日米和親条約では「箱館」ですが、今は「函館」です。
今日は令和4年2月20日。
日米和親条約を教えていて気がついたことです。
開港した港は、下田と箱館でした。
函館ではなくて箱館でした。
現在は函館です。
ではいつから箱館は函館になったのか。
勉強になったサイトはここです。☟
※北海道ファンマガジン 「箱館」が「函館」に変わったのはいつ? 漢字変更の謎に迫る
2012年の記事です。
一部引用します。
実際、明治2年に開拓使出張所が箱館に設置された時に書かれた記録
から、明治2年9月に「函館」に改称することになったという記述が
見つかっている。理由は不明だ。
要するに、9月30日に函館に開拓使出張所を置く時が改称の時だと書
いている。このように、明治2年(1869年)9月30日に函館に開拓使出
張所が置かれ、開拓使が北海道での活動を開始した日に改称されたと
いうことができる。
(中略)
結論としては「明治2年(1869年)9月30日が函館への改称の日」と
いうのが正しいと言えそうだ。
明治になって比較的早く改称したようです。
その理由は不明。
どこかに理由を書いた文章がないか探しました。
※Yahoo!知恵袋 函館は元々、「箱館」の表記でしたが、 なぜ、「箱」→「函」になったのですか?
この質問のベストアンサーが勉強になりました。
2013年の文章です。
「箱」は「はこ」と蓋は別物。
「函」は「はこ」と蓋がつながっています。
一部引用します。
明治元年に佐幕派の大鳥圭介隊と土方歳三隊の両隊が、箱館府の
五稜郭を占拠し、明治二年に箱館政権を樹立し、箱館戦争が起こ
り、日本政府 から分離独立というところまでいきました。既に
他の方が書かれているよう に、箱館が函館に改称されたのは、
この戦争の直後です。 「箱」という字義に、蓋と本体を分離する
構造という意味があるため、あわや 日本から分離するかというと
ころまでいった土地の地名に、この「箱」という 漢字をそのまま
使うのは縁起が悪いと当時の明治政府関係者は思ったこと でしょ
う。ですから、これを機に、蓋と本体が分離するという意味の
「箱」を、 蓋と本体がくっ付いているという意味の「函」に変え
たと考えられるのです。
どうなんでしょうね。
ただこういうのが道草っぽくていいなあ。
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