「はじめての憲法」を読みました
今日は令和5年5月26日。
この本を読みました。
「はじめての憲法」(篠田英朗著 ちくまプリマリー新書)
現代でも数多くの戦争の終結にあたって、平和をつくるためには国
の仕組みを変えなければならない、という認識で、戦争後の仕組み
がつくられ続けています。新しい国の仕組みが必要だから憲法も変
える、というのは極めてふつうの出来事です。
もう少しだけ、国際社会の歴史の観点から、同じ事情を確認してみ
ましょう。17世紀の30年戦争は、ヨーロッパ人にとって、一つ
の世界戦争でした。いつ終わるともわからなかった戦争を終結させ
たのは1648年のウェストファリア講和条約でした。紛争当事者
が一堂に集まり、話し合って決めたことを紙に書いて署名し、みん
なで守っていく誓いをたてて戦争を終わりにする、というやり方が
確立されたのは、ウェストファリア講和条約からでした。18世紀
には、スペイン王位継承戦争(北米大陸ではアン王女戦争と言われ
ている)を終わりにした1713年のユトレヒト条約、ナポレオン
戦争を終わりにした1815年のウィーン条約などの重要な事例が
あります。そしてアメリカが大々的に参画するようになった20世
紀以降は、第一次世界大戦とその戦後処理であるヴェルサイユ条約
(1919年)、附属でつくられた国際連盟規約、さらには第二次
世界大戦後につくられた国際連合憲章(1945年)が、顕著な事
例です。これらはすべて国際社会全体の仕組みを大きく変えました。
大きな戦争が終わった後、平和をつくる過程の中で、国際法の仕組
みを新しくします。そして、その国際法の仕組みに従って、各国の
国内社会の法体系を整理します。国際法の側から各国に、法規制を
新しくする号令を出すわけなのです。戦争の後、和平を模索する過
程で、条約・包括的合意が結ばれます。国際社会の仕組み・原則が
新しくなると、必然的に国内社会の法体系も新しくなっていきます。
(27~28p)
日本国憲法も、上記の考え方によって、国際連合憲章に従って、作
成されたものだと言っています。これが新しい視点です。日本国憲
法は、単独につくられたものではなく、ガイドラインになる法があ
ったのです。
日本国憲法の歴史においてはアメリカ人の関与が非常に顕著ですが、
アメリカは、国際社会のレベルでは第一次世界大戦、第二次世界大
戦に参画し、その後の戦後秩序の刷新に最も重要な役割を果たした
国ですね。第一次世界大戦後の国際連盟規約も、第二次世界大戦後
の国際連合憲章も、アメリカ人が最初に起草しました。
彼らがその勢いで起草したのが、日本国憲法です。そうだとすれば、
日本国憲法と20世紀の国際法規約との結びつきが顕著であるのは
当然だ、とおわかりいただけるでしょう。
(28~29p)
なるほどと思います。
この本で特に強調されているのは、憲法の第九条に書かれている
「戦力」は「war potential」のことであり、「戦争潜在力」のこ
とです。これは戦争をするための潜在力・戦争を準備する過程で
持っている陸海空軍」のことです。これに自衛権は含まれません。
自衛隊は憲法上の戦力ではないが、国際法上の軍隊である。これ
を見て、私などは、それでいい、と思います。素直な理解だと思
います。
ただ、戦力とは軍隊だ、とにかく全部違憲だ、軍隊はダメだ!と
頑なに根拠も示さず感情的に苦情を言う人も、世の中にはいます
よね。そういう人が、国際上の軍隊も違憲だ!と叫び始めると、
さあ、これはいよいよ厄介です。
本来、日本国憲法は、国際法を遵守する論理を持っている。だか
ら国際法の枠組みを参照して解釈するのが正しい姿勢です。
(145p)
繰り返しになりますが、自衛隊は憲法上の「戦力」ではなく、国
際法上の軍隊です。つまり憲法で禁止されている戦争の遂行を目
的とする組織ではなく、自衛権という国際法上の合法的な行為を
目的とする組織です。したがって国際法違反でも憲法違反でもあ
りませんが、国際法における自衛権の制約には服することになり
ます。
(155p)
この考えだと、第九条は変更しなくても、
自衛隊は認められるということになります。
政治的YouTuberの上念司さんのお勧めで読んだ本です。
ちょっと憲法第九条について勉強ができました。
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