央に宣字座(せんじざ)に座す如来像(にょらいぞう)、両脇
には蓮華座(れんげざ)上に立つ菩薩像を配している。その脇及び更
に上部には、七躯(く)の立・坐像が配されている。制作期について
は、狛坂寺創立期(平安時代初期)説もあるが、作風には統一新羅(
しらぎ)彫刻の影響が認められることから奈良時代後期、造像は渡来
系工人によるものと考えられる。
【狛坂寺】
嵯峨天皇の弘仁(こうにん)年中(810〜823)蒲生(がもう)
郡狛長者(こまちょうじゃ)の娘が金銅の観音像を檀林(だんりん)
皇后に献上し、これを時の名僧願安(がんあん)に下賜(かし)され
た。願安はこの観音像を金勝寺に安置したが、女人結界の霊地のため
女人の参拝が許されないので、この地に金勝寺の別院として一寺を建
立したのが狛坂寺の創立と伝えられる。創建以来金勝寺と共に繁栄を
極めたが、明治に廃寺となる。
平成15年2月
栗東市教育委員会
貴重な磨崖仏だったのですね。
基礎知識がなかったので、本で扱われるほどのものだったんだと、
「仏像のフシギ」を読んで思いました。
でも、基礎知識なくても、十分にインパクトがあった
磨崖仏でした。
こんな山の中に、磨崖仏があり、お寺があったのですね。
明治時代の政策「廃仏毀釈」は、とても残念なことだと思います。
このような歴史的に貴重なものが、消えてしまったのですね。
「廃仏毀釈」は、正義はわずかでもあったのか?
「廃仏毀釈」について勉強したくなりました。
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