番画〈234〉:日本人はなぜ戦争へ向かったのか ③ ”熱狂”はこうしてつくられた
今日は令和3年5月16日。
同僚の先生が「どうしたら日中戦争は防げたか」という発問で
授業をするというので、
私の関心は高まりました。
※ここでも道草 「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」シリーズを見た(2020年8月6日投稿)
☝ 10年前のNHKスペシャルがすぐに思い出されました。
今日は5回シリーズの中で、
最も印象に残っていた1本を再び見てみました。
番画です。
〈234〉「NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へ向かったのか ③
”熱狂”はこうして作られた」(2011年8月12日放映)
〇熱狂をつくり出したのは新聞・ラジオだった。
〇戦争が進むにしたがって、新聞の発行部数は増えていった。
〇1931年9月満州事変。
新聞各紙は関東軍指示。
それに先立って中村震太郎事件があった。
中国人に日本人軍人が殺される事件。
新聞各紙は、中国を非難した。
その流れで、満州事変も、中国を非難し、関東軍指示。
〇日本軍の進軍は、世界恐慌に苦しんでいた国民を熱狂させる。
〇満州の権益を保護することは、日本の国益になる。
〇国際連盟のリットン調査団の調査結果。
新聞各紙は国際連盟を非難。
連盟脱退の声が高まる。
〇松岡洋右のとまどい。
連盟脱退は外交の失敗だったのに、国民の熱狂的な出迎えを受ける。
〇反戦の記事を書いた新聞は、不買運動をされる。
〇世論形成にはラジオも利用される。
NHKはナチスの手法を心得ていて、国民を熱狂させる。
〇南京陥落の時には国民は熱狂し、陥落セールも行われた。
〇日独伊三国同盟も、世論が推す形で締結する。
〇メディアが世論を作り、その世論にメディアが巻き込まれていた。
〇松平アナウンサーのまとめを聞き書き。
「日本の舵取りを任されていた指導者たちは、自分たちの行動に自信
がないために、世論を利用しようと思った。世論の動向に一喜一憂し
たわけです。その世論はメディアによって熱狂と化していました。そ
して、その熱狂は最後の段階で日本人を戦争に向かわせる一つの要因
となりました。
本来ジャーナリズムの役割というのは、世の中に起きているいろん
な事象を的確に把握してチェックして国民が冷静に判断を下せるよう
な材料を提供することのはずでした。しかし、こうして戦争を迎える
時代のメディアのあり様を見てきて思うことは、メディアがおかしく
なれば国家はすぐにおかしくなるということです。本当にわずかな期
間にですね、国家の運命が狂わされてしまう。そういう力をメディア
は持っている。そのことをあらためて突きつけられた思いであります。」
戦争に突入した時には、それを肯定する世論があったのです。
メディアの責任を痛烈に感じた1本です。
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