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2024年3月19日

2024年3月19日 (火)

群馬の森 朝鮮人慰霊碑撤去について

   

今日は令和6年3月19日。

  

前記事の続き。

  

ダイナマイトについて調べていて、

群馬の森が、日本のダイナマイトの歴史にとって

大事な場所だとわかりました。

その群馬の森が、最近のニュースで話題になっていました。

群馬の森に、2004年に建てられた朝鮮人追悼碑撤去のニュースです。

戦時下に、日本人の若者が戦地に送られ、

労働力不足を補うために、朝鮮人を日本に連れてきて働かせました。

過酷な労働で、命を落とす人もたくさんいたそうです。

群馬県も例外ではなく、たくさんの朝鮮人が犠牲になりました。

その記憶を残そうと、群馬の森に追悼碑が建てられました。

  

産経新聞 <主張>朝鮮人追悼碑 政治利用で撤去は当然だ

撤去は当然だという産経新聞の記事を引用します。

  

一方、同会(追悼碑を守る会の前身)が当初作成した碑文原案には

「強制連行」の用語が使われ、日本批判が目立つような内容だった。

そこで県が修正を求め、「政治的行事を行わない」ことを条件に設

置を許可した経緯がある。

この設置条件は県立公園の中立性を保つため、極めて重い約束事で

あった。

  

そんな条件での追悼碑建立でしたが、その条件が破られたと書いています。

  

ところが16~24年の追悼式で政府批判が繰り返されていたこと

が確認され、県は(平成)26年、10年ごとに行われる設置許可

の更新を認めなかった。

同会は県の措置を違法として提訴し、1審前橋地裁は同会の主張を

認めたが、2審東京高裁は「追悼式で『強制連行』という文言を含

む政治的発言があり、碑は中立的な性格を失った」として同会の請

求を棄却した。令和4年の最高裁でも同会の上告が棄却され、県勝

訴の判決が確定している。

  

この言い分をどう思いますか。

場所は公共性の高い公園だったのがネックかと思います。

しかし、県知事は、設置場所の移動を提案したとも聞きました。

その提案は受け入れられませんでした。

県知事には、歴史を変えようという考えはなかったのだと思います。

   

ここで気になるのは、この追悼碑を撤去するように動いていた

市民団体があるということです。

その人たちの考え方は問題があります。

日本人は、朝鮮人を強制連行していないんだ、

日本は朝鮮人には悪いことをしていない、

どちらかというと朝鮮のインフラ整備のために、

日本のお金を使って実行したんだという主張です。

あったことは認め、反省し、追悼し、

でもこれからは、新しい歴史を作っていこうという考え方ではなく、

そんな黒い歴史はなかったんだという考え方です。

自虐史観のように、過去の歴史を

ずっと引きずるのは良くないことです。

日本が朝鮮でやった良かったこと、悪かったことを確認し、

それを歴史に残すべきだと思うのです。

   

前記事で紹介した動画を再び掲載します。


YouTube: 「群馬の森」朝鮮人追悼碑が撤去に 「記憶 反省 友好」の思いはどこへ【報道特集】

この中で、山本一太知事は、次のように言っています。

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知事の考え方は、あくまでも条件違反だからであって、

朝鮮人追悼の気持ちは否定していないのです。

  

この報道特集に対して、5つの偏向があると

さささのささやんは言っています。


YouTube: 【報道特集 偏向5回】TBSに中立性は無いようだ【匿名TV記者 炎上】マスコミと呼ぶ人はまともじゃない


この動画の前半です。

最初に見た時には、なるほどと賛成しましたが、

あらためて「報道特集」を見て、

撤去を求める人たちの市民団体(番組では右翼団体と表現)の人たちの

いでたち、そして発せられる言葉は、異様でした。

繰り返しますが、私はこの人たちを問題にしたい。

    

この動画が、私には比較的納得します。


YouTube: 「『群馬の森 朝鮮人追悼碑』撤去について」【古谷経衡】2024年2月5日(月)大竹まこと 古谷経衡 阿佐ヶ谷姉妹 砂山圭大郎【大竹紳士交遊録】【大竹まことゴールデンラジオ】


古谷経衡さんの意見です。

撤去を求める市民団体は、強制連行はなかった、

過酷な労働はなく、賃金も支払っていた、

日本は悪くないという、歴史を改竄する人たちであり、

その圧力に、群馬県が忖度したのではないかという説です。

  

自虐史観はGHQが仕掛けたことという説が

最近の私の頭に入ってくるようになりました。

でも自虐史観をひっくり返して、

日本人は悪いことはなかったんだというのは

行き過ぎではないでしょうか。

過去は過去。

世代も変わったので、過去のことは学んでおいて、

未来の時と場合に活かせばいいのです。

慰安婦像が象徴する、日本はひどい国であり、

朝鮮人にずっと負い目を感じるように仕向けるものは、

もういい加減、撤去でいいと思います。







  

  

本「高熱隧道」② ダイナマイトは水の存在は支障にならない

   

今日は令和6年3月19日。

  

ずっとやっていなかったことをやります。

ここでも道草 本「高熱隧道」① 犠牲者が出た日電歩道(2024年2月11日投稿)

「高熱隧道」(吉村昭著/新潮文庫)を読んで、

印象に残った文章を引用していく続きです。

今から頑張ります。

    

それにくらべると、ダイナマイトは、水中爆発なども可能なように水の

存在も全く支障とはならない。ただ導火線が濡れると点火しないのが難

点ではあるが、これも鬢(びん)つけ油をぬることで解決されている結

局、発破火薬も、従来通りダイナマイトを使う以外には考えられないこ

とが確認された。

(81〜82p)

  

隧道は高熱であるため、ダイナマイトの自然発火による

爆発が恐れられました。

高熱であるために、人夫の体に、川の水をポンプアップして

浴びせ続ける作戦をしました。

当然、ダイナマイトは濡れるのですが、

ダイナマイトは水の存在が支障にならないんですね。

ダイナマイトの原料は、ニトログリセリン。

わずかな衝撃でも爆発するニトログリセリンを、

ダイナマイトにしたのはノーベルでしたよね。

  

Wikipedia ダイナマイト

ここで少し調べました。

明治になって、日本にはダイナマイトを作る技術がなく、

貴重な外貨を使って、外国から購入して、

琵琶湖疏水の工事などに使ったそうです。

琵琶湖疏水はたくさん調べ、現地にも行ったので懐かしい。

日露戦争でも、輸入したダイナマイトを大量に使いました。

必要に迫られ、日本でもダイナマイトが作られました。

1906年(明治39年)東京砲兵工廠岩鼻火薬製造所でのことでした。

群馬県岩鼻村に製造所はありました。

現在の群馬県高崎市岩鼻町であり、製造所の跡地は「群馬の森」

と呼ばれる県立公園です。

ここに石碑があるそうです。

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上州まったり紀行

  

  

群馬の森といえば、最近騒がれました。

朝鮮人労働者追悼碑の代執行による撤去です。

1月29日に行われました。

話はどんどん脱線していきますが、

2月10日にTBS「報道特集」で、

この撤去について取り扱われました。

YouTubeでその番組を見ることが、今はできます。


YouTube: 「群馬の森」朝鮮人追悼碑が撤去に 「記憶 反省 友好」の思いはどこへ【報道特集】

  

う〜ん、やっぱりこのことは次の記事に書きます。

まだ長くなるので。  

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