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2024年12月12日

2024年12月12日 (木)

20231123石田三成の兜/刀の種類

   

今日は令和6年12月12日。

  

前記事の続きです。

関ヶ原に向かっています。

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空が良かった。赤信号で停まった時に撮影。

  

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関ヶ原に到着。

ここの夕日も良かったです。

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岐阜関ヶ原古戦場記念館に行きました。

新しい施設でした。

令和2年10月オープンとのこと。

昨年行った時は、ほぼ3年の新品でした。

  

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撮影OKの場所では、撮影しました。

石田三成の鎧。

2本の角が目立ちます。

この鎧は、ドラマや映画でも有名です。

鎧には名前がありました。

刀剣ワールド 石田三成の甲冑

ここから引用します。

 

石田三成の兜として有名なのは、「乱髪天衝脇立兜」(らんぱつてん

つきわきだてかぶと)です。天高く伸びる2本の脇立と、鬼か夜叉を

連想させるような黒い乱れ髪が特徴で、ドラマなどで見られた方も多

いのではないでしょうか。

額を守る鉢以外は、全体を髪で覆われているため、まるで地毛のよう

にも見えます。この髪は、「ヤク」と言うチベットに生息するウシ科

の動物の毛を黒く染めた「黒熊」(こぐま)と呼ばれる物で、当時は

高級品として扱われていました。

現在、関ケ原町歴史民俗学習館に複製品が展示されていますが、本物

は現存せず、関ヶ原の戦いで着用されたかどうかも明確には分かって

いません。

  

そうか、自分は「鎧」と書いてきたけど、

「兜」が正解ですね。

「角」は「脇立」が良さそう。

あの黒髪も特徴なのですね。

兜の名前の最初も「乱髪」ですから、

ここが第一の特徴なのでしょう。

  

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昨年の大河ドラマは「どうする家康」でした。

賛否両論あるドラマでしたが、私は楽しみました。

  

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刀の部分の名前の中で、「鍔(つば)」について、

昨年こだわりました。

ここでも道草 「鰐(ワニ)」の「咢」について(2023年12月12日投稿)

びっくり、ちょうど1年前の記事でした。

「咢」には「驚く」「やかましい」「口を大きく開ける」の意味があり、

金偏に「咢」で、刀の「鍔」でした。

でも、写真に写っている資料の「つば」は

漢字が違うなあ。

「鐔」です。

この右側の部分の意味は何だろう?

「西」に「早」が組み合わされたこの文字。

訓読みだと「のびる」「ふかい」のようです。

Goo辞書

ちょっとピンと来ないです。

  

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普通の刀を「打刀(うちがたな)」と言うのですね。

実際にここで持ってみましたが、

思ったよりも、重たかったです。

次の動画が参考になりました。
 


YouTube: 4つの刀の種類 (太刀、打刀、脇差、短刀) Types of katana, Tachi, Uchigatana, Wakizashi, and Tantou


太刀(たち)は、馬に乗って利用する刀。

金具を使って腰に固定しました。

刀を抜いて、一度振り上げてから使いました。

  

打刀は腰の帯に差して使いました。

室町時代後期に、馬の上に乗って戦うやり方から、

集団戦に変わってきたので、

抜いたらすぐに使える形になりました。

  

脇差は、長さが1尺以上、2尺以下。

30センチ〜60センチの刀です。

打刀が使えなくなった時の補助。

敵を倒した時に、首を切るのに使っていました。

  

短刀。1尺以下のもの。

脇差と大きな違いは、鍔があるかないか。

  

  

今回はここまで。

20231123大阪セメント伊吹工場があった名残(なごり)

今日は令和6年12月12日。

  

この記事の続きです。

ここでも道草 20231123小説の舞台にしたい山城1位 小谷城(2024年12月4日投稿)

  

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小谷城戦国歴史資料館から関ヶ原に向かいました。

交差点で赤信号で停まると、「一級河川 姉川」の表示。

姉川古戦場は、小谷城と関ヶ原の中央付近。

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Googleマップで位置を確認しました。

この地図の右下方向に関ヶ原があります。

  

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伊吹山が見えました。

  

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雲、夕日も印象的でしたが、空中廊下のような建造物が

気になりました。

この写真の露出を変えてみます。

Img_3299_2

この写真だと、空中廊下が見えてきます。

これは何か?

調べました。

まいばらんど 米原市の伊吹山へ続く長い白い歩道橋のような物はベルトコンベアです

ここに説明がありました。

一部引用します。

  

結論から言えば、その正体はベルトコンベアです。白い歩道橋のよう

なものの行先を眺めてみると、伊吹山の左側の山が削れている部分

(採石場)に続いているのがわかります。

つまり伊吹山の採石場で採れた石を、2.7kmに及ぶベルトコンベアに

乗せて延々と麓まで運んでいるのです。

どこへ運んでいるのかと言えば、1952年に創業した大阪セメントの伊

吹工場です。伊吹山は石灰岩が豊富な地質であり、セメントを作るには

うってつけだったのです。

そのセメント製造の伊吹工場は2003年に廃止されセメント製造業務は

終わりましたが、2003年以降は近江鉱業株式会社が受け継ぎ採石業務

のみ行われています。

白いベルトコンベアは大阪セメント伊吹工場が廃止されて以降使われて

いないものだと思っていましたが、まだ動いているんです。

   

石灰石を運ぶベルトコンベアでした。

もう少し調べてみます。

まるかど日記 セメント工場の消えた町

2023年の記事です。

ここに大阪セメント伊吹工場の昔の写真が載っていました。

転載します。

1991年の写真。

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ベルトコンベアが写っています。

この工場と東海道本線の近江長岡駅を結ぶ

専用線があったそうです。

これも大阪セメントが造ったもの。

大阪セメントはすごいなあ。

ベルトコンベアだけでなく、専用線も造ってしまうなんて。

  

大阪セメントができた1950年代は、

まだトラック輸送が少なかったので、

ベルトコンベアや機関車を利用したようです。

  

ベルトコンベアの中を見たいのですが、

見つかりませんでした。

専用線は1999年まで機関車が走っていましたが、

その後廃線。

線路跡は、遊歩道になっています。

この映像はありました。


YouTube: 【土木遺産の女】伊吹せんろみち(住友大阪セメント廃線跡)

2021年のものです。

2.5km。気持ちがよさそうな道です。

歩いてみたいですね。

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地図を拾いました。

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これもまいばらんど

  

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