御津町にあるのに、踏切の名前が「御油踏切」?
今日は令和6年8月1日。
近所の踏切のことを調べていて、別の新しいことを知りました。
まずはこのサイトを見てください。
yozo Presents.関西の踏切 JR・東海道本線(2) 二川-幸田
この踏切は、私にはお馴染みの踏切です。
現在の豊川市御津町。かつての宝飯郡御津町にある踏切です。
ここでおや?と思ったのが、踏切の名前。
「御油(ごゆ)踏切」
豊川市には御油町がありますが、
御津町とは離れています。
むむむ?
調べました。
ここに答えがありました。
引用します。
現在のJR愛知御津の駅名は、東海道線開通当時は「御油」だった。
このため、現在も駅のすぐ北の踏切も「御油踏切」と呼ばれている。
鉄道が開通して23年たった1911(明治44)年、駅が出来たおか
げで、御馬漁港の漁師や繊維関係等多くの業者が駅を利用したこと
でにぎわい「御油駅前料理旅館組合」を14人の組合員で発足した。
愛知御津駅前に石柱が残る。
1930(昭和5)年、宝飯郡御津町として御油町から分離独立した
時、駅名「御津」を変える動きはなく、45年8月7日、空襲で駅舎
が破壊された。再建を機に駅名の変更が検討された。
「御津」は常磐線の「水戸」と混同されやすい。「三河御津」のよう
に「三河」を付ける声もあったようだが近くに三河を冠にした駅名
が多いことなどから、48年8月に「愛知御津」の名前が採択された。
県名を冠にした駅名は全国初のことだった。当時の御油町から反対
の声があったという。
知らなかったことがたくさん書いてある引用文です。
御津町は、御油町の中に含まれていたことに驚き。
駅名も御油駅だったのですね。
駅ができたのも明治44年と、西小坂井駅よりはるかに早い。
駅前にある石柱も、見ておきたい。
御油町から分離独立して、宝飯郡御津町になっても、
駅名は「御油駅」だったんだ。
その期間は、昭和5年〜昭和20年。
当時を知る人は、おかしかっただろうな。
そして「三河御津」ではなくて「愛知御津」になった経緯。
面白い。
「愛知〜」駅は、今も愛知御津駅のみ。
県名が入った駅は、全国で見ると、
岩手で始まる駅が6駅。
(岩手飯岡、岩手上郷、岩手川口、いわて沼宮内、岩手二日町、岩手船越)
参考:乗換案内NEXT
群馬で始まる駅が5駅。
(群馬大津、群馬総社、群馬原町、群馬藤岡、群馬八幡)
参考:乗換案内NEXT
以上です。このサイトも参考にしました。
でも「御油駅」を「愛知御津駅」にする時に、
御油町は反対したんだ。
それはちょっと心が狭いなあ。
ちなみに、東愛知新聞で取り上げられている食堂「角三」
親戚のおじさんとよく行くお店。
カツ丼が美味しい。
まさに私の近所です!今度こちらに来たら、うちに寄ってくださいね(笑)。
御津なのに御油踏切なんです。三河御津は知らなかったです。確かに三河大塚、三河三谷ですからね。
角三は私が飲み会の時に、我が子たちが夕飯を食べに行く店です。今度合流しましょう!
投稿: yayoi | 2024年8月 1日 (木) 20:54
そうなんだ、あの踏切の近所なんですね。
6月にはゲンキーができましたね。
あんなところにゲンキーができるなんてびっくり。
あまり目立たない場所ですよね。
地元の人には、いいのかな。
夏休み、そろそろ外国に出発しますか。
投稿: いっぱい道草 | 2024年8月 1日 (木) 21:15