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2021年12月30日 (木)

20211226報告② 映画は3人の声を残すことができました

      

今日は令和3年12月30日。

   

映画「西から昇った太陽」について。

  

映画は3人の元第五福竜丸乗組員のインタビューに沿って、

進んでいきます。

その3人とは。

  

大石又七さん。

当時20歳。

仕事は冷凍士。

大石さんの本や映像は見てきました。

ただ第五福竜丸でどんな仕事をしていたのかは、

初めて知りました。

捕獲したマグロを、氷で包んで保冷する仕事でした。

  

見崎進(みさきすすむ)さん。

当時27歳。

操舵手。

船長と交代で舵を握る仕事。

波が激しい時には、舵を持っていかれないように、

2人で舵を握っていたそうです。

     

池田正穂(まさほ)さん。

当時21歳。

機関士。

機関室が仕事場。

出航の時も機関室にいるため、

岸壁の見送りの人たちとテープを渡し合う

セレモニーには参加していませんでした。

   

    

第五福竜丸が被曝した時に乗船していたのは23人でした。

第五福竜丸展示館にあった資料で示します。

Rimg2168  

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23人の元乗組員のうち、21人が亡くなっていました。

大石さんが3月に亡くなったことは知っていましたが、

見崎さんも、池田さんも亡くなっていました。

映画に出ていた3人とも亡くなっていました。

    

映画は3人の声を残すことができました。

   

映画のパンフレットからの引用です。

  

映画「西から昇った太陽」の製作チームは2014年12月に来日し、第

五福竜丸の元乗組員たちにインタビュー取材を行いました。元乗組員

らは戦前の状況や船上での生活、実験を目撃した瞬間のことや、入院

中の様子などを鮮明に記憶しており、その記憶を製作チームに語りま

した。(中略)3人の元乗組員から同一の出来事に関する体験を聞き

出すことで、歴史的に正確な第五福竜丸のストーリーを導き出すこと

を試みました。

   

「正確なストーリー」というか「正確なヒストリー」を

映画から感じたのは、3人という複数の人からのインタビューだった

からなのですね。

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