« 2021年7月27日 | メイン | 2021年7月29日 »

2021年7月28日

2021年7月28日 (水)

番画〈338〉:「白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」⑥

   

今日は令和3年7月28日。

   

前記事の続きです。

〈338〉「ETV特集 白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」

  (2021年7月24日放映)

この番画をほぼ聞き書きしてます。

   

  

〇ビキニ事件から半世紀余りが過ぎた2011年。

 東日本大震災によって、福島第一原発がメルトダウン。

 深刻な放射能汚染が広がり、人々は避難を余儀なくされた。

 福島の事故から2か月後、大石さんは、

 作家大江健三郎さんと対談。

 長年抱いてきた疑問を投げかけた。

 

〇第五福竜丸展示館での対談。

〇大石:それでね、ひとつね、先生にお伺いしたいのは、

  いつも疑問に思っていてわからないと思っていたこと、

  太平洋戦争を互いに経験、戦争の中で育ってきました。

  軍国教育というのを受けましたよね。

  戦争が終わりました。

  その時に指導していた人たちが、責任をとらない。

  あれは責任あるよなということを私たちは見てきました。

  その人たちが責任をとらないで、

  終わってからまた国の中のいい位置に座っている。

   

  今度の福島の原発の問題でもね、

  あれだけの大きな問題が持ち上がった、

  しかしそれを導入した者、あるいは推進してきた者、

  そうした人たちは一切顔を出さないで、

  それで責任をとらないで。

  一般の国民としてそれをどう受け止めてどう理解すればいいのかなと

  非常に私は疑問に思っているんですね。

  そういう人たちは何で世の中でいい位置に居座って、

  大きな顔をしている。

  どうにも私には我慢ならない。

 大江:私も我慢できないと思います。

  これは責任をとるべきじゃないかという

  たとえば海を汚して小さく見積もってもその集落の

  1万人の漁師を苦しめるほど大きな、

  人ではどうしても償うことができないことを犯してしまった人がですね、

  責任はとらないんです。

  私たちの国の人間の習慣なんかじゃないか。

  それは昔から続いているんじゃないかと思うんです。

  それは日本人の曖昧さと昔から言っているんですけどね。

  これは正しく筋を通すべきじゃないか、

  それをあいまいにして置くことで、その人の安全にすむし、

  相手もあまり追い詰めないという考え方が

  この国にはあると。

  それではね、どうしても行き詰ってしまう時がくるに違いないと

  私は考えているんですよ。

   

〇対談の様子を、学芸員の市田真理さんに聞いているシーン。

〇インタビュアー(イン):大江健三郎さんの対談の時は、

  市田さんも見ていたのですか。

 市田:見てましたけど、カメラに入らないように。

  その辺で小さくなっていたような。

  ただ声は聞こえていましたから、すごく印象的だったんですけど、

  最後の方で大石さんが責任について問われて、

  あの戦争も、ビキニ事件も、原発の事故も、

  誰か責任をとるべき人がいるんじゃないか、て言ったのが、

  すごく印象的だったので、飛び出して行って見たかったです。 

  それをテレビで後から見て、大石さんのこだわりがそこにあるなと

  思いましたね。

  「又七の海」でも責任について口にされていて、

  何かそれについて著名な知識人に、

  自分が確かめられる言葉が欲しかったのかな。

  すごい質問だと思いました。

  

〇2001年から第五福竜丸展示館で働く市田真理さん。

 大石さんの言葉を広く伝えたいという思いを募らせていた。

 ところがこの対談の翌年、大石さんは脳出血で倒れた。

 リハビリを8カ月重ねて、大石さんは講演活動に復帰。

 後遺症で自由に語れない大石さんの話を補う形で、

 市田さんと大石さんのコラボ講演が始まった。

 

〇(講演会の様子)

 生徒:日本には原水爆の恐ろしさを伝えたゴジラという

  映画があるんですけど、ゴジラよりも大石さんは

  どういった方法で世界にこういった原水爆の恐ろしさや

  日本の平和に対する思いを伝えるべきだと思いますか。

 大石:いろんな最高の勉強をした指導者たちがみんな

  戸惑っているのに、私にその答えはなかなか難しいです。

  ただね難しく考える必要はないと思うんです。

  幼稚園の子供でもわかることだと思うのです。

  相手が怖いものを持てばこっちも持たなければやられてしまう。

  だから相手が持ったらこっちももつという競争を

  アメリカと北朝鮮で今やってますね。

 市田:今、大石さんがおっしゃった向こうが持っているんだから、

  自分が持っていい。核兵器は1回使ってしまったら、

  大変なことになるから、持っているけど使わないだろうというのを

  難しい言葉で「核抑止」という理屈なんです。

  私もおかしいと思います。

  持たなきゃいいじゃんと思うんですね。

  その方がすっきりするんじゃない。

  自分はこんなに持っているのに、あの人には持っちゃダメというのも、

  不公平な話だと思います。

  今、アメリカはトランプ大統領で、その前はオバマさんが大統領でした。

  チェコのプラハというところで、「核のない世界を」と言っただけで、

  ノーベル平和賞をもらっちゃたんですよ。

  悪いけど私はもっと前から言っています。

  大石さんはもっと前から言っています。

 

〇大石さんが市田さんについて語るシーン。

 大石:この古い60年も前の事件のことを、きちっと

  今の若い人たちに通じるように話してくれるのは、

  市田さんしかいないんじゃないかと私も思っているし、

  私は本当にありがたいと思って感謝してます。

 市田:感謝されたから御茶をあげる。

  (大石さんはお茶を飲んで)

 大石:そういうことです。

  

〇インタビューに答える市田さん。

〇市田:こんなに真剣に怒る人、怒り続けている大人を私は

  見たことがないなあというのが、私が大石さんを尊敬する

  きっかけなので、体が不自由になっても、とにかく真剣に、

  答えようとするし、信じようとしているし、

  死ぬまで戦い続けますって、言葉の綾ではなくて、

  本当にこの人、戦い続けていくんだろうなと思わされる

  迫力がありました。

  上から目線では話さない。

  大上段に構えて教えてやる、聞けよではなくて、

  そこはすごく、やさしいとはちょっと違うんですけど、

  すごく丁寧な方だったと思います。

  

  

ここまでで60分の番組の46分間。

明日には聞き書きを終えることができるでしょう。

今晩はここまで。

   

つづく  

番画〈338〉:「白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」⑤

   

今日は令和3年7月28日。

   

前記事の続きです。

〈338〉「ETV特集 白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」

  (2021年7月24日放映)

この番画をほぼ聞き書きしてます。

   

〇語り始めた大石さんは、59歳で肝臓がん、

 その後も肺の腫瘍などの病気にみまわれた。

 それでも語ることをやめなかった。

 

〇佳子:今度は自分がやりたいと思って動いてきた人生ですね。

  そこからは。

  講演活動もやらなくても別にいいけど、

  自分でやろうと思って動き出した結果だし、

  そこでいろんな方たちとお会いして、

  いろんなことに気づかされて、

  その中で事件のことを調べて、勉強っていうと変だけど、

  一生懸命調べたりとか、人の話を聞いたりとか、

  そういうことをするようになって、

  知識を深めていったところがある。

  人とのかかわりあいの中で、父自体が変わっていったというのも

  言われますね。

  やわらかくなった。

  すごい厳しい人だったんですよ。

  厳しいというのは、人に対してバンバン言うとか、

  そういう厳しさと言うのではなくて、

  さわれないような鋭い部分っていうのが、

  そっからはもう立ち入れないよねみたいな、

  そういうピリピリしたものがあって 

  家に帰ってきても、うちって落ち着けれるような場所ではなくて。

  人とのかかわりあいの中で、やわらかくなってきた。

   

〇2004年

 ビキニ事件からちょうど50年経った2004年。

 大石さんは水爆実験が行われたマーシャル諸島を訪れた。

 自分と同じように、死の灰で被曝した現地の人々と、

 交流するのが目的だった。

 水爆「ブラボー」が爆発した時、82人が暮らしていた

 ロンゲラップ島。

 人々は降り注いだ死の灰の中に、2日間置き去りにされた。

 アメリカは、人々を避難させた後も、治療を行わず、

 血液や尿を採取して、放射線の影響を調べた。

 やがて、島に戻った人々に、甲状腺の腫瘍や、がんが続出する。

 女性には流産や異常な出産が相次いだ。

 不安をつのらせた人々は、1985年に故郷を離れた。

  

〇マーシャル諸島の首都マジュロ。

 (2004年に大石さんが訪問した時の映像)

 大石さんは模型の船を持参していた。

 ビキニ事件を伝えたいと作り続けてきた第五福竜丸。

 これで8隻目だ。

 故郷を離れて暮らすロンゲラップ島の人々が、

 この日、久しぶりに集まっていた。

 (模型船を手渡す大石さん)

大石:これは私が作ったものです。どうぞ置いてください。

 

〇ビキニ事件当時村長だったジョン・アンジャインさんが

 模型船を受け取る。

〇(第五福竜丸をラッキー・ドラゴンと表現する大石さん)

  

〇ジョンさんの息子レコジさんは1歳で死の灰を浴びた。

 15歳の時に甲状腺の異常が見つかり、アメリカで手術を受けた。

 4年後、白血病で再びアメリカに運ばれる。

 その3か月後、レコジさんは19歳で亡くなった。

 アメリカのメディアは「人類の水爆死 第1号」と書き立て、

 ようやくマーシャルの核被害が知られるようになった。

 アメリカは自分たちをモルモットのように扱った。

 ジョンさんはそう考えてきた。

 

〇ジョンさんと大石さんとの会話

 ジョン:水爆の犠牲者についてアメリカはまだ

  すべてを報告していません。

  ロンゲラップの被曝者について言えば、

  レコジのまえに2人が亡くなっています。

  レコジだけが犠牲者ではないのです。

  大石さんの主張は正しいことですし、

  一人で戦う姿に敬意を表します。 

  (ジョンさんは2004年に亡くなったと字幕)

  強い人ですね。

 大石:私の息子も、最悪の状況、奇形児で生まれている。

  ジョンさんの息子さんのことを見ていて、

  言葉がない。(嗚咽)

  

〇大石さんの語り

 大石:ビキニの人たちの被害というのは、なおざりにされてきている。

  月日だけはどんどん流れていくという虚しさと、

  人と人との争いのために弱いところ、無関係なところが

  被害を受けているという。

  人間が持っている理解できないでいるような部分を、

  しんみりと感じましたね。

  何とかできないかなと思いながらも、何もできないもどかしさを

  感じましたね。

  

   

つづく   

番画〈338〉:「白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」④

      

今日は令和3年7月28日。

   

前記事の続きです。

〈338〉「ETV特集 白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」

  (2021年7月24日放映)

この番画をほぼ聞き書きしてます。

   

〇再び「NHKスペシャル 又七の海」の映像。

 大石さんが語っている。

 

〇大石:責任をとってもらいたい。そこまで言いませんけどね、

  責任はあるのかないのか知りたいよね。

  もしかしたら責任ないのかもしれない。

  でも責任があるのかないのか、その答えぐらいは、

  聞かせてもらいたいと思いますけど。

  この問題というのは、やった側に責任があるのか、

  ないのかという、そういうことすら何も問題の答えが

  何も出ていないで来ちゃっていますからね。

  どちらかって言うと無視されているという状態でしょ。

  だから非常に不満ですよね。

   (沈黙)

  何のための犠牲なのか、その辺のことも聞かせてもらいたい。

  誰かのためになったのかしら、その犠牲ッというものが。

  誰かのためになっているのか。

  本当の無駄の犠牲だったのか。

  なんかわけの分からない、うやむやで消されてしまうような、

  そんなふうに感じますけどね。

  

〇長女佳子さんの語り。

〇佳子:なんか理不尽なものと、事件に対する、

  一緒に乗っていた人たちの悔しい思いと、

  同僚たちが早く亡くなっていく悔しさと無念さと怒りと、

  いろんなものがたぶん父には混じっていたと思いますね。

  やっぱり話をすることで、自分のいろんな気持ちていうのを

  吐きだす、吐きだすって言葉じゃいけないのかな、

  気持ちを少しでも表に出すことができるようになって、

  そのなかでやっぱり言葉にすることで、

  自分の考えをまとめていくというか、

  その事件をあらためてとらえなおすってことが

  できるようになったと思うし。

   

〇大石さんが自らの体験を公にするようになった直接のきっかけは、

 ある中学校からの依頼だった。

 代表の生徒が電話で、ぜひ体験した本人から聞きたいと、

 渋る大石さんを口説き落とした。

 

〇再び「NHKスペシャル 又七の海」の映像。

 北村和夫さんが大石さんの手記を朗読する。

〇北村:俺は時々思う。既成概念にどっぷり漬かって、

  固まってしまっている大人たちはもう、ダメ。

  真っ白で生まれてくるこれからの子供たちに、

  新しい未来を託すしかない。

  約束の日に、夢の島の展示館に行くと、

  男女3人ずつの生徒と、担任の先生も一緒に来ていた。

  中に一人、目の見えない高橋しのぶさんという女子生徒がいた。

  後で、展示されている船の中に入り、船室、ぎょそう、ブリッジなど、

  俺は指を差しながらいろいろと説明した。

  その子も、俺の後ろから手を引いてもらいながらついてきて、

  一生懸命、耳を傾けていた。

  俺はなぜかその子のことが気になった。

  あの子はきっと俺の言ったこと、半分もわからなかったのではないか。

  その時、ふと、あの子の手の中に入るくらいの船があれば、

  話の中の名前や形がわかるかもしれない。と思いついた。

  たいして深く考えたわけでもなく、俺は船を作りはじめた。

   

〇高橋しのぶさんへのインタビュー

 インタビュアー(イン):高橋さんが書いた感想文。

 高橋:なんかいろいろ書いたと思いますけど。

 イン:点字なんですけど、持ってきました。

 高橋:すごい、よくありましたね。何十年も前。

  

〇感想文を点字をなぞりながら読む高橋さん。

〇高橋:「私たちの船」

  大石さんに船の各部分について説明してもらった。

  私は模型船に手でさわっているだけだが、

  新米の私にベテランの乗組員の大石さんが、

  船の中をあちこち案内しながら

  いろいろと教えてくれて、

  これから航海に出ようとしているような、

  楽しい気持ちにちょっとなりかけた。

  その時この船は”死の灰”を浴びたんだってことを

  思い出した。

  心で受け取った小さな第五福竜丸は、

  学校だけじゃなくて、私の心にも置いて、

  大石さんの心を思い出すようにしたい。

  

〇高橋:よくとってありましたね。

  何十年前のきたない点字。(笑)

  大石さんの心の働きが模型船を作り出したんだと思うんです。

  誰に言われたわけではなくて。

  大石さんの心の中で作る。私のために作りたいという思いが、

  実際の行動を生み出して、行動してくださったことだと思うので、

  心が作った第五福竜丸を、大石さんがこれをつくった思いを、

  受け取るという思いで、この感想文を書いたと思います。

 

〇高橋しのぶさんは、特別支援学校の英語の教師になった。

 (英会話の授業風景)

 高橋さんの語り。

〇高橋:私には視覚障害があって、自分の力ではどうにもならない、

  そういった条件をもって、生きているっていう孤独感。

  中身は大石さんと私は違うんですけども、

  ちょっと共感できるものがあったかなと。

  人間はいっぱいいても、その中で自分と重ね合わせる人がいない

  というのは、孤独かな。

  だまっていればそれですむかもしれないけども、

  だまっていてはいけないって、言う思いがあって、

  それを実行できたっていう、強い方というか、

  心の中に強さをもった人だと思います。

   

  

つづく     

  

最近の写真

  • Img_9636
  • Img_9635
  • Img_9634
  • Img_9633
  • Img_9632
  • Img_9631
  • Img_9630
  • Img_9629
  • Img_9628
  • Img_9627
  • Img_9626
  • Img_9624

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉