1942年(昭和17年)の夏も暑かった!
今日は令和6年8月1日。
昨日夕方のNHKテレビの天気予報で、
7月の名古屋の猛暑日(最高気温35度以上)が多かったとのこと。
それが何日だったか忘れてしまいましたが、
実は今年の日数は2番目に多い年であって、
1番多いのは、1942年7月だったそうです。
予報士さんも、「意外にも」と言って、
1942年の7月を挙げていました。
イメージでは、地球温暖化が進んで、こんなに高温になったと
思っていましたが、1942年はそれ以上に暑かったのです。
そのことに触れた記事はないか検索しました。
ここから一部引用。
17日連続猛暑日は
記録更新だったとか。。
(中略)
大阪での記録ですが
これまでの記録は
1942年の16日連続
だったそうです。
「猛暑日」の定義が
最高気温が35℃以上に
定まったのが2007年
なので、16日連続記録は
猛暑日と呼ばれる以前の
記録です。
色々調べてみると
1942年はかなり暑かった
年のようで、観測所の
記録では、40℃以上を
観測した地点が多数ある
そうです。
地球温暖化が叫ばれる
最近ではなく、戦時中の
日本で猛暑の記録が
あったことが驚きでした。
現代のようなエアコンが
ない時代の猛暑。。
考えただけでも頭が
クラクラします。
これは2013年の記事。
この年も暑かったようです。
次のは昨年の8月28日の記事。
場所は京都。
京都で今年37回目の猛暑日 昭和17年の記録を81年ぶりに更新 記録はまだ伸びる
一部引用します。
日本有数の暑い都市としても知られる京都ですが、今日で年間猛暑日
日数が37日に達し、戦時中1942年(昭和17年)に記録した36日を81年
ぶりに更新しました。1942年は、8月下旬には猛暑は次第に落ち着き、
季節が比較的順調に進んだとみられる記録が残っています。ただ、今
年の暑さはまだ終わりが見えていません。
名古屋だけでなく、大阪も京都も暑かったようです。
どんな年だったのだろう、1942年。
探していたら、この年に生まれた人のブログを発見。
長いけど、全文引用。貴重な証言です。
子供の頃の夏の夜には戸を開け放して電気を消して蚊取り線香と団扇
で涼みながらラジオを聴いたり両親が話しているのを聞いていました。
「〇〇ちゃんが生まれた年は暑てえらかったでなぁ」
(えらかった=大変だった)
「暑てなぁ、ちょうど生まれた日に大きなナスビ(ナス)がなってなぁ」
〇〇ちゃんは私、生まれたのは1942年の6月。
聞きながら時々出てくる同じ話に夏なんだからいつだって暑いはずと
思っていました。ところが数年前に知ったことですが名古屋の最高気
温の記録は長い間1942年8月2日の39・9℃だったそうです。その記
録が破られたのは2018年8月3日の40・3℃、76年振りの記録更新で
した。
両親が言っていた「あの年は暑かった!」と言うのは本当だったのです。
暑い年に生まれてその日にナスビが収穫出来て、そのせいか私は色の
黒い女の子。5人の兄弟姉妹、みな名前を呼び捨てで呼ばれていたの
に私だけ「ちゃん」をつけて呼ばれたのは末っ子だったから・・・
そんなことに今頃気が付いたりしています。
名古屋の猛暑日が8月27日まで連続14日間続いて連続記録が25年振
りに書き換えられたのだそうです。28日もこの先もしばらくは猛暑
日の予報が出ているので記録はまだ伸びそうな気配。猛暑日とは最
高気温が35℃以上の日の事です。
「あっついね~」と言うのが毎日の挨拶。地球温暖化のせいでこれ
からも毎年暑い夏になるのではと言い合って「昔はこんなに暑くな
かったよね」と。でもでも、私の生まれた年は暑かったんだと改めて
思います。
台風8号の雲の尻尾もほんのちょっとかすっただけ、地面が濡れる
ほどには降らないままでした。天気予報通りなら今日は少しは降っ
てくれるかもと流れてきた雲に期待しています。
また空振りかしら・・・
1942年生まれの方は、今年78歳。
でも生まれた人に聞いても、1942年の暑さは覚えがない。
それ以上、年上の人に聞かなくてはなりません。
今のうちですよ。
温暖化ではなくても、暑い年があったのは、考えさせられます。
もしかしたら、今は暑い年が続き、温暖化と思い込んでいますが、
意外に、また涼しい夏を体験することもあるかも。
温暖化が否定されるかも。
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