「万波を翔る」小野友五郎/番画〈322〉:小野友五郎物語
今日は令和3年7月21日。
またまたこの本のことを書きます。
「万波を翔る(ばんぱをかける)」
(木内昇著/日本経済出版社)
今日は小野友五郎という人に注目です。
小説の主人公である田辺太一は、
小笠原諸島に派遣された時に一緒だった
小野友五郎からいろいろ学びます。
小野の仕事ぶりを見て・・・・
こうして遊ぶように仕事と向き合えたら、強ぇのかもしれねぇな。
無心にのめり込めれば、四角四面に物堅く役目に接するより自在に
案も浮かび、結果、大きな飛躍がかなうのではないか。和算も航海
術も緯度経度を測る術も星で方位を見る術も、きっと小野は、務め
というより興味関心の赴くままに身につけていったのだろう。それ
が彼の、他に取って代わることのない無二の立場を作り上げている
のだ。
(278p)
遊ぶように仕事をしていた時があったと自分のことを思い出す。
社会科について自分が興味関心をもって調べ、
それが授業につながっていきました。
う~ん、授業につながっていたというか、
授業とは違う場面、社会科通信を発信して、
こんな面白いことがあるよと伝えていたと思います。
その時の通信の名前が「道草・社会」
基本はブレていないと思います。
今でも、自分が興味関心をもったことを伝えたいは
かわっていません。
このブログがその証。
タブレット端末に夢中になったのも、
遊び心からだと思います。
遊ぶように仕事をする小野友五郎を見習って、
もう一度頑張って、踏ん張ってみようかな。
小野友五郎から学ぶことはまだあります。
田辺太一と一緒に学びました。
(太一)「失敗が怖くはございませんか・・・」
(友五郎)「無論、好んでしくじることはせん。できればしくじら
ず、なにごとも穏便に済ませたいと思うておる。しかし、しくじり
というのもさほど悪いものではないように思うのじゃ。しくじれば
痛い思いをする分、鮮烈な覚えが残る。となれば、しかと身につこ
う。ゆえに、無理かもしれぬと思うても、『これは』と思うことあ
れば行うほうがのちのち得することに相成る。しくじるかもしれぬ、
と手を出さぬと、人は一生を、小さな輪の中を独楽鼠(こまねずみ)
のようにくるくる回って終えねばならんからなぁ」
(287~288p)
今日も会計の仕事でしくじりました。
そのしくじりを補うために時間をかけました。
でもきっと同じしくじりはしないことでしょう。
60歳になってもしくじりはあります。
しくじりを恐れず、まだまだ自分のやりたいことを
やっていきたいと思います。
小野友五郎から学んだ3つ目。☟
(友五郎)「ここだけの話、わしは長崎の伝習所に送られると決ま
ったとき、まことは断りたかった。天文は好きなのじゃが、船を究
める気はなかった上、算学にも少々飽いておったときでのう」
数学の申し子のような小野の案外な告白に、太一は目を瞠(みは)
った。
「じゃが、存外望まぬ役目を与えられたときこそが、己の引き出し
を増やす好機に思うのじゃ。自分ではけっして選ばぬものに触れる
機会となるゆえ。己の鉱脈というのは、己では考えもつかぬような
ところにあるやもしれんな」
まさに小野は、伝習所を経たことで遣米使節団に加わり、今の地位
を築いたのである。
「長く家人を務めれば、己の好まぬ役目を与えられ、それに従わね
ばならぬときもござろう。そのときに腐らず、面白がることで、道
とは拓けていくものじゃ」
小野は付言すると、健やかな笑顔を見せた。
(288p)
18年間小学校に勤務して、残りの4年もこのまま小学校勤務だと
思っていました。結果、中学校勤務。
これは呆然としました。
今でも、慣れた小学校勤務だったら、
もっと楽ができたと思ってしまいます。
でも小野友五郎からは学ばせてもらいました。
腐らず、面白がることで、道は拓ける。
まだ間に合う。
しくじりを恐れずに、遊ぶように、面白がって仕事をしたい。
やってきたことなのです。
それが少々萎縮していました。
小野友五郎さん、感謝。
小野友五郎はどんな人だったのか。
次の動画が参考になった。
番画扱いです。
〈322〉小野友五郎物語(茨城県笠間市)
555pの本。
今日で296pまで読みました。
半分を越えました。
半分を越えると早い。
コメント