「大人の教養TV」より フィンランドの冬戦争
今日は令和5年11月25日。
「なだらか期間」4本目の投稿。
本当に、ネット動画をよく見る毎日です。
チャンネル登録もいくつもしています。
その中で、毎日は見ないけど時々見ているのが、
「大人の教養TV」です。
この動画のメンバーは、12月から1年間、
拠点を日本からスペインに移します。
スペインに住んで、そこから行けるヨーロッパ、
アフリカに出かけて行って、動画を作るのです。
いやあ、すごい人生の使い方です。
そのことを宣言している動画が、これです。
11日前の動画です。
昨晩の最新動画は、フィンランドの冬戦争でした。
これは見逃せません。見ました。
YouTube: なぜソ連は小国フィンランドに負けたのか?冬戦争をわかりやすく解説
フィンランドの冬戦争については、
以前興味を持ち、調べました。
ここでも道草 映画「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場」を見る(2020年3月12日投稿)
この映画が良かったです。
正確には冬戦争ではなく、
その後に始まった継続戦争を扱った映画でした。
この映画で、フィンランド人はナチスドイツと組んで戦っていました。
なぜそうなったかの理解がイマイチでした。
でも今回の動画でよくわかりました。
印象的な場面を書き留めます。
ナチスドイツとソ連は、第二次世界大戦が始まる前に、
秘密議定書なるものを結びます。
ナチスドイツとソ連は、お互いに攻めないこと。
スカンジナビア半島にあるノルウェーはドイツが、
フィンランドはソ連が攻めてもいいこと。
中間のスウェーデンについては、
両国とも攻めずに中立のままにしておくこと。
3国の知らない場所で、このような話し合いが行われていました。
ソ連が攻めてくることがわかったフィンランドは悩みます。
戦わずして降参するか、兵力の差は大きいが戦うか。
戦車と飛行機の数が全然違います。
兵力もソ連はフィンランドの4倍。
でもフィンランドは戦いを選択します。
両国で戦争が始まったのは、1939年の11月30日でした。
もうじき11月30日です。
84年前のことです。
たった84年前のことです。
戦争は3ヶ月半でした。
ちょうど冬の時期であり、冬戦争と呼ばれました。
毎年雪がたくさん降るフィンランドですが、
この年の冬は例年以上に雪が降り、
それがフィンランドには助けになりました。
フィンランドは、他の国に助けを求めました。
ナチスドイツの敵であるイギリス、フランスに要請しました。
イギリス、フランスは救援に前向きでした。
武器を援助しようとも考えましたが、
問題はスウェーデンです。
スウェーデンは、昔から中立を宣言していた国でした。
それなので、イギリス、フランスが武器を送るのに、
スウェーデンの領地を通過すること許さなかったのです。
もし許すと、中立の立場が揺らいでしまうからです。
食料や衣服を送るのはOKしましたが、
武器を送るのは許可しませんでした。
フィンランドは孤軍奮闘しなくてはなりませんでした。
雪はフィンランドに味方しました。
積雪がソ連軍の進軍を阻みました。
進軍する道は、雪が固まったしっかりした道出ないと進軍できません。
重たい戦車やトラックは、雪に沈み、簡単には進めません。
大軍は、細長く伸びて進軍します。
フィンランド軍の兵士は、その雪の上をスキーでスイスイ移動しました。
そして長く伸びたソ連軍の、横からライフルで狙撃しました。
狙われたのはソ連軍の命令を出す重要人物やコックでした。
命令する人が撃たれては、配下の兵士は困ってしまいます。
コックが撃たれて、まともな食事が出なければ、
兵士の士気も下がってしまいます。
フィンランド軍の着ていた軍服は、雪の中で目立たないものでした。
それに対してソ連軍の軍服は緑色で、夏なら目立たないが、
雪の中では目立っていました。
狙撃するフェンランド軍にとっては、攻撃しやすいし、
隠れやすい状況でした。
当時の戦車は、中にいると外の様子がほとんど見えませんでした。
したがって、1人の兵士が戦車の上に上体を出して、指示する役でした。
その兵士は、戦車の目であり、頭脳でした。
フィンランドの狙撃は、その兵士の頭を撃ちました。
ソ連軍にとっては痛手でした。
善戦したフィンランドでしたが、兵力に差のあるソ連軍が
だんだん有利になります。
倒しても次から次にやってくるソ連兵のことを、
「ソ連兵は畑から生えてくる」と表現されました。
フィンランドは、ソ連に、領土の一部を渡すことで、
戦争を終結することを決めます。
3ヶ月半の冬戦争は終結します。
ここで一旦中断。
動画の後半分は、次の記事で書きます。
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