「ミャンマー現代史」⑩ 地名「インドシナ」の意味
今日は令和4年12月13日。
前記事に引き続き、
「ミャンマー現代史」(中西嘉宏著/岩波新書)
より引用します。
もう時間がないです。
この記事で最後ですね。
ロヒンギャ問題がミャンマーにはあります。
それは宗教紛争のようです。
ロヒンギャと呼ばれる人々は、ムスリムです。
イスラム教徒です。
しかし、ロヒンギャと呼ばれる人たちが住んでいる州は、
仏教徒が多数を占めています。
この宗教の違いも紛争の大きな理由のようです。
以上みてきたように、ミャンマーはテインセイン政権下で大きく
変わった。変化をもたらした最大の理由は、テインセインの指導力
である。柔軟で行動力のある大統領が生まれたことは、ミャンマー
にとって幸運だったといえる。軍事政権時代の首相だというのは拭
いがたい過去ではあるものの、むしろ軍人であるがゆえに政治の安
定が生まれた。
彼の改革姿勢にスーチーや、米国、日本など多くの関係者と関係
国が賭けた結果、民主化、自由化、経済発展、和平交渉、外交関係
改善が同時に進んでいく好循環が生まれた。むろん多くの課題は残
り、宗教紛争のように悪化した問題もある。とはいえ、国が良い方
向に向かっているという期待感を生んだことは間違いない。
この好循環と期待の到達点が、2016年のスーチー政権発足だ
った。改革の次の段階が始まる。世界はそう受けとめた。
(129~130p)
2011年から2016年までのテインセイン政権を、
著者は評価しています。
その後に、スーチー政権の誕生。
もう後戻りはしないと誰もが思っていたと思います。
う~ん、ラストの引用。
引用したら、図書館に走ります。
(13日 17:20記/図書館は18:00まで)
ミャンマーはいつも、大国のはざまにあった。
この国の最北端にあるカカボラジ山は、東南アジア最高峰の山で
ある。急峻な山々が連なるヒマラヤ山脈の東端に位置し、標高は
5881メートル。ながらく立ち入りが許されなかったことから、
「アジア最後の秘境」とも呼ばれた。
ここから南東は標高がなだらかになり、ヒトやモノの往来がしや
すくなるため、陸路の場合、ヒマラヤ山脈に阻まれる中国文明とイ
ンド文明は、迂回してミャンマーを含む現在の東南アジア大陸部で
交わった。19世紀初頭、デンマーク生まれの地理学者マルテ=ブ
ルンと、スコットランド人の言語学者ジョン・ライデンが、この地
域を、それまでの「外インド」(exterior India)ではなく、多分
に地政学的なニュアンスを込めながら、インドと中国(支那)を合
わせて「インドシナ」(Indo-China)と呼んだのも、そのためであ
る。
(210p)
「インドシナ」という地名は、こんな意味でつけられていたのかと、
ちょっと驚きでした。勉強になったです。
東南アジア最高峰のカカボラジ山については、
うっすら自分には記憶がありました。
この山についての番組を録画したような気がしました。
さっそく私が持っている映像一覧で検索してみました。
ピッポン!
7年前の番組でした。
2015年4月18日放映の番組。
「NHKスペシャル 幻の山 カカボラジ アジア最後の秘境を行く」
私の記憶は正しかった。
録画した当時の自分を褒めたいです。
録画してまだ見ていません。
今晩は時間がないので、明日の午後見ます。
楽しみです。
動画は配信していないとのこと。
この番組を見ることができるのは、貴重ですよ。
以上、「ミャンマー現代史」からの引用を終えます。
この本、無事に図書館に返しました。
1回読んで、すぐにまた再読した本です。
付箋を貼ったページはたくさん。
ブログに引用したのは、その半分にも至らなかったと思います。
勉強になる本でした。
今なら、ミャンマーで起こっていることを、
中学生に話をすることはできるかな。
もう東南アジアの授業は終わってしまったけどね。
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