「この国の不寛容の果てに」④ 「聞ききる」
今日は令和3年3月23日。
21日の記事の続き。
「この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代」
(雨宮処凜編著/大月書店)より。
私にとって初めての電子書籍。
タブレットで読んでいますが、
字が大きくて老眼鏡なしで読めるのもいい。
心療内科の待合室でも読むことができました。
欠点は、気に入った文章に付箋を貼れないこと。
もう一度読みなおしながら、気に入った文章を引用します。
森川すいめいさんと雨宮処凛(かりん)さんとの対談。
森川:「やってはいけないこと」ばかり強調されて、規定のルートを
一歩でも踏み外したら人生が終わるかのような恐怖を刷り込まれると、
人は成長を止めて、強い声に従順に従うだけになってしまう。DVと
か児童虐待と同じです。そういう経験をした人は、強い声とか鋭利な
言説に対して、思考停止したように服従してしまうんです。
そうした頭ごなしの押し付けに服従せずにいられるためには、自分の
中での問い直しとか、世界が多様であることを知ることが必要です。
それも、人から教えられるのではなくて、自分自身で学んで体験的に
知る必要があるんだと思います。
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十分にいろいろな体験をしている身ですが、
思考停止で従順になっている自分に気がつきます。
もっと思いついたことをやれよと、自分に言い聞かせました。
森川:自殺の少ない地域を旅した経験を『その島のひとたちは、ひと
の話をきかない』(青土社)という本に書きました。その旅で気づい
たことですが、自殺が少ない地域の人たちは、とてもよくこちらの話
を聞いてくれるんです。だからといって、こちらの言う通りしてくれ
るわけではないのですが、途中でさえぎったり解釈したりせず、とに
かく聞いて理解しようとしてくれる。そのことが「尊重されている」
という感覚を生んで、自分が認められている、存在していていいのだ
という大きな安心感を与えてくれたんですね。そういう経験って、人
間の成長にとってとても大事なことだと思います。子どもが何かをし
たときに、頭ごなしに叱ったり決めつけたりせず、「どうして?」と
聞いて、本人の言い分を最後まで聞ききる。そうやって聞きとっても
らえる経験をすると、子どもは自分なりにその是非を判断したり、そ
こから学んだりする可能性が生まれます。
雨宮:森川さんのお話を聞くまで、「聞ききる」ことがそんなに大事
なことだと思っていなくて、自分でも会話の中で人の話をさえぎった
り、人からさえぎられるのも普通だと思っていました。むしろ、その
くらいのほうが話が盛り上がっている証拠だと思っていたくらいです。
それ以来、気をつけるようにしていますが、意外と難しいですね。
森川:何かを発言したり解釈したりすることが、その人の有能さを証
明するかのように思わされていますね。実際、解釈が上手になるとそ
れが当たることも増えてくるので、つい嬉しくなってやってしまう。
それは精神科医と患者さんの関係においても常に起こることです。そ
ういう意味で、先に紹介した自殺の少ない島の人たちは、話を聞いて
も解釈はしないんですね。いや、解釈をしたとしてもその解釈を唯一
としない。それはとても心地良かった。
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キーワードは「聞ききる」
教育でも役立つことが書いてありました。
問題児に出合ったとしても、私は「聞ききる」効果を信じて、
聞ききりたいと思いました。
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