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2021年7月27日

2021年7月27日 (火)

番画〈338〉:「白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」③

   

今日は令和3年7月27日。

   

前記事の続きです。

〈338〉「ETV特集 白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」

  (2021年7月24日放映)

この番画をほぼ聞き書きしてます。

   

〇佳子:ねえ、みんなから、白い目で見られて、

  お金だけもらったって、後ろ指刺されて、

  焼津にいられなくなって、雑踏の東京に紛れるように、

  出てきたわけですよね。

  いいこと何もないよ。自分ではどうしようもない、

  自分が選んだ人生ではなくて、どうしようもないかたちで、

  船のようにあっちに行きこっちに行き、

  ここまで来ちゃったような。

   

  うちでビキニ事件の話をしたことはないですね。

  (1959年 信子さんと結婚)

  やっぱりそういうのを知られると、結婚するのは大変。

  結婚できるとは思っていなかった。

  自分一人の問題ではなくて、つながっていってしまう。

  子供が生まれないんじゃないかとか、

  そういった問題を含んでいくことなので、

  やっぱり公にしたくなかった部分もあるし。

 

〇再び「NHKスペシャル 又七の海」の映像。

 北村和夫さんの朗読。

 

〇北村:うちの中は明るくにぎやかになった。

  そんな日々の中、お母ちゃんは身ごもった。

  みんな喜んでくれた。

  しかし、俺の頭の中には、忘れかけていた不安が急に

  よみがえってきた。

  被曝の影響は本当になくなったのだろうか。

  お産の日が近づき、店から1キロぐらいの所にある病院に

  入院した。朝早く、看護婦さんからの電話だ。

  すぐ来るように。

  あわててかけつけた。

  よかった。子どもは男だろうか、女の子だろうか。

  喜びの言葉を期待しながら、看護室のドアを開けた。

  だが、応対に出た看護婦さんの顔には笑顔はない。

  「お気の毒です」「死産です」

  ゆるみかかっていた顔が、動かなくなった。

  体の中を何か重いものが抜けていった。

  ベッドの前にそっと立ってだまっていたら、

  お母ちゃんはわかっていたのか静かに振り向いた。

  言葉の代わりに掛け布団をそっとひっぱてかけてやった。

  異常出産だった。

  何を考えているのか、ずっと泣いていたのだろう。

  「すまない」頭の中をあれやこれや、また悪い想像がうずまいた。

   

  死神はひとり、またひとりと仲間の命を奪いながら近づいてくる。

  「りせつりゅうしょう居士(こじ)」

  鈴木たかしさんのあの世での名前だ。

  俺にはまだその名前に馴染むことも、理解することも、

  納得することもできていない。

   

  4月29日。とうとう肝臓がんで59歳の生涯を閉じてしまった。

  「もう、終わっちゃったことだけどな」

  「入院中に先生に聞いたことがあったってよ」

  会食の席で兄さんが話しかけてきた。

  「あの病気は、水爆”死の灰”に関係あるのかねと聞いてみただよ」

  「私の口からそのことは言えない、と先生はそう言ったってよ」

   

  山本ただし機関長も、59歳で結腸がん、胃がん、肝臓がんを

  併発して、みんなの後を追った。

  山本さんへの弔辞。

  「山本ただしさん。何を言っても山本さんは返事をしてくれない。

  おととし、一番若い松田ゆういちさんが亡くなった時、

  ぽつんと山本さんは言った。いろいろとずいぶん悩んだんだろう。

  誰にも言えないつらいこともたくさんあったんだろう。

  かわいそうにな。と、参列している自分の後ろで、

  小さな声で独り言のようにつぶやいた言葉が、

  はっきりと耳に残っている。

  こうした人の心をおもいやる山本さんが、

  自分の死を目の前にして何を考え、何を思ったことでしょう。

  夜は眠れないと、奥さんに言っていたそうですね。

  たくさん、たくさん考えたことでしょう。

  切腹を待つ武士の気持ちがわかる と奥さんに言ったそうだ。

  それなら私は聞きたい。

  だれが切腹をしろと言ったのか、

  何の罪で切腹をしなければならないのですか。

  言い尽くせぬままに、お別れいたさなければなりません。

  安らかに、安らかにお眠りください。大石又七」

  

   

聞き書きしていくことで、聞き漏らしていることに気がつきます。

時間はかかるけど、時間をかけただけのことはあります。

  

でも今晩はここまで。

  

  

明日につづく。

番画〈338〉:「白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」②

   

今日は令和3年7月27日。

   

前記事の続きです。

〈338〉「ETV特集 白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」

  (2021年7月24日放映)

この番画をほぼ聞き書きしてます。

   

〇死の灰を浴びたあの日から67年。

 大石さんは何に怒り、何に希望を見出してきたのか。

 第五福竜丸元乗組員 大石又七さんの人生を見つめる。

  

〇長女の佳子さんは、このマンションで体の自由がきかない

 晩年の大石さんと7年間暮らした。

 

〇アルバムを見せる佳子さん。

 笑っていないとヤクザみたいな顔だった。

 

〇中学校を中退し、焼津でカツオ船に乗ったころの大石さんの写真。

 まだ14歳の時の写真。

  

〇佳子:船に乗ること自体、自分は乗りたくて乗ったのではないし。

  父の父親、おじいさんが保証人になって、家が破産しちゃって、

  お金がなくて、で、父親も亡くなっちゃって、しょうがなくて、

  長男である自分が船に乗って。

  何で自分の人生はこんななのよと。

  船に乗ったはいいけど、今度は被爆しちゃって、

  また世間から叩かれちゃって。

  

〇事件から38年後 58歳の大石さんをとらえた映像。

 (クリーニング店のシャッターを開けるところ)

 東京でクリーニング店を営んでいた。

 この1年前、大石さんは、乗組員の中でただ一人、

 長い沈黙を破って、自らの半生を綴った手記を発表していた。

  

〇「死の灰を背負って 私の人生を変えた第五福竜丸」

 (大石又七著/新潮社)

  

〇ここから1992年に放映された「NHKスペシャル 又七の海」の

 映像がしばらく流れる。

 もしかしたら録画しているかもしれないと思ったが、

 録画していなかった。 

 一度見てみたいと思っていた番組を見ることができた。幸運。

 北村和夫さんによる「死の灰を背負って」の朗読。

  

〇北村:閃光が見えてから2時間くらい、ふと気がつくと、

  雨の中に白い粉のようなものが混じっている。

  「何だこりゃ」思っているうちに粉はだんだん量が多くなった。

  やがて雨は止み、その白い粉だけになった。

  みんなゴム長靴にゴムのズボン、上半身は白いシャツ1枚。

  船も人も風上に向かっての作業なので、

  粉は目、耳、鼻などに容赦なく入り、まとわりつく。

  目に入るとチクチクと痛くて、目を開けていられない。

  灰を被った時点では、だれも口には出さなかったが、

  作業中に眩暈がしたり、縄をあげ終わるころには、

  頭痛や吐き気。夜になると下痢をする者も何人かいた。

  1週間を過ぎた頃、甲板長の川島さんが、髪に櫛を入れていて、

  ふと毛がぬけてくるのに気がついた。

  「えぇ~」と手に手に自分の髪の毛を引っ張ってみた。

  「抜ける」ほとんどの者が大なり小なり、引っ張ると抜ける。

  久保山局長は白い灰に危険を感じていたのか、

  「水で体を洗え」と何度も言った。

  

〇北村:ピストルのお化けのような恰好をしたガイガーカウンターを

  俺たちの身体に近づけると、フライパンで豆でも炒るような

  高い連続音がして、あわてて先生方は後ろに飛びのいた。

  これでは映画にも出てきそうな放射能人間だ。

  爪を切られ、身体中の毛は剃り落された。

  俺たちの小便は、アメリカにも送られていると聞いた。

 

〇北村:9月23日。無線局長の久保山愛吉さんが亡くなりました。

  「お父ちゃん」奥さんと3人の子供たちの呼ぶ声が、

  張り詰めた病室の空気をひきさくように響いた。

  「これでいいのか」

  遺体は7時間もかかって解剖された。

  命を奪われたあげくに、八つ裂きにされる。

  「いやだ。俺はいやだよ」

  

〇被害は第五福竜丸だけではなかった。

 のべ900隻を超える船から、魚の汚染が見つかり、

 水産業は大きな打撃を受けた。

 ビキニ水爆の半年後には、アメリカに対抗して、

 ソビエトが核実験。(地上での実験)

 日本に降る雨の中からも、放射性物質が検出されると、

 放射能パニックが広がっていく。

 広島、長崎につづく、3度目の被曝。

 原水爆禁止の訴えは、国民の3人に1人が署名するほどの

 高まりを見せた。

 署名運動は翌年、原水爆禁止世界大会に発展。

 ビキニ事件は核兵器反対運動の原点となっていく。

 

〇一方、反米感情の高まりを恐れた日米の政府は、

 解決を急いだ。

 事件から10か月後。アメリカが7億2000万円の見舞金を

 日本に支払うことで合意。アメリカの責任は今後一切問わないという

 政治決着だった。

 大石さんたちには、1人あたり200万円の見舞金が

 支払われるようになった。

 事件から1年2カ月。

 (大石さんたちは)東京の病院を退院。故郷に戻った。

 しかし、多額の見舞金を受け取ったことで、

 大石さんたちはいわれのない、妬みや偏見にさらされる。

 「お金の一部を拝借したい」「見舞金は寄付すべきだ」

 大石さんたち乗組員は、被害者であるのにも関わらず、

 沈黙を余儀なくされていった。

 そして事件は急速に忘れられていく。

    

  

ここまで番組の13分30秒ほど。

まだ4分の1に至りません。

  

つづく

番画〈338〉:「白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」①

     

今日は令和3年7月27日。

   

番画です。

   

〈338〉「ETV特集 白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」

  (2021年7月24日放映)

   

〇充実した1時間番組だった。

 この番組をどうやってこのブログにまとめようか。

 やっぱり焦らずに少しずつ書き留めていこう。

 

〇大石又七さんの長女佳子さんが何枚も魚拓を紹介。

 大石さんは釣り好きであり、

 魚拓にした後、大石さんが魚をさばいて、刺身にした。

 (事件について)語っていなかった時は釣りばかりしていた。

  

〇佳子:年を重ねるにつれて、父自体が変わっていった。

  自分たちがこれから歩んでいく未来の問題として

  原爆とか原子力とかそういうものを考えていってほしいな。

  そういう期待。

  

〇20歳の時に第五福竜丸で人生を変える事件に遭遇していた。

 

〇大石:ピカッと光ったような光ではなかったね。

  遠くで何か光ったんだな。

  何か白いものが落ちてきたけど、

  きょろきょろしてましたよ。

  ”死の灰”とか何とかっていうこと

  頭にないからね。

  

〇1954年 太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験。

 3月1日 水爆「ブラボー」

  

〇爆心から160km離れたところにいた大石さんたちに、

 ”死の灰”が降りそそいだ。

 乗組員が浴びた被ばく線量は、致死量の半分近くに達したと推定される。

 

〇静岡県焼津港に戻った大石さんたちは全員入院。

 「急性放射能症」と診断された。

 輸血などの治療が行われたが、半年後に1人が亡くなった。

 広島・長崎に次ぐ第3の被爆として、

 このビキニ事件は日本人に衝撃を与えた。 

  

〇大石:大きい事件が起こっても、時間がたてば消えていきますよね。

  (ビキニ事件は)過去の出来事ではなくて、

  現在ももっと大きく意味を広げて、大きくなってきている事件だと

  私は思っているんですよ。

  

〇大石又七さんは、2021年3月7日に87歳で亡くなりました。

  

〇50代の頃から大石さんは、忘却に抗うように、

 自らの体験を語り続けた。

 

〇大石:雪が降るわけでもないだろうに、

  なんでこんな白いものが降るんだろう。

  それがこの辺に(首・顔)、いっぱいつくわけですよね。

  雨と一緒になって。

  この辺についたやつをかんでみると固いんですよね。

  砂みたいにじゃりじゃりして。

  

〇大石:この第五福竜丸は当時23人乗っていました。

  私を含めて23人乗っていて。

  現在は(2004年)、その半分の12人が亡くなっているんです。

  それもただ普通の病気で亡くなったのではなくて、

  被爆の後遺症と思われる

  共通した病気でみんな亡くなっています。

  私は被爆のために仲間が半分死んだんだって 

  ずっと思い続けています。

 

〇第五福竜丸展示館 学芸員 市田真理さん

〇市田:すごいテンションで、高いテンションで

  怒り続けている気がします。

  語りたい、でも語れなかった仲間の分も

  自分は生き続けるんだ、語り続けるんだ。

  

〇久々に聞き書きを始めた。夏休みだからできることかも。

 この1時間番組を書き残しておきたい。

  

  

つづく

スイカの収穫4個

         

今日は令和3年7月27日。

    

学級園でのスイカの生長は、ありがたいことに好調です。

最初の収穫は7月22日でした。

一番大きく育った1個。

恐る恐る切断しましたが、

赤い断面も見て、大喜びをしました。

味も甘かったです。

同僚にもおすそ分けしました。

  

そして今日は4個収穫。

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出校日には、学級のみんなと食べたいですね。

  

スイカを自分たちで作る。

面白い体験ができたなと思っています。

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