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2021年12月30日

2021年12月30日 (木)

20211226報告④ 映画を見て思ったこと感じたこと

    

今日は令和3年12月30日。

   

映画「西から昇った太陽」について。

   

私が実際に見て思ったことを書いていこうと思います。

  

当時の漁船は物資がない時代だったので、

防風林であった松や杉の木を使って造られた

木造船が多かったそうです。

鉄の船ならば、波にあっても軋まないけれども、

第五福竜丸は軋んだそうです。

次の大波で木っ端みじんになってしまうのではと

怖れて乗っていたそうです。

よくぞそんな船で太平洋の真ん中まで行くよなと思いました。

  

マーシャル諸島で、水爆実験の明かりを見た時は

「ピカドン」だと言っていたそうです。

原子爆弾を「ピカドン」と表現することは、

船員たちも知っていました。

「ドン」は地鳴りのような音だったそうです。

乗組員は甲板に身を伏せました。

立っていられない衝撃が、160km先まで届いたのでしょう。

   

機関士の池田さんは、すぐに機関室に行き、

そこで味わったことのないようなにおいを感じます。

目に見えないものがすでに第五福竜丸には届いていたのでしょう。

  

焼津に戻った乗組員たちは、

アメリカ人医師の診察を受けることを拒否して

日本の病院に入院することを決めます。

まだ終戦間もない時であり、

敵国アメリカに行くことを恐れた気持ちがあったことを知りました。

東京の病院へは飛行機で向かっています。

  

病院には当時としては珍しいテレビがセットされ、

乗組員たちはそのテレビを見て、

外の世界で何が起こっているかを知ります。

放射能を浴びた人とは結婚したくないという

若い女性の発言にショックを受けます。

「僕たちは別の人間になってしまった」と思ったそうです。

このことは本でも読んだことがありますが、

その情報を知ったのはテレビだったのだとわかりました。

   

久保山愛吉さんが重症に陥り、痛みに苦しんでいる姿を見て、

他の乗員たちも、初めて自分の死を真剣に考えたそうです。

病院でも陽気だった乗員たちでしたが、

久保山さんの死後は口数が減ったそうです。

  

1年2カ月余り入院して焼津に戻った時の様子も描かれていました。

「放射能はうつる」と思われ、近所の人から無視されます。

小さな子どもに放射能がうつって死んでしまうとも言われます。

ぜひ婿養子にと言われていたのに、断られるシーンもありました。

死産で子どもを失ったのは大石さんでした。

   

映画の締めは

「環境と犠牲者の健康を脅かせ続けています」でした。

監督が伝えたいと思っていたメッセージです。

全体的に静かな映画でしたが、語られていることは重い映画でした。

インタビューで語られていることが主であって、

アニメーションがそれを補助していました。

日本語の字幕も大いに助けになりました。

  

  

これで借りていたDVDは返却しようと思います。

生徒に対して上映会をするためには

どのような手続きが必要なのか聞いて行動したいです。

できたら、できるのなら、

手元に置いておきたい映像でした。 

20211226報告③ 核兵器による長期的な被害を描いた映画

    

今日は令和3年12月30日。

   

映画「西から昇った太陽」について。

   

パンフレットから「映画概要」を転載したいです。

映画「西から昇った太陽」は、マグロ漁船第五福竜丸の漁師たちの

体験を、インタビュー映像と再現アニメーションで綴るドキュメン

タリー映画です。1954年3月1日、太平洋で行われた水爆実験に遭

遇した第五福竜丸の乗組員23人の身に起きた長期的な被害と、彼ら

が直面した苦難を描きます。

物語は1945年8月9日の長崎から始まります。時刻は午前11時1分。

長崎市に投下された原子爆弾が爆発する直前です。戦後、アメリカ

やロシアなどの国々は核兵器製造を続け、より破壊力の強い水爆を、

そしてより遠隔で攻撃可能なミサイルなどの開発を行いました。ア

メリカは終戦の翌年からマーシャル諸島で核実験を開始。58年まで

に67回もの実験を繰り返しました。

終戦から9年が経ち、若者たちは自身の、そして故郷の将来への期

待を胸に大海へと出て行きました。当時のマグロ漁船の発展は目ざ

ましく、拡大する需要の前に「沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へ」

のスローガンのもと多くの漁船がマグロを追いかけて遠洋に出て行

く、そんな時代でした。太平洋での核実験はそうした時代の障壁で

あり、マグロ漁で身を立てようとする若い漁師たちにとっては自身

の人生を大きく変える悲劇的な出来事でありました。

    

「映画概要」というよりは「ビキニ事件の背景」のような内容です。

マグロを求めて遠洋に出かけて行った先に、

核実験場があったというわけです。

哀しい一致です。

   

   

映画監督キース・レイミンク氏のコメントも転載しておきたいです。

   

私は、ある1冊の本から第五福竜丸の悲劇的な話を知りました。核

事故について記したその分厚い本の中のほんの一文でしたが、自分

の国がこのような恐ろしい出来事を引き起こしたと知り驚愕しまし

た。第五福竜丸について調べるうちに、日本人とアメリカ人の間で

核兵器や放射性降下物の問題について相違があることが分かりまし

た。アメリカでは環境や政治、経済的コストの観点から議論されま

すが、何十年にもわたって続く人的被害についてはほとんど語られ

ることがありません。第五福竜丸の話を伝えることによって、核兵

器と核兵器が長期にわたって引き起こす影響について議論するきっ

かけを作ることができればと思っています。

   

アメリカで議論されている観点「環境、政治、経済的コスト」とは

どのようなものかこの文章だけでは想像できません。

でもそれと同じように、アメリカ人には「何十年にもわたって続く

人的被害」については想像外のことなのでしょう。

この映画では、放射能を浴びた後の苦悩や人的被害を表現しています。

アメリカ人にも核兵器の恐ろしさが伝わればいいなと思います。

 

20211226報告② 映画は3人の声を残すことができました

      

今日は令和3年12月30日。

   

映画「西から昇った太陽」について。

  

映画は3人の元第五福竜丸乗組員のインタビューに沿って、

進んでいきます。

その3人とは。

  

大石又七さん。

当時20歳。

仕事は冷凍士。

大石さんの本や映像は見てきました。

ただ第五福竜丸でどんな仕事をしていたのかは、

初めて知りました。

捕獲したマグロを、氷で包んで保冷する仕事でした。

  

見崎進(みさきすすむ)さん。

当時27歳。

操舵手。

船長と交代で舵を握る仕事。

波が激しい時には、舵を持っていかれないように、

2人で舵を握っていたそうです。

     

池田正穂(まさほ)さん。

当時21歳。

機関士。

機関室が仕事場。

出航の時も機関室にいるため、

岸壁の見送りの人たちとテープを渡し合う

セレモニーには参加していませんでした。

   

    

第五福竜丸が被曝した時に乗船していたのは23人でした。

第五福竜丸展示館にあった資料で示します。

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23人の元乗組員のうち、21人が亡くなっていました。

大石さんが3月に亡くなったことは知っていましたが、

見崎さんも、池田さんも亡くなっていました。

映画に出ていた3人とも亡くなっていました。

    

映画は3人の声を残すことができました。

   

映画のパンフレットからの引用です。

  

映画「西から昇った太陽」の製作チームは2014年12月に来日し、第

五福竜丸の元乗組員たちにインタビュー取材を行いました。元乗組員

らは戦前の状況や船上での生活、実験を目撃した瞬間のことや、入院

中の様子などを鮮明に記憶しており、その記憶を製作チームに語りま

した。(中略)3人の元乗組員から同一の出来事に関する体験を聞き

出すことで、歴史的に正確な第五福竜丸のストーリーを導き出すこと

を試みました。

   

「正確なストーリー」というか「正確なヒストリー」を

映画から感じたのは、3人という複数の人からのインタビューだった

からなのですね。

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