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2025年1月30日 (木)

本「南海トラフM9地震は起きない」⑥ 「プレート説」に反対していた藤田至則さん 

  

今日は令和7年1月30日。

  

前記事に引き続き、

「南海トラフM9地震は起きない」

(角田史雄・藤和彦著/方丈社)

から引用していきます。

 
明治時代に始まった日本の地質学は、緻密に日本列島の地層や岩石

を調査し、それを独自の理論に沿って組み立て、日本列島の歴史を

描き出すまでになっていました。

プレート説は、前述したとおり観測事実に基づかない一種のイデオ

ロギーです。

「プレート運動がある」と仮定すると、地球上の地震や火山、造山

運動といった各種の現象を統一的に説明することができたからです。

しかし、日本の地質学には既に独自のパラダイムがありました。こ

の点がプレート説が登場する前に支配的なパラダイムが存在しなか

った欧米の地質学とは大きな違いでした。

日本の地質学者がプレート説に懐疑的だったのは言うまでもありま

せん。「日本の地質構造はプレート説では説明がつかない」と主張

し続けました。

プレート説に反対の立場をとっていた代表的な論客こそが新潟大学

の藤田至則氏でした。

藤田氏は「地磁気異常の縞模様が見つかっていない海洋底もある」

として「プレート説を根底から支えている海洋底拡大モデルが成立

しない」との批判を続けていました。

プレート説を普及しようとする者にとって日本の地質学者は「目の

上のたんこぶ」以外の何ものでもありませんでした。

「プレート説は表層のことしか説明できない。地球内部のダイナミ

クスや地球史の全体像を説明できる枠組みになっていない」「プレ

ート説を支持する人たちから、納得のいく地球誕生説を聞いたこと

がない」などと耳の痛い批判を受けた地震学者が味方にしたのは当

時の世相でした。

日本ではこの話題(プレート説)で持ちきりとなり、プレート説を解

説する一般向けの本が次々と出版されました。

(76〜77p) 

  

プレート説は、なるほどと思うところがあるものなので、

これは本当に地球で起こっていることだと思いました。

でも研究をしてきた人たちには、納得できなかったのでしょう。

藤田至則さんのお名前は何と読むのか?

大正12年に生まれ、82歳で亡くなったことは分かりました。

平成17年になるのかな。

藤田至則先生のご逝去を悼む

このサイトでPDFの文章が読めます。

その文章から引用します。

Img_0390


 

新潟に馴染みが深い、藤田至則先生が10月14日に食道癌のためにお亡

くなりになりました。享年82歳でした。

藤田至則先生は、大正12年千葉県山武郡鳴浜村(現成東町)でお生ま

れになり、東京青山師範学校、東京高等師範学校を経て、昭和23年に

東京文理科大学地質鉱物学科を卒業されました。

(中略)

先生は、常に野外における事実を何よりも大切にされ、それをもとに

しての仮説の発想と検証に全力を尽くされました。「地質学はフィー

ルドから。自分の目と頭で。フィールドが教師」、「本物の地質学で

ないと(社会で)役立たない」、「現場主義だ」など、折りにふれて

話されました。

  

こんな考え方の人が言うのだから、プレート説は危うい。

「南海トラフM9地震は起きない」の著者の一人、

角田史雄さんは、藤田さんの共著がありました。

角田さんは、藤田さんの研究を引き継いでいると予想されます。

  

名付けポン 至則

ここで読み方がわかりました。

Img_0389

世の流れが「プレート説」なのに、

自分の研究を信じて異を唱えていた藤田さん。

なかなかできることではないです。

もし、プレート説が間違いとなったら、

それに反対していたこの藤田至則さんの名前が

クローズアップされるかもしれないなと思いました。  

 

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