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2023年12月22日 (金)

本「うっちゃりはなぜ消えたのか」③ なぜうっちゃりは消えたか

   

今日は令和5年12月22日。

  

前記事に引き続き、

「うっちゃりはなぜ消えたのか」(真石博之著/日本経済新聞社)

より引用します。

  

消えた「うっちゃり」

力士の肥満化は土俵上での攻防を短くした。 最近の相撲は栃若両雄

の対決のような、まぐるしい攻防が展開されることがなく、手に汗

にぎる勝負がなくなり、手に汗をにぎる前に勝負がついてしまう。

肥満と俊敏さは両立せず、肥満と体のバネも両立しないのだろう。

「昭和二十六年から二十八年まで」と「平成六年から八年まで」の、

それぞれ三〇〇〇番の決まり手を比較した三宅充氏の集計がそれを

裏付けている(雑誌 『大相撲』平成八年九月号)。

もっとも減った決まり手が「うっちゃり」で、三〇〇〇番中九五番(三

%) あったものがなんと一番だけになった。 続いて、「内掛け」が五

八番(二%)から三番に、「つり出し」が一七六番 (六%) から二八番(

一%)に激減している。

肥満体同士の土俵際での「うっちゃり」は危険すぎてできない、腹が

出すぎていて「内掛け」の足は届かない、重すぎて「つり出し」はで

きないのである。逆に増えているのは、「送り出し」+「送り倒し」が

一%から六%へと六倍に、「はたき込み」が三%から七%へ、「突き

落とし」が二%から四%へと倍増している。 「送り出し」「送り倒し」

や「はたき込み」が増えるのは、いったん体勢を崩すと立て直せない、

増えすぎた自分の体重をコントロールできないことを意味している。

このように、力士の体重の増えすぎはスポーツとしての相撲の面白さを

そいでしまっている。そして当然のことながら、肥満はひざや腰への負

担を増す。最近は、サポーターを付けていない関取を探すのが難しくな

っているほどだ。 平成九年の九月場所では、六六人の関取のうち一〇

人が欠場するという異常事態が起こっている。

年六場所の過密スケジュールが、けがの治りを妨げているとの指摘があ

る。確かに、関取は本場所九〇日のほかに地方巡業があり、場所前のけ

いこがあり、休養日は年に一〇〇日に満たない。週休二日制のサラリー

マンの年間休日は一二〇日ほどだから、それよりも少ない。私も六場所

は多すぎると思う。 しかし、栃若時代はすでに六場所だった。そして、

当時の力士は今ほど休場しなかったことを考えれば、増えすぎた体重が

けがの最大の原因だろう。この力士の肥満化について、平成十一年にな

って、相撲協会が専門家を加えて検討に入ったのは当然のことだろう。

(55〜57p)

   

この本の発刊から20年。

相変わらず、うっちゃりは消えつつあります。

つり出しもなかなか増えません。

でもかろうじて残っています。

うっちゃり、つり出しがこれから増えていくといいなと思います。

  

  

日本相撲協会の正式な表彰の対象ではないが、年間九〇回の取組でもっ

とも多い勝ち星をあげた力士を「年間最多勝力士」と呼ぶ。この年間最

多勝を獲得した回数も大横綱の証明になると思うが、これでは北の湖が

連続五年を含む七回でトップである。なかでも昭和五十三年(一九七八

年)には、年間八二勝八敗・勝率九割一分一厘という驚異的な記録を残

している。 「憎らしいほど強い」といわれた北の湖らしい記録である。

(72p)

  

この本に書いてあるとおりです。

この頃の北の湖は強かった。

強すぎて憎たらしく思うほどに。

その昭和50年の北の湖です。相手は輪島。

輪湖時代と呼ばれる時代を作った2人の戦いです。


YouTube: 北の湖vs輪島 (昭和53年七月場所)

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