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2021年12月10日 (金)

「御巣鷹山と生きる」② 不幸の連鎖

    

今日は令和3年12月10日。

    

前記事に引き続き、

「御巣鷹山と生きる 日航機墜落事故遺族の25年」

(美谷島邦子著/新潮社)より引用します。

     

   

会に寄せられる手紙には、残された者の回転の狂ってしまった今の

生活がうちあけられ、苦しみがつづられています。

2人の肉親を失い、事故後病気になり亡くなった人。自殺した人。

心労のため肉親の不幸が重なった人も多くいます。家庭内のトラブ

ルが、事故後すぐに起き、心安まることのない人。根無し草のよう

に住居が定まることのない人。何とか立ちなおろうとしながらも、

幸せの歯車はあの日以来なかなかかみあってくれません。

最愛の人が欠けたために生じたその穴は、埋まるどころかますます

大きくなります。夫が亡くなり、妻は婚家を出、姓も名のれず、お

墓も夫の実家のもとにあり、残るのは夫の想い出だけですという人。

やさしかった息子が亡くなり、嫁は家を売り、年老いた母は今小さ

なアパートで一人暮らし。家賃も滞る有様の方。

(63p)

   

事故死という不幸がきっかけで、不幸が連鎖することがあるよなと、

この文章を読んで思いました。

事故さえなければと思った人がたくさんいたと思います。

事故は事故だけで終わりません。

  

  

8・12連絡会の方針は、当初から「遺族同士のゆるやかな連帯」

だった。さまざまな意見があったが、大方一致したところでまとめ

るという「ゆるやかな連帯」が、大切な方針であり続けた。そして、

遺族の心の中にある「事故を忘れたい」という思いと、「絶対に忘

れない」という思いを大切にしていきたいと思っていた。

(75p)

   

現在、8・12連絡会はどんな方向を向いているのだろう。

撃墜説に対してどのように思っているのだろうか。

「忘れたい」「忘れない」の気持ちは、当事者の気持ち。

わかるような気がします。

  

  

20年が経っても、夫を亡くした妻は、「2人の息子を成人させ、

孫たちにも囲まれていても、夫婦一緒の姿をみるとあなた、側にい

て欲しいよ、淋しいよと思う。言葉にすると今も涙がでる」と書く。

(82p)

  

これもわかるような気がします。

当事者の気持ちがたくさん載っていた本です。

  

  

小川領一さんは、海外で勉学した後、鹿児島に移住、自分の会社を

立ち上げた。今、国内外の環境、国際協力分野で精力的に働いてい

る。事故で、父母と妹が逝き、弟と2人残された。遺品のカメラに

は、父親の哲さん(当時41歳)が写した写真があった。事故から

5年後、「事故防止の一助に」と写真を公開した。窓外の雲、東京

湾、富士山と続いた写真は、6枚目で急を告げている。酸素マスク

をつけた乗客と乗員の姿がある。貴重な写真だ。

(85p)

   

青山透子さんも著書に掲載した写真だと思います。

美谷島さんも同じものを見ています。

  

 

遺族の1年は、8月12日からはじまり、翌年8月11日に終わる。

(91p)

  

これも当事者の貴重な気持ち。

そうなんだろうなと寄り添うことはできます。

  

 

事故の第一現場の相模湾上空から落下して海中に沈んでいる残骸を、

徹底的に回収するように求めた。

(100p)

しかし、そんな遺族の思いとは離れて、CVR(音声記録)、

DFDR(飛行記録)の生テープは、ともに公開されないままだっ

た。公正な事故調査のためには、プライバシーの問題等を考慮した

上で、なんらかの方法で公開して欲しいと思った。

(111p)

    

青山透子さんと一致する意見です。

でもまだ回収されていなくて、公開もされていません。

  

  

つづく

  

  

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