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2022年7月13日

2022年7月13日 (水)

渡来人が伝えた「かまど」の威力?

     

今日は令和4年7月13日。

   

明日は授業で渡来人について教えます。

古墳時代に朝鮮半島からやってきた渡来人は

日本に何をつたえたのか?

  

歴史の教科書に次のような記述がありました。

  

渡来人は、高温で焼いた黒っぽくかたい土器(須恵器)を作る技術や、

かまどを使う生活文化を伝えました。

(35p/新しい社会 歴史 東京書籍)

   

ここで厄介なのは「かまど」です。

かまどが生徒に伝わるかどうか。

 

ありがたいことに、いい番組がありました。

2020年8月1日放映の番組

「世界ふしぎ発見!日本のポンペイ!?

ヨロイの古墳人が語る古代群馬の謎」

  

この番組で、かまどの火が燃えているシーンがありました。

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番組の説明によると・・・

渡来人は須恵器、鉄、絹織物など

さまざまなものを日本にもたらしたが、

なかでも人々の暮らしを変えたのが、かまど。

これにより、強い火力が使えるようになり、

食生活に大きな変化をもたらした。

   

かまどはすごいものだったみたいですが、

教師がいまいちそのすごさがわかっていません。

調べました。

  

※土浦発 未来への伝承 カマドのある暮らし

☝ ここが参考になりました。

  

かまどがない時には、

・竪穴住居の中心に穴を掘って炉で火を焚いて、

 煮炊きをした。

かまどができると・・・

・煙は屋外に排出する構造。

・かまどの位置は、住居の壁際になる。

・煙がないことで、室内で快適に過ごせる。

・かまどが壁際になったことで、居住空間がひろがった。

・煮炊きだけでなく、蒸す調理方法ができるようになる。

  

  

ここで疑問は煙を屋外に排出する構造とは?

蒸すことができるようになった利点とは?

  

この絵が参考になります。

B46

カマドのしくみ

  

この絵もわかりやすい。

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調査研究コラム カマドの煙突から出土する土器について考える

   

授業では下の絵を使いたい。

 

難しいのは、蒸すことの利点。

※なぶんけんブログ 蒸して食べる

☝ このサイトには次のように書いてありました。

  

形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、

お酒やお茶を作る際にも欠かせない調理法です。

  

料理の経験不足はどうしようもないです。

十分理解できていない状況で授業をすることになりそうです。

  

  

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「ペリリュー・沖縄戦記」⑥ 瓶に入れられた二匹のサソリ

    

今日は令和4年7月13日。

  

前記事に引き続き、

「ペリリュー・沖縄戦記」(ユージン・B・スレッジ著

伊藤真/曽田和子訳 講談社学術文庫)より。

   

一息つくあいだに隊員たちは、日本兵の背嚢やポケットをあらため

て記念品になるものを探しはじめた。(中略)

みな、いいものがあったと言っては喜び、仲間に見せびらかし、と

きには戦利品を交換する。野蛮でおぞましい儀式だが、深く憎み合

う者同士が敵対する戦場では、古来繰り返されてきたことだ。戦争

がすべてそうであるように、この儀式も非文明的であり、海兵隊と

日本軍の戦闘が激しければ激しいほど、儀式は激越だった。記念品

をあさるとか敵の死体から略奪するといった単純な行為の域を超え、

アメリカ先住民が敵の頭皮を剥いだ行為にも似たところがあった。

(190p)

  

死体の金歯を取る行為も、平時ではできないことでしょう。

      

歩兵にとっての戦争はむごたらしい死と恐怖、緊張、疲労、不潔さ

の連続だ。そんな野蛮な状況で生き延びるために戦っていれば、良

識ある人間も信じられないほど残忍な行動がとれるようになる。わ

れわれの敵に対する行動規範は、後方の師団司令部で良しとされる

ものと雲泥の差があった。

(191p)

  

ロシア・ウクライナの戦争も、私たちの想像を超える残忍なことが

起こりうるわけです。  

  

  

「短いが激しい戦いになるだろう。3,4日で片がつくと考えてい

る」ーーーペリリュー島攻略作戦が開始されるとき、師団長の言っ

た言葉だ。われわれはもう15日も戦っていたが、終わりは見えな

かった。

(199p)

  

著者は結局1か月戦闘に参加して、ペリリュー島を去ります。

  

担架を運ぶときは、手榴弾のなかでも燐光弾や発煙弾を投げて煙幕

を張り、ライフル兵の援護も受けるのだが、敵の狙撃兵はできるか

ぎりの速さで担架手を狙い撃ちしてきた。日本兵は、戦闘のあらゆ

る局面同様、この点でも容赦なかった。

岩だらけの起伏の激しい地形にペリリュー島の酷暑が加わるため、

担架一つに負傷兵一人を乗せて運ぶのも四人がかりだった。中隊の

全員がほぼ毎日、交代で担架手を務めなければならなかった。危険

このうえない重労働だということで、全員の意見が一致いていた。

(206p)

   

著者は戦場の様子を細かく書いています。

担架手が狙われるなんて驚きです。でも攻撃しやすい対象です。

   

陸軍の戦車隊はよくやった、というのが海兵隊員の評価だった。今

回の攻撃では、戦車は海兵隊のライフル兵と行動を共にした。いわ

ば相互支援だ。戦車は洞窟の入り口に乗りつけ、至近距離から75

ミリ砲を撃ち込んだーーー「ドーン、ズドッ」。戦車の機関銃も鳴

りやむことがないように思えた。ライフル兵のつかない戦車は、日

本軍の地雷を抱いた決死攻撃に破壊されるのが必定だった。ライフ

ル兵はライフル兵で、戦車の援護に大いに助けられた。

(216p)

  

日本兵の攻撃方法に驚かされます。

地雷を抱いた決死攻撃。どれだけの若い命が亡くなったことか。

   

軍事的優秀さを求めるひたむきさにかけては、日本軍もアメリカ海

兵隊に劣らなかった。したがって、ペリリュー島での両軍は、二匹

のサソリが瓶に入れられたようなものだった。一方が息の根を止め

られ、もう一方がそうなる寸前だった。真に優秀なアメリカ兵の集

団でなければ、勝つことはできなかっただろう。

(247p)

  

ここで有名な言葉に出合う。

「二匹のサソリが瓶にいれられたようなもの」

この言葉は、この本が最初だったのだろうか。

ペリリュー島での日米の戦いを表現している言葉として、

ずっと頭に残っている言葉です。

  

先にも書いたけど、この本は第一部のペリリュー戦記は読みました。

この本は、一度図書館に返して、後日再び借りて、

第二部の沖縄戦記を読もうと思います。

「ペリリュー・沖縄戦記」⑤ トーチカをめぐる攻防戦

      

今日は令和4年7月13日。

  

前記事に引き続き、

「ペリリュー・沖縄戦記」(ユージン・B・スレッジ著

伊藤真/曽田和子訳 講談社学術文庫)より。

          

そのときはもうアムトラックがゴトゴトと近づいてくるところだっ

た。まさに歓迎すべき光景だ。アムトラックが位置につこうとした

とき、日本兵がさらに数人、一団になって走り出してきた。銃剣付

きのライフルを握っている兵もいたが、やはり、片手でライフル、

片手でズボンという格好の兵も何人かいた。今度は私も当初の驚き

はなく、仲間の銃やアムトラックの機関銃に遅れをとらずに済んだ。

日本兵はひとかたまりになって、熱く焼けた珊瑚礁に倒れ込んだ。

むき出しの足がからみ合い、ライフルが落ち、ヘルメットが転がる。

われわれは憐れみを感じるどころか、いい気味だと気持ちが高揚し

た。われわれは幾度となく銃弾と砲火を浴びせられ、あまりに多く

の戦友を失ってきて、追い詰めた敵に同情する段階は過ぎていたの

だ。

(186~187p)

   

著者を含むアメリカ兵が、トーチカに潜む日本兵を追い込みました。

排気口から手榴弾を投げ入れたり、窓から機銃を撃ったりするのですが、

まだトーチカの中には日本兵が残っていました。

何人残っているのかがわかりません。

上記の場面は、そのトーチカから脱出をこころみた日本兵を

撃ち殺した場面です。

敵に同情する段階は過ぎていました。

  

アムトラックという水陸両用の軍用車から、

トーチカに向かって75ミリ徹甲弾を3発発射しました。

トーチカを貫通して、穴を開けました。

  

埃がおさまってもいないうちに、砲撃で開いた孔に日本兵が一人、姿

を現すのが見えた。死を覚悟した様子で、手榴弾を投げようと片手を

振りかぶる。

私はすでにカービン銃を構えていた。日本兵が現れると同時に、胸に

標準を合わせて引き金を引く。一発目が当たった瞬間、その顔が苦痛

にゆがんだ。膝ががくっと折れる。手榴弾が手から滑り落ちた。アム

トラックの砲手も含めて、私の周囲にいた全員が兵に気づいて発砲し

はじめた。兵は一斉射撃を受けて倒れ、足元で手榴弾が爆発した。

あっという間の出来事だったにもかかわらず、握ったカービン銃に視

線を落として我に返る瞬間があった。たった今、自分は至近距離から

一人の男を殺した。私の撃った弾丸が男に当たったとき、その顔に浮

かんだ苦痛の表情がありありと見てとれたことがショックだった。戦

争がきわめて個人的な問題になった。男の表情が私を恥じ入らせ、戦

争と、それに伴うあらゆる悲惨さに対する嫌悪感で胸がいっぱいにな

った。

しかし、次の瞬間、敵兵に対してそんな感情を抱くのは、愚か者のセ

ンチメンタリズムだ、という自覚が湧いた。それまでの戦闘経験のお

かげだった。この私がーーー海兵隊のなかで最も古く、勇猛で知られ

る歴戦の第五海兵連隊の一員である私がーーー自分に向かって手榴弾

を投げようとした敵兵を撃ち殺したからといって、恥じ入ってとはど

うしたことか。なんと馬鹿なことを。仲間に読心術の心得がないのが

ありがたかった。

(187~188p)

  

このトーチカを囲んでの攻防戦は、私には印象深い。

著者の心の揺れ動きがわかります。

そして、この場所に火炎放射器を抱えたアメリカ兵が到着します。

   

ウォークマック伍長が火炎放射器を持って近づいてきた。

伍長は背負ったタンクの重みに前屈みになり、助手を一人連れてわれ

われの射撃線から前に出ると、トーチカに近づいていった。二人がト

ーチカから15メートルほどに近づいたところで、われわれは射撃を

やめた。助手がしゃがんだ姿勢のまま手を伸ばして、火炎放射器のバ

ルブを開けた。ウォーマック伍長が、放射器のノズルを75ミリ砲の

開けた孔に向けて、引き金を引く。ゴーッという音とともに炎が躍り、

孔に吸い込まれていった。何人かのくぐもった悲鳴が聞こえ、ついで

に静寂が訪れた。

我慢強い日本兵も、火炎に焼かれて死ぬ苦痛には、さすがに悲鳴を抑

えきれなかったようだ。しかし、彼らが白旗を揚げる可能性はなかっ

た。同様の状況に置かれたとしたら、それはわれわれも同じことで、

日本軍と闘うかぎり、降伏は選択肢になかったのだった。

(188~189p)

トーチカという閉鎖空間で、火炎放射器の炎に攻められた日本兵は、

恐怖だっただろうと思います。痛ましい気持ちになります。

  

しかし、その恐怖の火炎放射器を扱う兵隊は、命がけのようです。

  

われわれの歓声に送られて、ウォーマック伍長と助手は大隊指揮所に

戻っていった。戦場のどこかで戦闘が停頓して、呼び出しがくるのを

待つのだ。行動中に命を落とすことも大いにあり得る。火炎放射器の

砲手というのは、海兵隊の歩兵が選び得る任務のなかで、最も望まし

くないものと言っていい。ゼラチン状のガソリンをおよそ26キロも

詰めたタンクを背負って、敵の砲火のなか、太陽に照りつけられなが

ら起伏の激しい地形を前進し、洞穴やトーチカの開口部めがけて火炎

を放射する。生き延びる可能性のきわめて低い任務だが、みな、見事

な勇気をもって遂行していた。

(189p)

   

安全な戦争なんてないんです。

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楽餓鬼

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