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2022年7月13日 (水)

「ペリリュー・沖縄戦記」⑤ トーチカをめぐる攻防戦

      

今日は令和4年7月13日。

  

前記事に引き続き、

「ペリリュー・沖縄戦記」(ユージン・B・スレッジ著

伊藤真/曽田和子訳 講談社学術文庫)より。

          

そのときはもうアムトラックがゴトゴトと近づいてくるところだっ

た。まさに歓迎すべき光景だ。アムトラックが位置につこうとした

とき、日本兵がさらに数人、一団になって走り出してきた。銃剣付

きのライフルを握っている兵もいたが、やはり、片手でライフル、

片手でズボンという格好の兵も何人かいた。今度は私も当初の驚き

はなく、仲間の銃やアムトラックの機関銃に遅れをとらずに済んだ。

日本兵はひとかたまりになって、熱く焼けた珊瑚礁に倒れ込んだ。

むき出しの足がからみ合い、ライフルが落ち、ヘルメットが転がる。

われわれは憐れみを感じるどころか、いい気味だと気持ちが高揚し

た。われわれは幾度となく銃弾と砲火を浴びせられ、あまりに多く

の戦友を失ってきて、追い詰めた敵に同情する段階は過ぎていたの

だ。

(186~187p)

   

著者を含むアメリカ兵が、トーチカに潜む日本兵を追い込みました。

排気口から手榴弾を投げ入れたり、窓から機銃を撃ったりするのですが、

まだトーチカの中には日本兵が残っていました。

何人残っているのかがわかりません。

上記の場面は、そのトーチカから脱出をこころみた日本兵を

撃ち殺した場面です。

敵に同情する段階は過ぎていました。

  

アムトラックという水陸両用の軍用車から、

トーチカに向かって75ミリ徹甲弾を3発発射しました。

トーチカを貫通して、穴を開けました。

  

埃がおさまってもいないうちに、砲撃で開いた孔に日本兵が一人、姿

を現すのが見えた。死を覚悟した様子で、手榴弾を投げようと片手を

振りかぶる。

私はすでにカービン銃を構えていた。日本兵が現れると同時に、胸に

標準を合わせて引き金を引く。一発目が当たった瞬間、その顔が苦痛

にゆがんだ。膝ががくっと折れる。手榴弾が手から滑り落ちた。アム

トラックの砲手も含めて、私の周囲にいた全員が兵に気づいて発砲し

はじめた。兵は一斉射撃を受けて倒れ、足元で手榴弾が爆発した。

あっという間の出来事だったにもかかわらず、握ったカービン銃に視

線を落として我に返る瞬間があった。たった今、自分は至近距離から

一人の男を殺した。私の撃った弾丸が男に当たったとき、その顔に浮

かんだ苦痛の表情がありありと見てとれたことがショックだった。戦

争がきわめて個人的な問題になった。男の表情が私を恥じ入らせ、戦

争と、それに伴うあらゆる悲惨さに対する嫌悪感で胸がいっぱいにな

った。

しかし、次の瞬間、敵兵に対してそんな感情を抱くのは、愚か者のセ

ンチメンタリズムだ、という自覚が湧いた。それまでの戦闘経験のお

かげだった。この私がーーー海兵隊のなかで最も古く、勇猛で知られ

る歴戦の第五海兵連隊の一員である私がーーー自分に向かって手榴弾

を投げようとした敵兵を撃ち殺したからといって、恥じ入ってとはど

うしたことか。なんと馬鹿なことを。仲間に読心術の心得がないのが

ありがたかった。

(187~188p)

  

このトーチカを囲んでの攻防戦は、私には印象深い。

著者の心の揺れ動きがわかります。

そして、この場所に火炎放射器を抱えたアメリカ兵が到着します。

   

ウォークマック伍長が火炎放射器を持って近づいてきた。

伍長は背負ったタンクの重みに前屈みになり、助手を一人連れてわれ

われの射撃線から前に出ると、トーチカに近づいていった。二人がト

ーチカから15メートルほどに近づいたところで、われわれは射撃を

やめた。助手がしゃがんだ姿勢のまま手を伸ばして、火炎放射器のバ

ルブを開けた。ウォーマック伍長が、放射器のノズルを75ミリ砲の

開けた孔に向けて、引き金を引く。ゴーッという音とともに炎が躍り、

孔に吸い込まれていった。何人かのくぐもった悲鳴が聞こえ、ついで

に静寂が訪れた。

我慢強い日本兵も、火炎に焼かれて死ぬ苦痛には、さすがに悲鳴を抑

えきれなかったようだ。しかし、彼らが白旗を揚げる可能性はなかっ

た。同様の状況に置かれたとしたら、それはわれわれも同じことで、

日本軍と闘うかぎり、降伏は選択肢になかったのだった。

(188~189p)

トーチカという閉鎖空間で、火炎放射器の炎に攻められた日本兵は、

恐怖だっただろうと思います。痛ましい気持ちになります。

  

しかし、その恐怖の火炎放射器を扱う兵隊は、命がけのようです。

  

われわれの歓声に送られて、ウォーマック伍長と助手は大隊指揮所に

戻っていった。戦場のどこかで戦闘が停頓して、呼び出しがくるのを

待つのだ。行動中に命を落とすことも大いにあり得る。火炎放射器の

砲手というのは、海兵隊の歩兵が選び得る任務のなかで、最も望まし

くないものと言っていい。ゼラチン状のガソリンをおよそ26キロも

詰めたタンクを背負って、敵の砲火のなか、太陽に照りつけられなが

ら起伏の激しい地形を前進し、洞穴やトーチカの開口部めがけて火炎

を放射する。生き延びる可能性のきわめて低い任務だが、みな、見事

な勇気をもって遂行していた。

(189p)

   

安全な戦争なんてないんです。

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