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2021年7月 4日 (日)

番画〈304〉〈305〉:徳川慶喜の勉強をした 栗本鋤雲はどんな人?

    

今日は令和3年7月4日。

   

番画です。

徳川慶喜に関係ある番組を連続で2本見ました。

  

〈304〉「歴史探偵 謎の将軍 徳川慶喜」

  (2021年6月16日放映)

  

〇徳川慶喜が晩年に、渋沢栄一に請われて、

 昔を語った回顧録がある。「昔夢会筆記(せきゆかいひっき)」

〇「昔夢会筆記」の記述をAIで分析したところ、

 大政奉還に関する記述では、慶喜が本音で語っていないことがわかる。

 「大政奉還」は「一同合意」でなされたと書いてあるが本当か?

〇慶喜は「一同承知」「一同合意」が好きらしい。

 大政奉還もそのようにもっていくために策をとった。

〇大政奉還を正式に発表する数日前に、二条城に藩の役人を集めて、

 大政奉還をすることを発表した。

 役人たちは、藩主の意見を聞くために、急いで藩に帰還。

 残された藩の役人の前で大政奉還を正式に発表。

 異を唱えるような藩はいなかった。

 賛成派の後藤象二郎らが残っていた。  

  

〇慶喜と薩摩藩とのにらみ合い。

 薩摩藩は京都を押さえ、慶喜は大坂城に入城する。

〇大阪湾は江戸幕府の艦隊が押さえているために、

 薩摩藩の補給ルートは絶たれている。

 慶喜は動かなくても、薩摩藩に勝てると思っていた。

〇江戸で薩摩藩藩士が暴挙。

 それに対して幕府軍が薩摩藩焼き討ちをする。

 それだけに飽き足らず、大坂城にいる慶喜に、

 薩摩藩との戦いをするように要請があった。

 慶喜が戦を拒否すれば、刺されてしまうような勢いだった。

 慶喜は「勝ってにせい」と言って戦うことを否定しなかった。

〇幕府軍は京都に進撃。鳥羽伏見の戦い。

 幕府軍は人数でも武器でも、薩摩軍を上回っていた。

 しかし油断によって劣勢になる。

〇薩摩軍が錦の御旗を掲げたことで、慶喜はどん底に陥る。

 大坂城を脱出して江戸にもどってしまう。

 仁和寺に当時の錦の御旗が保存されていた。 

  

   

〈305〉「英雄たちの選択 徳川慶喜 パリ万博大作戦

  600万ドルを確保せよ」(2021年6月23日放映)

  

〇1867年(慶応3年)パリ万国博覧会開催。

〇徳川幕府使節団 代表は慶喜の弟、徳川昭武。

 慶喜は昭武に陣羽織を渡す。万博参加は戦場におもむく覚悟。

〇小栗上野介は、幕府の軍事力増強のために手をうっていた。

 横浜には海軍造船所を造った。

〇フランスから600万ドル借款して、軍事力増強をめざす。

 当時のフランスは、病気の発生によって、

 生糸の生産が80%削減状態。

 日本から生糸を輸入したいと考えていた。

 600万ドル借款する代わりに、

 日本の生糸の輸入独占権をフランスにわたす契約を

 小栗上野介と駐日仏代表が結ぶ。

 使節団は、この契約を具体的に進める任務を帯びていた。

〇しかしこの契約は暴露されて、イギリスから横やりが入り、

 生糸の輸入独占権は無効になった。

 よって600万ドルの借款も不可能となる。

〇起死回生の手として、蝦夷地の鉱山開発権をフランスに与えることで、

 600万ドルの借款をする案を駐日仏代表が言ってくる。

 慶喜はこの案に乗る。

 フランスに栗本鋤雲を派遣して交渉させる。

 しかし、交渉はうまくいかず。

 日本では大政奉還、戊辰戦争が起こっていく。

〇番組では、栗本鋤雲が高評価であった。

 幕府の最終兵器とも言われていた。

 どんな人なのだろうと興味を持った。

 大河ドラマ「青天を衝け」でも出てきている。注目したい。

〇ゲストの木内昇(きうちのぼり)さんの「万波を翔る」が

 読みたくなった。夏休みに読もう。

  

   

大河ドラマ「青天を衝け」を毎週見ていることを、

より充実させるために、この2番画を見たのは大きい。

なんかいい道草ができているなと実感する。

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