20231123大阪セメント伊吹工場があった名残(なごり)
今日は令和6年12月12日。
この記事の続きです。
ここでも道草 20231123小説の舞台にしたい山城1位 小谷城(2024年12月4日投稿)
小谷城戦国歴史資料館から関ヶ原に向かいました。
交差点で赤信号で停まると、「一級河川 姉川」の表示。
姉川古戦場は、小谷城と関ヶ原の中央付近。
Googleマップで位置を確認しました。
この地図の右下方向に関ヶ原があります。
伊吹山が見えました。
雲、夕日も印象的でしたが、空中廊下のような建造物が
気になりました。
この写真の露出を変えてみます。
この写真だと、空中廊下が見えてきます。
これは何か?
調べました。
まいばらんど 米原市の伊吹山へ続く長い白い歩道橋のような物はベルトコンベアです
ここに説明がありました。
一部引用します。
結論から言えば、その正体はベルトコンベアです。白い歩道橋のよう
なものの行先を眺めてみると、伊吹山の左側の山が削れている部分
(採石場)に続いているのがわかります。
つまり伊吹山の採石場で採れた石を、2.7kmに及ぶベルトコンベアに
乗せて延々と麓まで運んでいるのです。
どこへ運んでいるのかと言えば、1952年に創業した大阪セメントの伊
吹工場です。伊吹山は石灰岩が豊富な地質であり、セメントを作るには
うってつけだったのです。
そのセメント製造の伊吹工場は2003年に廃止されセメント製造業務は
終わりましたが、2003年以降は近江鉱業株式会社が受け継ぎ採石業務
のみ行われています。
白いベルトコンベアは大阪セメント伊吹工場が廃止されて以降使われて
いないものだと思っていましたが、まだ動いているんです。
石灰石を運ぶベルトコンベアでした。
もう少し調べてみます。
2023年の記事です。
ここに大阪セメント伊吹工場の昔の写真が載っていました。
転載します。
1991年の写真。
ベルトコンベアが写っています。
この工場と東海道本線の近江長岡駅を結ぶ
専用線があったそうです。
これも大阪セメントが造ったもの。
大阪セメントはすごいなあ。
ベルトコンベアだけでなく、専用線も造ってしまうなんて。
大阪セメントができた1950年代は、
まだトラック輸送が少なかったので、
ベルトコンベアや機関車を利用したようです。
ベルトコンベアの中を見たいのですが、
見つかりませんでした。
専用線は1999年まで機関車が走っていましたが、
その後廃線。
線路跡は、遊歩道になっています。
この映像はありました。
YouTube: 【土木遺産の女】伊吹せんろみち(住友大阪セメント廃線跡)
2021年のものです。
2.5km。気持ちがよさそうな道です。
歩いてみたいですね。
地図を拾いました。
これもまいばらんど
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