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2022年2月21日 (月)

日米和親条約では「箱館」ですが、今は「函館」です。

    

今日は令和4年2月20日。

   

日米和親条約を教えていて気がついたことです。

開港した港は、下田と箱館でした。

函館ではなくて箱館でした。

  

現在は函館です。

ではいつから箱館は函館になったのか。

  

勉強になったサイトはここです。☟

北海道ファンマガジン 「箱館」が「函館」に変わったのはいつ? 漢字変更の謎に迫る

2012年の記事です。

  

一部引用します。

  

実際、明治2年に開拓使出張所が箱館に設置された時に書かれた記録

から、明治2年9月に「函館」に改称することになったという記述が

見つかっている。理由は不明だ。

開拓使事業報告:「明治二年本出張所を置き箱館を函館と改む」とあ
 
るのをうけて、「九月三十日開拓使出張所を函館に置く、箱館の字を
 
函館に改めたるは此時なり」と記載(函館区史)

要するに、9月30日に函館に開拓使出張所を置く時が改称の時だと書

いている。このように、明治2年(1869年)9月30日に函館に開拓使出

張所が置かれ、開拓使が北海道での活動を開始した日に改称されたと

いうことができる。

(中略)

結論としては「明治2年(1869年)9月30日が函館への改称の日」

いうのが正しいと言えそうだ。   

   

明治になって比較的早く改称したようです。

その理由は不明。

   

どこかに理由を書いた文章がないか探しました。

Yahoo!知恵袋 函館は元々、「箱館」の表記でしたが、 なぜ、「箱」→「函」になったのですか?

この質問のベストアンサーが勉強になりました。

2013年の文章です。

「箱」は「はこ」と蓋は別物。

「函」は「はこ」と蓋がつながっています。

一部引用します。

明治元年に佐幕派の大鳥圭介隊と土方歳三隊の両隊が、箱館府の

五稜郭を占拠し、明治二年に箱館政権を樹立し、箱館戦争が起こ

り、日本政府 から分離独立というところまでいきました。既に

他の方が書かれているよう に、箱館が函館に改称されたのは、

この戦争の直後です。 「箱」という字義に、蓋と本体を分離する

構造という意味があるため、あわや 日本から分離するかというと

ころまでいった土地の地名に、この「箱」という 漢字をそのまま

使うのは縁起が悪いと当時の明治政府関係者は思ったこと でしょ

う。ですから、これを機に、蓋と本体が分離するという意味の

「箱」を、 蓋と本体がくっ付いているという意味の「函」に変え

たと考えられるのです。

   

どうなんでしょうね。

  

ただこういうのが道草っぽくていいなあ。

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