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2023年7月 9日 (日)

提灯「本場 岐阜」を調べてみました

       

今日は令和5年7月9日。

  

昨日は父親の初盆でした。

今回はお客さんを呼ばずに、身内で行いました。

準備で、提灯を探しました。  

平成20年(2008年)の母親の初盆で提灯を使ったことは、

当時の写真を見てわかっていました。

でもなかなか見つからず、

初盆1週間前に、納戸から発見されました。

15年ぶりの提灯。

吊り下げ式が1つ、据え置き式が2つです。

どれも我が家の家紋が入っています。

  

その提灯が入った箱に、共通して書かれていたのが、

「本場 岐阜」です。

Img_0642

Img_0640


提灯の本場は岐阜なの?

これは調べようと思いました。

  

KOGEI JAPAN 岐阜提灯

歴史については、このサイトが良かったです。

一部引用します。

  

岐阜提灯は、岐阜県岐阜市で作られている提灯です。300年以上の

長い歴史を誇っており、1995年(平成7年)には、その技術力の高

さが認められて、国の伝統工芸品に指定されました。

岐阜提灯の特徴は、美濃地方で作られる良質の美濃紙や竹を材料に、

秋の花々や花鳥、風景などの細やかな絵柄が描かれていることです。

材料となる美濃紙は、薄くて丈夫なことで昔から知られており、美

濃紙それ自体も、国の伝統工芸品の指定を受けています。竹ひごは

あくまで細く、紙はあくまで薄く、繊細で優美な形と絵柄があいま

って、見る人に上品で清楚な印象を与える提灯です。

  

なるほど。美濃紙は有名です。

いい竹が取れるなら、提灯には向いています。

さらに引用します。

   

昔から、岐阜市のあたりは優れた和紙と竹の産地でした。このため、

岐阜市では提灯と同様に、美濃紙と竹を材料とする和傘やうちわな

どの工芸品も発達しています。

  

和傘の天日干しは有名だった覚えがあります。

和傘については、また後日書こう。今は提灯。

  

岐阜提灯は、徳川三代将軍の頃には幕府に献上されたといわれていま

す。その起源については、慶長年間(1596年~1615年)とする説や、

1650年(慶安3年)とする説など、諸説あります。

宝暦年間(1751年~1763年)には、岐阜町の提灯屋十蔵が、現在の

岐阜提灯の形状につながる提灯を作り、尾張藩に納めていました。文

政年間(1818年~1829年)には、草花などの彩色を施した岐阜提灯

に人気が集まり、京都の公家の詠草にも詠まれています。

その後も岐阜提灯は継続して作られていましたが、まだまだ高級品で、

一般庶民まで広く普及するには至っていませんでした。岐阜提灯の名

前が広く知られるようになったのは明治に入ってからです。1878年

(明治11年)に明治天皇の岐阜市行幸の際に目に留まり、そこから岐

阜の伝統工芸品として全国に知られるようになりました。 

   

300年の歴史があると言っていましたが、江戸時代の宝暦年間ごろ

からと考えるなら、確かに300年ですね。

庶民にまで名前が知られるようになったのは、明治になってから。

ちなみに、岐阜県はシェアはどれくらいなのだろう?

地域の入れ物 提灯の生産額の都道府県ランキング(平成29年)

このサイトが参考になります。

  

岐阜県はシェアはトップで、43%。

ダントツのトップかというと違って、2位の福岡県は37、1%。

3位の愛知県が、4%なので、

岐阜県と福岡県の2強となります。

  

脱線して、福岡県の提灯について調べました。

福岡県の八女(やめ)市が提灯づくりで有名みたいです。

ニッポンのワザ.com 福岡県 八女提灯

  

始まりは1813年頃の江戸時代後期。福島町(八女市)に住む荒巻文

右衛門(あらまきぶんえもん)が、山茶花などの素朴なデザインで場

提灯を制作したのが起源だといわれています。

  

こちらの提灯の歴史も、200年と長いです。

  

ご先祖を供養する際に飾る盆提灯は、日本一の生産量を誇ります。

  

なんと、盆提灯の生産は日本一。

岐阜は負けています。

  

ただ1965年のこの映像では、異なったことを言っています。


YouTube: 【TBSスパークル】1965年11月6日 岐阜ちょうちん 岐阜

提灯は全国の8割が、岐阜で作られていると言っています。(20秒)

福岡県が急迫しているのでしょうか。

それとも岐阜県が衰退したかな。

  

「お猿のかごや」で有名な小田原提灯はどうなんだろう?

Odawara_chochin01

世界の民謡・童謡 お猿のかごや

上記の「地域の入れ物」のランキングで、神奈川県の生産高は0でした。

江戸時代は、箱根峠を越える時に役立ったもののようですが、

今は需要がないようです。

  

最後にこの動画。


YouTube: 【岐阜提灯】MAG!C☆PRINCE永田薫の「岐阜提灯の魅力」【岐阜市】

この動画によると、明治時代になって、

ガス灯や電気が始まって、提灯の需要は下がったようです。(2分40秒)

盛り返すきっかけは、上記にも書いた明治11年の

明治天皇行幸だったようです。

天皇の力は大きかったのですね。

ブームを作ってしまうほどでした。

  

無地の提灯に直接絵を描く「絵付け」

技法について聞いているシーン。(5分20秒)

「ぼかし」「たらし込み」が紹介され、

筆に2色の色をつけて描く「ひっかけ」が特にすごいなと思いました。

  

提灯の型も見ることができました。

1965年の映像でも、同じ型が使われていました。

我が家にある提灯も、この型を組むことから作られたんだろうなと

想像しました。(7分56秒)

  

  

以上です。15年前の母親の初盆では気にならなかった

岐阜提灯について今回は調べました。

昨日、お坊さんが言うには、

盆提灯は、毎年のお盆で出してくださいとのこと。

我が家ではずっと眠っていました。

来年から毎年出そうと思います。


  

  

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