「南山新田」の地名のいわれ
今日は令和6年8月25日。
前記事の続き。
私の町内会の多くの人の住所は、
「豊川市伊奈町南山新田」です。
「伊奈」のいわれに引き続き、
「南山新田」のいわれを調べました。
また昭和5年発行の「小坂井町史」を見ました。
前記事の「伊奈」の中に、伊奈山があり、
そこにあった原野を開墾したようです。
そこが南山新田でした。
それを行ったのは、市川源治さん。
伊奈山がどこなのか?
山らしきものがない地域なので、不明です。
この記述では、もう一人の名前が出てきます。
今泉新衛さん。
この方は、伊奈及び佐脇原野を開墾したとあります。
今泉新衛さんについては、石碑が残っていることを知りました。
昭和5年発行「小坂井町史」です。
石碑があるのは、若宮八幡社の境内。
石碑が作られたのが、明治32年。
今泉新衛さんが亡くなったのは、翌年のこと。
そうなると、今までの資料の記述によると、
南山が開墾されたのは、明治時代の前半〜中期と予想します。
石碑には、今泉新衛さんの功績が彫られているとのこと。
その文面も「小坂井町史」にも載せてあります。
これを読み解くのは難しいことですが、
よ〜く見たら、「南山官有地」という地名が出てきます。
今泉新衛さんも、南山の開墾に関わったことが予想されます。
想像するに、伊奈地区の中に、「南山」と呼ばれる地区があり、
そこを開墾して田んぼを作ったことで、
「南山新田」という地名が生まれたのだと思います。
本当に若宮八幡社に、今泉新衛さんの石碑があるのか
調べに行くことにしました。
地元なので、その気になればすぐに行けます。
昨日行ってきました。8月24日です。
これが石碑の文面。「南山」を探してみました。
この石碑の前に、豊川市教育委員会が作った
新しい案内板がありました。
黄色のラインを引いたところに注目です。
ここには「南山」が出てきません。
でもこの文章が引っ掛かります。
現在の伊奈町縫殿や前山、美園※(当時は佐脇原)の土地を
田や桑畑として開墾し
※案内板には「御園」とありますが、「美園」が正しい。
桑畑です。
実は私の町内会付近は、かつては針葉樹林の森が広がった場所でした。
それが大正時代になると、一面桑畑になっていました。
あまりに変わっているので、大正時代に開墾したのではなく、
明治時代から行われていた可能性があります。
佐脇原(美園)はすぐお隣の地区。
したがって、地図の桑畑には今泉新衛さんが関わった
可能性はあると思います。
もう一度結論を書くと、
「伊奈」の中に「南山」という地区がありました。
そこは原野でしたが、市川源治さんと今泉新衛さんの
努力で開墾されました。
田んぼができ桑畑もできました。
「南山」は「南山新田」となりました。
明治時代の前期〜中期のことでした。
次の記事で、今泉新衛さんのことをもう少し書いてみます。
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