「線量計と奥の細道」② 現実に足を運んでみないと分からないこと
今日は令和3年12月1日。
前投稿の続きで、
「線量計と奥の細道」(ドリアン助川著/集英社文庫)より
引用していきます。
津波の被害を受けた仙台市の海岸線の様子。
海岸まで走ると、防潮林の松林の跡があった。半分はなぎ倒され、ま
たかろうじて生きている松の上に枯れた松が絡まり、重なった状態が
帯となって続いている。ここを襲った水の力を想像すると思考が止ま
り、いっさいの形容詞が出てこなくなる。だが、それでも振り返ると、
空は精一杯に輝く夕焼けだった。傷が癒えることのない人にも、忘れ
ようとしている人にも、原発なき未来を望む人にも、あるいはその反
対の人にも、まったくどうでもいいと思っている人にも、夕暮れの朱
色の光は等しく降り注ぐ。そして私はその地を自転車で巡っていく。
(133p)
光景が浮かぶ文章です。
場所を越えて時代を越えて、夕焼けは存在するのだろうな。
最近まで読んでいた平将門だって、
夕焼けを見て感動したであろう。
津波の跡地でも夕焼けは存在し、
これが地球上での出来事だと語ってくれるようです。
石巻市での様子です。
国民的漫画家、石ノ森章太郎さんゆかりの地ということで、市役所
前には仮面ライダー、駅舎の上にはサイボーグ009の像が建てら
れている。この周辺から駅の西側にかけては街として充分機能して
いるように見受けられる。しかし、駅の東側、旧北上川に沿って海
岸線の方へ進んでいくと、目に見えるものは一変した。市の半分が
水をかぶったのだ。波は襲いかかってきて、根こそぎ破壊していっ
た。通りによっては、ゴーストタウンのように半壊した店舗だけが
残っている商店街もある。唖然としながらも思った。インターネッ
トでの映像やメディアがもたらす情報など、私たちはそれらに触れ
て半ばわかったようなつもりでいる。だが、情報と想像には限界が
ある。被災した街はどうなっているのか。やはりそれは、現実に足
を運んでみないとわからないことだ。
(159p)
まだ大震災から1年半しか経っていない場所に行ったから、
その名残りは残っていたのだと思います。
現実に足を運ぶことは、長野県の被災地にボランティアで行った時に、
やっぱり大事なことだと思いました。
退職後は、現実に足を運ぶことを心掛けたいです。
山形県堺田駅での光景です。
とんでもないものを見つけてしまった。小径に沿うように小川が流
れていた。その水が一度貯まって小さな池をつくっている。そこか
らは左右二つの流れとなって下っていく。そこは「分水嶺」という
標識があり、駅から向かって右には「太平洋」、左には「日本海」
と記されているのだ。こんなものを見たのは初めてだったので、本
当に足が進まなくなった。わずかな水量でありながら、太平洋と日
本海へ分かれていくここが分岐点。どちらに流れていくかは水の知
ったことではない。まさに偶然による振り分けなのだ。それがよく
わかるのは木の葉の動きだった。流されてきた木の葉は小さな池で
くるくる回りながら、左へ、右へと吸い込まれていく。
人の世もまさにそうなのだと思った。運命の分水嶺はいつもどこか
に隠れている。
いつ、どんな家庭に生まれるのか。だれと出会うのか。どんな仕事
と巡り合うのか。そして私はつい、震災のことも考えてしまう。津
波に飲まれた人。逃げ出せた人。原発事故によって家を放棄しなけ
ればならなくなった人。その現状をテレビで見ながら、数分後には
家族の団らんに戻る人。
(188~189p)
動画はないだろうかと思って探したらありました。
その中の1本です。
YouTube: 日本でも珍しい!最上町にある見える「分水嶺」!太平洋?日本海?流れる水の運命はここで決まる!山形県の面白マイナー観光スポット
先日、プロ野球の日本シリーズでヤクルトが優勝を決めた晩。
2時間20分遅れで始まった「世界ふしぎ発見!」のテーマは
分水嶺でした。
ちょうどこの本で、この部分を読んだ直後だったので録画しました。
この番組を見ながら、分水嶺については書きたいですね。
今晩はここまで。
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